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2007年9月の6件の記事

2007-09-27

運天港・伊是名島への道

 まだまだ続く、今春の沖縄行きの話である。
 このときの旅行のメインイベントは伊是名島行きであった。といっても、それは沖縄に行ってから決めたのであって、当初はどこか離島に行こうと思っていただけである。

運天港

 伊是名島は、琉球王国の国王・第二尚家の祖である金丸(のちの尚円王)の出身地である。それまでの尚家(第一尚家)の跡継ぎがなかったため、人望の厚かった大臣の金丸が国王に推挙されたという、なかなか興味深い歴史のエピソードだ。
 農民出身である金丸は若いときに、立身出世を夢みて伊是名島から那覇(首里)に出て、その有能さを買われて大臣にまで出世。とうとう国王にまでなったなんて、そうある話じゃないと思う。

乗船券売り場

 伊是名島に渡るには、名護の先、本部半島の付け根にある運天港に行かなくてはならない。
 かつては船の運航時刻に合わせて名護からバスが出ていたのだが、いまやそれも廃止。もっとも近いバス停からは歩いて30分もかかるので、やむなく名護からはタクシーを利用した。

 運天港は、港というよりも「船着場」というほうがしっくりくる場所である。入り江の一部をコンクリートで固めた程度のイメージで、建物といえばプレハブづくりのものが2棟ほどあるだけ。
 そのうちの一方は伊是名島行きの切符売り場、もう一つはその北にある伊平屋島行きの切符売り場である。

伊平屋島行きフェリー

 前日は、しけでフェリーが欠航していたというが、この日はめでたく運航中。
 伊是名島行きの「ニューいぜな」の側面には、天空を指さす若き日の金丸らしきイラストが描かれていた(トップの写真に小さく見える)。波瀾万丈の人生だったんだろうなあ。

 伊是名島行きフェリーの出航直前に伊平屋島行きのフェリーが出る。同じ方向に行くんだから、船を1つにして順に寄港すれば効率的じゃないのかと思うのだが、そうもいかない事情(あるいはそうする必要のない事情)があるのだろうか。

2007-09-25

糸満の町ぶらぶら

 さて、今年の春の沖縄旅行の続きである。
(こう書いておかないと、まだずっと行っていると勘違いする人が多いもんで……)

 本当は那覇から長駆、平安座島、伊計島などを巡るつもりだったのだが、前日の深酒が利いて早起きできなかった。どうも、沖縄滞在2日目というのは、二日酔いで思った通りの行動ができない定めになっているようだ。まあ、自業自得であるが。

糸満漁港

 そこで、バスで那覇から糸満に移動。町中をぶらぶら歩くことにした。以前も来たことはあるのだが、あまり時間がなかったので楽しむことができなかったのである。
 糸満ロータリーでバスを下車。近くの展望台に登ったのだが、これは二日酔いの身には苦しかった。
 ロータリーの南東側には、沖縄最大の門中墓があり、その巨大さに圧倒された(下の写真)。

幸地腹門中墓の入口

 近くを通過中の低気圧のおかげで、強い雨が降ったり止んだりしてするなか、次に、ロータリーの西側にある旧市街地、糸満漁港、市場をまわったのだが、雨の日中ということもあって、観光客はおろか、地元の人もほとんど歩いていない。
 もっとも、北側の埋め立て地にあるショッピングセンターあたりは賑わっているのかもしれないが……。

 昼飯を食べようと思ったが、開いているそば屋も見つからず、かといって那覇にまっすぐ戻るのもつまらない。内陸の東風平に行くバスに乗り、遠回りをして戻ってきた私であった。
 結局、この日もぶらぶらするだけで終わってしまったが、まあこれでいいんだろう。たぶん。

2007-09-23

那覇散歩・与儀から寄宮あたり

 これで、今回の沖縄行きの話はおしまい。2泊3日というのは短いものである。
 でも、前回の記事で、今年の春にも沖縄に行ったことを白状したので、そのときの話でもアップしようかな、と思い立った。

 なぜ、そのときに書かなかったかといえば、仕事がつまっていたからである。いや、仕事が大変で書けなかったのではなくて、仕事先の人間(私の場合は編集者)に見られることを恐れたのである。
「いつもブログ見てますよ」なんて言われているものだから、沖縄に行ったと書いたら、「あの野郎、締切りが迫ってるっていうのに、のんびり遊んでいやがって」と激怒されること必定である。というわけで、記事を書くのを控えたわけである。
 いやあ、フリーランスの仕事って、気を使うものなんだよね。

与儀のメキシコ通り
メキシコ通り

 さて、その春の沖縄行きの話。メインの目的地については、またあとで書くとして、初日、2日目は那覇にいたので、まず那覇下町散歩をすることにした。
 壺川から開南、与儀にかけては、以前散歩した ので、今回はその続きということで、与儀の先まで足を伸ばすことにした。

 まあ、ここまで来ると大半が住宅地なので、とくに大きな発見はないのだが、赤瓦の家が、ぽつりぽつりと見えたり、住宅地のなかに忽然と古い大きな墓が現れたりして、それなりにおもしろい。

 大通りから少し入ったところを歩いていると、上の写真のような雰囲気のいい通りに出くわした。写真を撮りつつぶらぶら進んでいくと、通りの名前が記されているではないか。
「メキシコ通り」
 歓楽街でもなく、数軒の商店が並ぶ静かな通りである。不思議なネーミングだ。
 ネットで調べてみると、この通りに「メキシコ」という名の飲食店があるからということだが、本当なんだろうか。

赤瓦の八百屋 吊るされたバナナ

 もう1軒、こちらは古式ゆかしい赤瓦の商店。
 軒先にバナナを吊るしているのが、正しい沖縄の八百屋・果物屋の証拠である。
 那覇市内ではなかなか見られなくなった光景だ。

2007-09-22

ゆいレールの自動券売機にビックリ

 ゆいレールは、那覇市内を走るモノレールである。2003年に那覇空港~首里が開通したおかげで、市内の移動はずいぶん便利になった。
 さて、これは駅に設置されている自動券売機。今年の春に訪れたときに撮ったものだが、何の変哲もない販売機に見えるだろう。

ゆいレールの自動券売機

 だが、上のほうにある表示を見てビックリ。
「他社鉄道線」とあるではないか。
 つまり、ほかの鉄道への連絡切符が買えるというわけだ。

「他社鉄道線」に注目

「そんなばかな」と私はつぶやく。
 ゆいレールに接続する鉄道線なんてあるわけがない。
「またまた沖縄の人はいいかげんなんだからー」と思った。

 しかし、押しボタンの部分を見て二度ビックリ。
「京浜急行」というボタンがある。
 はて、沖縄に京浜急行は走っていないのだが……と思いつつ、好奇心に駆られて、ふらふらとボタンを押してみた。
(賢明な読者諸氏は、すでにこの時点でお気づきであろう)

京浜急行の押しボタン

 すると、画面に「横浜」「品川」までの切符が買えるボタンが表示された。
「ええっ、いったいいくらかかるんだ?」と誰もが思うに違いない。
 しかし、そこに記されているのは羽田空港駅からの運賃であった。そりゃそうだ、航空券を含んでいたらとんでもない額になってしまう。
 よく見ると、そのうえに「東京モノレール」という表示もあるが、運賃を示すボタンは表示されていない。

 羽田空港利用客をめぐる京浜急行と東京モノレールの熾烈な競争は、那覇空港に向かうゆいレールにも反映されているのか……、「いやあ、キビしい世の中だな」と私は思ったのであった。

2007-09-21

泡瀬への気まぐれバス旅

 16日の昼間は、同行の3人がダイビングに出かけたので、のんびりとバス旅を楽しむことにした。
 まあ、ホテルか那覇市内の喫茶店で仕事をやるべきなのだが、前日の酒が残っているので、ちょっと気分転換である。

泡瀬営業所

 よく考えると、沖縄本島のバス路線は、恐ろしいことに7割がた乗ってしまっている。そこで、今回は未乗路線の1つである東陽バスの泡瀬行きに乗車することにした。泡瀬沖には南西諸島随一の干潟もあるので、それを見たいということもあった。

 那覇バスターミナルから約1時間半。あまり観光客やレンタカーの姿を見ない本島東海岸に沿って北上するのだが、肝心の泡瀬付近で海が見えない。しかも、終点の泡瀬営業所は町外れにあった。近くに大きなイオンのショッピングモールはあるのだが……。

泡瀬漁港にて

 そこから約2キロ、遠くに見える市街地に向けて、歩く私であった。持ってきた折り畳み傘が、10分おきに雨傘と日傘に変わるという天気のもと、汗びっしょりになってひたすら歩くしかなかった。途中で、うまい沖縄そば屋をみつけたけどね。
 それにしても、地図も持ってきていない無謀な旅ゆえ、結局干潟を目にすることはできなかったが、それでも漁港まではたどりついた。さらに進むと干潟があったらしい。

 ふと見ると、港の中で「船こぎ」の練習をしているではないか。最初はハーリー船かと思ったが、ちょっと形が違うので、普通のカヌーかもしれない。

那覇のネコ

 帰りはコザでお気に入りの喫茶店「珈琲美学 やま」で一休みしようとしたら、あいにく日曜日で休み。それにしても、すごいネーミングである。しかも、店は広々とした昔ながらの純喫茶の雰囲気でくつろげる。それでいて、コーヒーがうまいから、コザを訪れるたびに立ち寄っているのだ。

 しかたがないので、高速バスで那覇に帰還。
 まあ、たいした収穫もない日だったが、これでいいのだ。あてのない散歩だからね。

2007-09-19

那覇・農連市場あたり

 15~17日、連休を利用して沖縄に行ってきた。
 妻の友人のマイレージを利用して、「おともでマイル」というやつで、そちらの夫妻と計4人の旅である。
 「じゃあ、行こうか」と安請け合いしたときには、まさか仕事が目の回るほど忙しくなるとは思っていなかった。結局、今回もパソコンと資料を持っての旅となってしまった。まあ、17日は朝に帰るし、16日は3人がダイビングをしているというので、どこかの喫茶店で仕事でもしようと思って東京を後にした。

太平通り

 さて、那覇に着いたのは15日の昼。前日は台風で飛行機が欠航したそうだが、すでに青空が見えていた。
 まずは、那覇散歩初心者のために、国際通りから平和通りに入り、牧志の第一公設市場へ。
 それにしても、観光客は公設市場あたりでアーケード街を引き返してしまうのだが、本当はその先がおもしろい。太平通りや新天地市場本通りあたりは、地元度もグッとアップして、素敵な店が並んでいるのだ。

 そして、私の気に入っている散歩道の一つである開南から農連市場に案内することにした。東京でいえば、上野か浅草といった雰囲気だろうか。私は好きな場所なのだが、あまり有名にならないのがまたいい。

農連市場

 若き友人夫婦も、農連市場のディープさに心を動かされたようで、仮ツアコン役の私としては喜ばしい限りである。
 その後、夕食の場所で会うことを約して、いったん解散。私は喫茶店であくせくと仕事をしたのであった。

 夕食は、松尾にあるイタリア料理「てだこ亭」。わかりにくい場所にある上に、わざわざ裏道を通ってきたもんだから、さんざん道に迷いながらなんとかたどり着いた。

那覇の裏町のネコ

 評判の高い店だが、本当においしいのか……と思っていたが、そんな不安もすぐに消し飛んだ。
 野菜も肉も、素材のよさを生かした料理が素晴らしい。おかげで、4人でワインを4本空けてしまった。
 てだこシェフ・飯塚さんも元気で素敵な女性である。
 うまいものを食ってテンションが上がった私たちは、民謡酒場にタクシーで乗り付けて夜中の1時半まで滞在。最後には舞台に上がって歌ってしまった私であった。
 若夫婦の旦那は民謡酒場もいたく気に入ったようで、その日覚えたばかりの沖縄民謡を寝言で歌っていたとは、奥さんの証言である。

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著書

  • 社会人に絶対必要な語彙力が身につく本[ペンネーム](だいわ文庫)
  • 『ようこそシベリア鉄道へ』(天夢人)
  • 『定点写真でめぐる東京と日本の町並み』(青春出版社)
  • 『日本懐かし駅舎大全』(辰巳出版)
  • 『鉄道黄金時代 1970s──ディスカバージャパン・メモリーズ』(日経BP社)
  • 『国鉄風景の30年―写真で比べる昭和と今』(技報堂出版)
  • 『全国フシギ乗り物ツアー』(山海堂)
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