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2007年5月の9件の記事

2007-05-31

奥会津の春・会津水沼駅まで歩く

 会津中川の駅を出て、しばらくの間は次々に集落が目の前に現れる。
 どこも田植えの直後か直前で、田んぼにはたっぷりと水が張ってあり、背景の若葉とあいまって、まさに「日本の正しい田舎」である。
 やがて、左手にダムの堰堤が見えてくると、上田の集落。ここを越えると風景は一変した。それまでの穏やかな田園風景と打って変わって、峠越えの道となったのである。

上田集落

 まあ、峠越えといっても坂道自体はたいしたことはなかった。ただ、歩道が狭くなったり、なくなったりして、ちょっと車が恐かったけれど。
 雪崩除けと思しきトンネルを2つほど抜けたところで、前方の丘の中腹に水沼集落が見えてきた。元気だったら急坂をのぼっていくところだが、暑いし疲れたのでやめた。
 駅は川を渡った対岸にある。岸辺には、見事な藤の花が咲いていた。

水沼集落と藤の花

 まさに、この季節、会津は藤の花盛りだった。藤の花というと、藤棚からぶら下がったものばかり見慣れているので、大木全体が藤の花で彩られている様子は新鮮な驚きであった。
 もっとも、大木そのものに藤の花が咲いているのではなくて、大木が藤の蔓にからまれているわけで、からまれたほうは気の毒である。

会津水沼駅

 会津水沼駅もまた、緑に囲まれたホーム1本の無人駅だった。
 これで奥会津の散歩は終わり。この列車に乗り、会津若松まで戻った私である。

2007-05-28

奥会津の春・会津中川に向かう

 会津川口をあとにして、国道252号線・沼田街道を会津若松方面に歩きだした。
 町外れにやってくると、只見川がカーブする先に、見事な家々が見えてくる。これが、会津中川駅周辺に広がる中川、板下の集落だろう。
 列車から見ることができたが、只見川越しに見る姿はまた格別である。

只見川越しに見える集落

 悦に入って写真を撮っていると、どこに行くのか老婦人がやってきた。
「きのうだったらSLが走っていたのに」
 気の毒そうに言われてしまった。
「い、いや、きのうは天気が悪かったから……」と、言い訳をする私。「それに、きのうは人が多かったでしょう」
「いやあ、列車は満員だったけど、撮影する人は少なかったよ」
 残念そうに、しかしにこやかに老婦人は言った。

水を張った田んぼ

 国道といってもたいした交通量もない。30分ほどの道のりを、比較的安全に歩くことができた。
 だが、やってきた会津中川駅のホームには、屋根もなんにもない。小さな駅舎はあるが、周囲には商店も見あたらない。
「うーん、ここであと1時間半待つのはつらいなあ」
 そうして決心した。「もう一駅歩くぞ」と。
 所要は40分ほど。山道でもないし、ゆうゆう間にあうはずである。水をたたえた田んぼを見ながら、また歩きだしたのである。

会津中川駅のホーム

 それにしても、何十年か前は、付近の家々のトタン屋根がすべて茅葺きだったのだろうと思うと感慨深い。ぜひそんな光景を見たかったものだ。
 もちろん、葺き替えが大変で、人手も金もいるとなると、無責任に茅葺きがいいなんて言えないが、せめてトタンの色をもうちょっと工夫してほしいなあ。
 真っ赤とか真っ青ばかりだが、やはり茶色の屋根が一番似合うと思う。

2007-05-26

奥会津の春・会津川口駅界隈

 会津宮下から約30分、会津若松から2時間かけて、只見線の列車は会津川口駅に9時40分に到着した。
 この駅の横は、写真でわかるとおり、すぐに只見川。下流にダムがあるために、満々と水をたたえている。

会津川口駅

 ここもまた、奥会津の交通の要衝で、ここからあちこちの山間の村に道路が分かれている。
 かつての川口村は、周辺の村と合併して金山(かねやま)村となり、いまでは金山町となっている。
 国道252号線沼田街道が走る駅前には、家々が建ち並び、それなりに賑やかであるが、金山町の役場や学校はそこから坂道をのぼった道沿いにあった。

金山町の町並み

 道沿いの古い民家は、どこもトタン屋根になっていたが、かつてはこれがみな茅葺きだったのだろう。そんな姿を思い浮かべながら、坂を上り下りした私である。
 さて、只見線はここから新潟県の小出まで通じているが、その区間は日に3往復のみ。次の列車は6時間後の15時30分である。さすがにそんなに待つほどヒマではなかった。

金山町の町並み

 一方、上りの会津若松行きは12時33分。3時間という時間を散歩と昼食でつぶそうと思ったのだが、駅付近に2、3軒ある食堂は、いっこうに開く気配がない。それならと、1駅分歩いて戻ることに決めた。

2007-05-25

奥会津の春・会津宮下の町

 会津宮下の町は、かつては交通の要衝として栄えたのだそうだ。
 確かに、いまでも山の中にしては立派な町並みが続き、商店や職人の店もあちこちに見られる。

宮下の町並み

 会津西方駅から宮下駅までは約2キロ。あまりクルマの通らない国道400号線を歩き、真新しい道路橋を渡り、30分弱でたどりついた。
 30年以上前にも、やはり両駅の間を歩いたが、この橋がかかっていなかったため、ぐるりと大回りをしたような記憶がある。

宮下の町の北東端あたり

 ところで、このあたりの只見線の列車は、日に5往復のみ。それでも、朝ということもあって、1番列車の次は1時間半ほどで次の列車がやってくる。
 その時間を使って、穏やかな天気のなか、隣の駅まで散歩したというわけだ。

会津宮下駅の上り列車

 会津宮下駅ではまず上り列車がやってきた。私の乗る下り列車とのすれ違いのために、ここで20分近く停車する。
 下りホームで待つことしばし、つつじの美しいホームに、会津川口行きのディーゼルカーが入ってきた。

2007-05-24

奥会津の春・会津西方駅あたり

 奥会津を訪ねたのは、汗ばむほどの日射しがふりそそいだ月曜日、21日のことである。
 週末の19、20日には、只見線の会津若松~会津川口にSL列車が走ったのだそうだが、あえてその日を外して立ち寄った、へそ曲がりな私である。
 まあ、会津地方の週末は天気も悪く、気温が低く、風も強かったというから、少なくとも私が目的としていたぶらぶら歩きには適していなかったはずである。

会津西方駅あたり

 さて21日は、会津若松駅を早朝の6時に出発。通学の高校生にまじってディーゼルカーに乗ること1時間半。まず下車したのは会津西方駅だ。
 前回、この駅で下車したのは、いまから30年以上も前。まさに私が高校生だったころである。まだ走っていた蒸気機関車を写しに来たのである。

田園風景

 この会津西方駅の手前と向こう側で、只見線の線路は2度只見川を渡る。つまり、この駅は、両隣の駅が川の反対岸にあるという孤立した駅なのである。
 もちろん、いまでは道路橋もあることはあるが、クルマが普及していなかったころは、さぞかし不便な場所だったことだろう。

只見川を渡る只見線の鉄橋

 30数年前に比べて駅の姿は変わったが、近くの集落の雰囲気は昔のまま。ちょうど田植えの時期とあって、田んぼには満々と水が張られており、ちっとおおげさだが、桃源郷にやってきたような気分である。
 前日とは打って変わって穏やかな天気のもと、右向いて左向いて写真を撮りながら、約2キロほど離れた隣の会津宮下駅まで歩くことにした。

2007-05-10

富山市内線

 ここまで来たら、もう一つ、富山の市内を走る路面電車に乗ったことも打ち明けなければなければならないだろう。
 そう、北陸地方は、富山、高岡、福井と、元気な路面電車が走る「路面電車銀座」なのだ。しかも、富山には、前に紹介した富山ライトレールができる前から、私鉄の富山地方鉄道が運行する富山の市内線がある。
 これで、早くに廃止になった金沢にも路面電車が復活でもすれば、言うことはないのだが……。

富山市内線

 で、この写真は、神通川にかかる富山大橋を渡る電車。バックに、夕日を浴びた立山連峰がうっすらと見えるのがおわかりになるだろうか。 

2007-05-09

高岡の路面電車

 富山、福井と来たら、やはり高岡の路面電車に行ってきたことも白状しなければならない。
 加越能鉄道の一路線だったものが、赤字続きで廃止目前。そこで市民団体が立ち上がり、自治体を巻き込んでの活動が実り、第三セクターとして再出発したものだ。
 第三セクターというと、世間一般ではどうも評判がよくないが、ここ万葉線ではさまざまなサービスを展開して、すこぶる評判がよいようだ。

 万葉線の超低床車「アイトラム」

 そして、その再出発のシンボルともいえるのが、この超低床車「アイトラム」だ。
 古くてごつい車両ばかりだった万葉線のなかに、突如登場した真っ赤なボディ。それはそれは衝撃的なデビューだったことは想像に難くない。

 私が訪ねた5月2日は高岡の祭りだった。本当ならばゆっくりと見物していきたかったが、先を急ぐ旅ゆえ、午前中で失礼してしまった。
 京都の祇園祭のような山鉾巡行みたいなことをするらしい。
 大きな車が市内の目抜き通りを移動するので、そのままでは電車の架線に引っかかってしまう。そこで、架線を外す要員がすでに沿線に待機していた。午後になると、いっせいに外しにかかるようである。
 うーむ、見たかったが、しかたがない。祭りはもちろんだが、架線を外す様子も……。次の機会にゆずることにしよう……。

2007-05-08

福井の路面電車

 富山ライトレールに乗った翌日、福井まで足を伸ばして、やはり路面電車に乗る。
 武生と福井を結ぶ福武線という鉄道線なのだが、福井市内の一部が路面を走る軌道線となっているわけ。

福井鉄道田原町駅

 いきさつを説明すると面倒くさいので省略するが、昨年、この福井鉄道の車両のほぼ全取り替えが行なわれた。
 古い大型の鉄道用車両の大半が廃車となり、名鉄からやってきた新しい小型の軌道線用車両に置き換えられたのである。
 そのため、路面を走る大型車両という「福井名物」を見る機会は減ったが、きれいで小回りの利く電車が走るようになり、少しはイメージアップしたのではないだろうか。
 福井市内の終点である田原町駅では、古びた駅舎・ホームと新しい車両が対照的であった。

2007-05-03

富山ライトレールと岩瀬の町並み

 とうとう行ってきてしまいました。日本初の本格的LRTとも言われる富山ライトレール。
 JR富山港線の路線を活用したものとはいえ、車両も新鮮で駅の案内板もわかりやすくできていた。
 ゴールデンウィーク中とはいえ、車内は終日満員。終点の岩瀬浜で仮面ライダーのなんとかをやっていたためか、小さい子を連れた親子の姿が目立つ。

富山ライトレール

 ライトレール自体が目的の親子も多かったようで、あちこちで記念写真の嵐である。
 富山近郊の人にとって、ちょっとした遊園地の乗り物気分のようなのか。
 各編成で色が違っていることも周知の事実のようで、「今度は何色かな」なんてお母さんが子どもに話しかけているのもおもしろい。
 やっぱり、乗り物というのは、「乗ってみたい」と思わせる車両じゃなくちゃね。

岩瀬の町並み

 終点の岩瀬浜近くには、北前船が盛んだった時代にできた古い町並みがある(最寄り駅は東岩瀬)。
 富山港線時代には、どこに町並みがあるのかもわからず、途方にくれて帰ってきたが、今回は町のあちこちに看板がついていたので迷わずにいくことができた。
 その看板に、日本語、英語とともにロシア語が書かれていたのは、日本海貿易で栄えるこのあたりならではのことだろう。
 そうそう、「満寿泉」を作っている酒蔵が岩瀬にあるのも初めて知った。

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