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著書

  • 『ひたすら眺めていたシベリア鉄道』(私家版)
  • 『日本懐かし駅舎大全』(辰巳出版)
  • 『鉄道黄金時代 1970s──ディスカバージャパン・メモリーズ』(日経BP社)
  • 『国鉄風景の30年―写真で比べる昭和と今』(技報堂出版)
  • 『全国フシギ乗り物ツアー』(山海堂)

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2007-03-02

有楽町で逢いました

 久しぶりに有楽町駅で降りて驚いた。
 南東側の一角が工事で更地になったところまでは知っていたが、いつのまにやら大きな建物が姿を見せていた。

 数寄屋橋は取り壊され(これは物心ついていないころだが)、日劇と朝日新聞社はマリオンになり(古い!)、最後まで戦後の香りを残していた一角も大きく姿を変えつつあるというわけだ。

有楽町駅前

 いやはや、なんともである。
 かろうじて、細い道をはさんだ西側には、中華料理屋やドラッグストア、パチンコ屋が残り、最後の砦となっている。
 「君の名は」の真知子と春樹もさぞや驚いているだろう……と、新聞のコラムならば文章をしめるところである。
 だが、それは避けたいなあ。

 数寄屋橋で辻説法をしていた赤尾敏も、草葉の陰で文句を垂れているだろう……というのもイマイチか。
 そういえば「有楽町で逢いましょう」を歌ったフランク永井は、どうしているんだろう。自殺未遂の後、まだどこかで健在のようである。
 フランク永井の低音と、かつて有楽町で待ち合わせをした女の子(たち)のことが、ふとよみがえる早春の夜であった。

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コメント

数寄屋橋は1958年に取り壊されたというので、私も覚えていませんが、いまだったら絶対に反対運動が起きて壊されることはなかったでしょうね。
そもそも、いまの役人なら、壊すなんてことはしないで、まず保存しようと考えるでしょうが。

 そう言われれば、何か、ずっと工事してますよね。交通会館の前辺り。何が出来るのでしょうか。日劇は知っていますが、数寄屋橋は知りません(^_^;)。

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