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2006-11-02

イタリアの中のギリシャ--ボーヴァ

 マルタ国際空港には朝4時20分ごろ着。案の定、閑散としていた。確かに、まもなく搭乗手続がはじまったが、あと1時間遅く来ても、まったく問題がなかったようである。もっと寝ていたかった。
 6時45分発のローマ行きは、レッジョ・カラーブリアまで約50分。一緒に降りたのは、わずか数人であった。

 カラーブリア州南部にやってきたのは、これで3年連続である。おととし、去年と、かなり濃密な旅行をして、目ぼしい観光地はおおかたまわったのだが、どうしても行っておきたい町が1つ残っていた。
 それは、Bova(ボーヴァ)という町だ。
 カラーブリア州南部のアドリア海沿岸には、ギリシャ人を祖先とする人たちが住む町が点在しているのだが、ボーヴァはその中でも「ギリシャ地域の首都」とも言われている町なのである。

ボーヴァ遠景

 しかも、その町というのが、標高800メートルあまりの山の頂上付近に作られている。去年、列車の車窓からちらりと町の姿が見えたのだが、その完璧な山岳都市ぶりに、私はいたく衝撃を受けたものだった。
 ボーヴァへは、海岸の鉄道駅Bova Marina(ボーヴァ・マリーナ)から、フェデリーコ交通のマイクロバスが日に3往復出ていることは調べていた。距離は15キロほど。

 そこで、まずは空港からタクシーでレッジョ・カラーブリア中央駅に移動。そこで荷物を預けて、列車でボーヴァ・マリーナ駅に向かうことにした。
 だが、空港で入国スタンプをもらうまでに時間を食い(EU以外の人間が降りてくる用意をしていなかったようだ)、街中では朝の通勤ラッシュに遭遇したことが影響して、結局ボーヴァ・マリーナに到着したのは昼近くになっていた。

 最初の予定では、ここからバスでボーヴァに向かい、帰りはハイキング気分で夕方までに山を降りてくるというものだった。ちょうど、30分ほどすればバスがやってくるし。
 ところがである。ハイキングをするには、信じられないほどの暑さだった。しかも、とんでもない早起きをしたものだから、頭がクラクラしている。
 こんなときの解決策は1つ、タクシーしかない。幸いにも、駅前にタクシーの電話番号が書かれていた。ちょっとぜいたくだけど、日射病で倒れるよりはマシである。

「きょうは暑いね。30度を越えるんじゃないか」と運転手は言う。「ちょうど家に帰ろうとしていたところだったんだ。よかったよ」
 タクシーは、これでもかというほど山道を登っていき、20分ほどするとようやく眼前にボーヴァの威容が見えてきた。

ボーヴァの哲人?

 ボーヴァは、「ギリシャ地域の首都」という割には、こぢんまりとした町だった。中心部にある小さな広場にはバールが1軒。その前で地元の男性が数人、椅子に座って出迎えてくれた。
 なかに、長い髭をたくわえた老人が一人。これまでイタリアで見たことのないタイプの男性である。
 やっぱり、ギリシャ系なんだろうね、なんて勝手に想像する私。
 帰りもタクシーに迎えに来てもらうことにした。もし本当に歩いて下っていたら、いまごろカラーブリアの土になっていたかもしれない。

 さて、バールはもうすぐ閉まるというので、水を買うことにする。
「このあたりは、まだギリシャ語が話されているって本当?」
「ああ、そうだよ」とバールの若主人は言う。
「カリメーラとか、カリメロスとか?」
「ああ」
 その答えだけで、もううれしくなってしまった。

ギリシャ語のある標識

 町なかの標識は、ギリシャ語、ギリシャ語のラテン文字表記、イタリア語の3つが記されているのが、これまた興味深い。

 それにしても、いつもいつも山岳都市に来るたびに思うのだが、よくこんなところに町を作ろうと思ったものである。あらゆる道という道が急坂なのだ。
 頂上の城砦も、すぐそこに見えるのだが、なかなかたどりつかない。しかも、とんでもない暑さである。
「山の上だから涼しいかも」と思って持参したジャケットが、日除けとして役立ったのは望外の喜びであった。

 途中の日陰で休み休みしながら、やっとたどりついた城砦からは、カラーブリア南部の荒々しい土地が360度見渡せた。
 とうとうやってきた、という気分である。これなら、タクシー代片道20ユーロも惜しくないような気がした。

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イタリアの旅 北から南まで」カテゴリの記事

コメント

海岸近くで海抜900メートル近くですから、かなりの高さを感じます。
ちょうど、北イタリアから来たインテリ熟年グループ3人組と出会ってビックリ……って、あっちのほうが「なんでこんなところを日本人が知っているんだ」とビックリしていましたが。
そりゃそうか。

ボーヴァが意外にもあんなかっこいい丘上都市だったなんて、ホント意外な誤算?でしたよね。

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