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2006年9月の5件の記事

2006-09-30

大賑わいのアルベロベッロ

 バーリからアルベロベッロへは私鉄Sud-Est線で移動の予定だったが、少し前から日曜日は全面運休になったそうな。
 バーリ駅裏から代行バスが1日に4本出ているというので、それを利用することにした。

 アルベロベッロは、1982年以来、4回も行っている。当初は、なんとか行かずにすまそうと密かに画策したのだが、やはりツアー参加者……もとい同行者の要望が多く、5回目の訪問となった。

トゥルッリとネコ

 アルベロベッロは、とくに日本人に人気の町である。どれだけ人気かというと、とある旅行質問サイトにこんな質問があったことからも想像がつくというものである。
--初めてイタリアに行くのですが、ツアーを探しています。行きたいところは、トレビの泉と真実の口、アルベロベッロの3か所です。
 言うまでもなく、前の2つはローマの市内にある超有名観光スポットだ。

 そんなわけで、失礼ながら、かなり食傷気味のアルベロベッロだったが、今回はちょうどお祭りの最中ということで、これまでとは違った雰囲気を味わうことができた。
 また、現地在住のNさん夫妻のおかげで、素朴でしかし清潔なトルッリのレジデンスに泊まることができたし、夜遅くまで飲んで話すことができたのは、望外の喜びであった。

電飾とおやじ軍団

 日曜日ということもあって、町は観光客でいっぱい。昼間の中心街は、まるで新宿か渋谷のような混雑であった。
 夜になっても、周辺の町や村からの人も含めて大賑わいである。仮設の遊園地ができて、夜遅くまで子どもたちの歓声が聞こえ、広場ではロックコンサートが開かれていた。
 もちろんイタリア名物、とくに南イタリア名物の「おやじ軍団」は、朝から晩までヒマ人パワー全開である。

 それにしても、こんな賑やかなアルベロベッロは初めてである。電飾は、前夜祭から合わせて3日間、少しずつ点灯する数を増やしていくとのこと。残念ながら2泊の滞在では、全点灯を見ることはできなかった。

2006-09-29

変わったような変わらないようなバーリ

 9月23日午後11時近くにバーリ(Bari)空港到着。そこから、タクシーで都心のホテルに向かう予定である。
 一人旅ならばまだしも、今回は妻、義母、妻の友人S嬢という、女性3人を連れてのツアコン同様の状態。深夜、バーリ、ツアコンという三重苦に、私は旅行前から気の重い導入部であった。
 しかも、ローマ空港出発時には、「お客様が一人まだいらっしゃらないので、出発は15分から20分遅れます」との機内放送。
 週末最終便に乗り合わせた満員のイタリア人から、「ふあお」とコーラスでため息がもれた。それを聞いて、連れの3人は大喜びであった。

聖ニコラ教会前

 バーリ空港の建物に入ってびっくり。あのバスターミナル並みのボロい建物は、すっかりと新しくきれいになっているではないか。
 着くまでは、タクシーの客引きをどう振り払う不安だったが、それも杞憂だった。タクシー乗り場に直行すると、屋根に「TAXI」という行灯をつけた新車のタクシーが3台客待ち状態。
 妻と義母がさっそく行方不明となったが、出口近くのショーウィンドーを見ていたのであった。天下泰平である。まったく人の気も知らないで……。
 
 われわれが乗り込むと、30歳前後の運転手はメーターを押して発車した。
「空港が変わったね」と言うと、「2年前にすっかり新しくなったんですよ」と答える。
 4年前はでこぼこの道を、定刻より30分以上遅れたバスで中央駅方面に向かったのだが、今回は都心近くまで新しくなった道を、タクシーが120キロで飛ばしていった。

 新しくなったのは空港や道路だけではなかった。バーリ駅前のホテルは内装もすっかり新しくなり、部屋の入口はICカード化されていた。

 そして翌朝、バーリの旧市街を散歩。実は、旧市街は25年ぶりの訪問だ。なにかと治安がとやかく言われる場所で、これまた連れのいる身には一抹の不安があったが、からっと晴れ上がった空のもと、いかにものんびりとした空気が流れていた。

バーリのダーク・ダックス?

 昼前の旧市街でカメラを構えていると、近くのバールの前にいた60くらいのおじさんが話しかけてくる。なんだと思ったら、写真を撮ってくれという。
 店内にいた友人らしき3人を呼び出して、おっさん4人の撮影会となった。
 写真を撮ってくれなんて、20年前のインドじゃあるまいし……と思っていたら、「それはデジカメだろ。あとでEメールで写真を送ってくれ。メールアドレスはこいつが持っているからな」と、最初のおじさんが言う。
 ずいぶん変わったような変わらないような、旅行初日のバーリであった。

2006-09-17

松代の町並み

 松代(まつしろ)という地名を聞いて、まず私の世代が思い出すのは、1960年代なかばに起きた「松代群発地震」である。
 戦中派の世代だと、松代大本営跡か。もっとも、戦時中にそんなものをつくっていることを知っている人なんて、かなり限られていただろうが。本土決戦となったら、ここに大本営だけでなく、政府機関も皇居も置こうとしたのだから、いやはやなんともである。

松代の武家屋敷

 でも、松代の本当の魅力は、江戸時代の松代藩の雰囲気を残す武家屋敷である。
 町並み観光では、近くにある小布施に遅れをとったが、町内の施設はかなり整備され、観光バスや観光客もちらほらと見受けられた。

 1984年に来たときは、漆喰や柱に危ないまでの年季が感じられた家も多く、それはそれで味わい深かったのだが、それもすっかり修復されていた。道路もきれいに舗装され、道端に花が植えてあったりする。

2006年の横田家住宅

 まあ、町並みが大切にされるのは大変喜ばしいことだが、自然のままの昔の様子もよかったなあと思い出す、へそ曲がりな私である。
 家に帰って昔の写真を見てみると、たまたま同じ家の門を撮った写真があった。旧横田家住宅の門で、いまでは、昔の武家屋敷を偲ぶ家として、一般公開されている。

1984年の旧横田家住宅

 上の写真が現在の姿。下の写真が22年前の様子である。
 1986年に国の重要文化財に指定され、保存修理工事ののち、1992年から一般公開されたのだそうだ。
 母屋は茅葺きの立派な建物で、土蔵もそのまま残っている。

2006-09-15

長野・松代駅

 仕事で長野の松代を訪問。昔来たときは、長野県松代町だと思っていたのだが、いつのまにか長野市内になっていた。
 それにしても、東京から長野まで、新幹線で1時間半というのには、改めてビックリ。
 学生時代は夜行列車を使ったこともあったのに……。1時間半なんて、東京都内をうろうろしているうちに経ってしまう。

松代駅

 用務先は、長野電鉄の松代駅前にあるのだが、松代駅のある河東線は、長野駅からは不便。しかも、1時間に1本走っているかどうかという、超ローカル線なのである。
 で、長野駅から30分おきに出ているバスに乗り、約30分かけてやってきた。


松代駅の駅舎内

 約束の時間まで、ちょっと間があったので、駅をじっくり見ることにした。
 昔の私鉄ローカル線では、どこでも見られたような、こぢんまりとした駅舎にホーム。いまでは貴重な存在となってしまった。
 この駅では、20年前に下車したはずなのだが、記憶にない。当時は、さして珍しくもない駅だったからだろう。

屋代行き電車

 やがて、ステンレス製のワンマン電車がやってきた。
 少し前まで、東京の地下鉄日比谷線を走っていたやつである。
 六本木や秋葉原の地下を走っていた電車が、いまではたったの2両編成となり、のんびりと単線を走っているのを見るのも趣深いものである。

2006-09-02

徳山に日帰り

 8月31日は仕事で山口県の徳山に。
 東京からなんと日帰り。行きは新幹線、帰りは山口宇部空港からB777-200。現地滞在は3時間ほどであった。
 街中の写真をとる余裕もなく、こんな写真しかない。

徳山駅

 徳山というと、折しも徳山高専で殺人事件が起き、犯人らしき男が逃走中ということで、町じゅう大騒ぎだそうである。
 同行の男性は新聞社系列の出版社に属しているため、社名を告げて領収書をもらった旅行代理店では、取材に訪れたのかと勘違いされた。
「さっき、逃走に使ったバイクがこの事務所の裏にあったとかで、ずいぶん人が集まっていましたよ」と、愛想がよくて親切だが、仕事の手順に少々難のある、しかしかわいい女性は言う。
 まあ、仕事の手順の件は、単にのんびりしているからなんだろう。空港までの行き方を教えてもらっている間に、飛行機が満席になることもなく、無事に航空券は発券された。

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著書

  • 社会人に絶対必要な語彙力が身につく本[ペンネーム](だいわ文庫)
  • 『ようこそシベリア鉄道へ』(天夢人)
  • 『定点写真でめぐる東京と日本の町並み』(青春出版社)
  • 『日本懐かし駅舎大全』(辰巳出版)
  • 『鉄道黄金時代 1970s──ディスカバージャパン・メモリーズ』(日経BP社)
  • 『国鉄風景の30年―写真で比べる昭和と今』(技報堂出版)
  • 『全国フシギ乗り物ツアー』(山海堂)
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