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2006年5月の7件の記事

2006-05-31

神楽坂・何の変哲もない風景

 神楽坂というと、裏通りに点在する粋筋の店が有名で、休日にもなると、カメラを持って撮影する人も見かける。
 それにくらべて、神楽坂の表通りはここ20年ほどでだいぶ変わってしまい、昔の面影はほとんどない。

神楽坂上

 でも、そんなごく普通の、何の変哲もない風景も、20年後には懐かしさとともに思い出すのかもね。
 実は、そんな気分で、学生時代に撮ってきた東京の写真を、いまになってホームページに掲載しているが、きのう神楽坂の表通りを歩いていたら、久し振りにそんな心持ちがよみがえってきた。

神楽坂上あたり

 久しぶりにモノクロフィルムで写真でも撮るかあ。
 木村伊兵衛かアンリ・カルティエ=ブレッソンを気取って……などと思った夕方であった。

2006-05-24

新宿六丁目あたり

 大繁華街新宿にあって、明治通りより東側は、まだまだ雑然とした雰囲気が残っていて好ましい。

新宿六丁目

 飲み屋が並んでいる二丁目から北に折れ、五丁目、六丁目あたりを徘徊。このあたりには、いまでも普通の民家が建ち並んでいる。
 大江戸線の東新宿駅から地下鉄に乗ろうと、さらに北に向かって歩いていくと、七丁目の明治通り沿いは広々とした更地になっていた。十年ほど前に来たときは、なかなか味わい深い町が広がっていたと記憶しているのだが……。
 そのときは、牛込からずっと写真を撮りながら散歩してきたのだが、はたして七丁目あたりでは写真を撮ったかどうか。さっそく確認してみなくちゃ。

2006-05-17

『どどいつ入門』

「どどいつ(都々逸)」と聞くと、お座敷で粋な年増がチトテンシャンなどと三味線を弾きながら、男と女の色っぽいネタを歌う……そんな印象を持っている人も多いだろう。私もそう思っていた。
 もちろん、それもまた「どどいつ」の一つの顔には違いないのだが、この本を読んで、「どどいつ」にはもっと広い世界があることを知った。

『どどいつ入門』

 そもそも、「どどいつ」が、七七七五という、定型の短い詩だということも、恥ずかしながら知らなかった。
 そう、「どどいつ」は短歌や俳句の仲間なのである。そんなことも書いてはあるが、けっして学術的な堅苦しい本じゃない。誰でも手軽に読める楽しい読み物になっている。

 でも、どうつくっても「どといつ」のネタは下世話な話になるんだよなあ。なぜなんだろう。
 勝手に推測するに、七七七でくどくどと説明しておきながら、最後の五でビシッと決めるという形式が、人間生活を表現するのに合っているのかもしれない。

 とはいえ、俳句だってもともとは卑俗なものだったのを、江戸時代の俳人が芸術の域にまで高めたものだ。それならば、現代で「どどいつ」を極めれば、後世に名を残す存在になるかもしれない。「どどいつ中興の祖 二邑亭駄菓子」なんて、なかなかいいかもね。

 いずれにしても、この本を読むと、誰でもすぐに「どどいつ」をつくりたくなることだろう。
 最後には、現代の「どどいつ」の一つの形として、「折り込みどどいつ」も紹介されている。ネットで調べれば、そのやり方はすぐにわかるだろう。ぜひ、お試しあれ。

(発行:徳間書店、著者:中道風迅洞、定価:1500円+税、初版発行:1986年10月31日、ISBN4-19-403341-8)

2006-05-13

飯田橋・富士見のネコ

 飯田橋駅南側、富士見二丁目の再開発工事が、そろそろ本格的になろうとしている今日このごろ。
 再開発地と従来からの町の間の裏通りを歩いていると、店番をしているかのようなネコがいた。

店番をする? ネコ

 カメラを向けても堂々としたものである。カメラ目線で付き合ってくれた。
「ヒマなやつもいるもんだ」と見透かされているような気分。

2006-05-06

つつじ色に染まる駒込駅

 今年も駒込駅のつつじが満開になった。
 外回り側は、駅の改良工事のために半分ほどが引っこ抜かれてしまったが、残ったつつじがけなげに花を咲かせている。

駒込駅に到着した電車

 駅にステンレス製の電車が入ってくると、花の色を反射して、ホームが一瞬つつじ色に染まるのが見事だ。
 どんなラッピング広告よりも印象的。
 反射率の高い窓ガラスには、つつじの花がくっきりと写っている。

2006-05-05

大阪湾岸・渡し船めぐり

 5月1日は真夏のような日射し。
 そんななか、大阪滞在を一日延ばしてまで決行したのが渡し船めぐりであった。

 いま、大阪市内に残る渡船は8か所。かつては市内のあちこちにあったようだが、現在残っているのは、すべて大阪湾に近い工場地帯のなかだ。

木津川渡船場

 渡し船といっても、♪村の渡しの船頭さんは~……という歌に出てくるような手漕ぎの木造船ではない。
 大阪市の職員(あるいは嘱託?)であろう、おじさんやお兄さんが2人ずつ、エンジンつきの船を操る。
 周囲も大半が殺風景な工場ばかり。
 だが、そこにはやはり「渡し船」という情緒がただようのであった。

千歳渡船に乗り込む

 8か所ある渡船は、お互いがそう遠くないことだし、地下鉄とバスを使えばラクラク半日で回れる……と思ったのは大間違いであった。
 なにしろ、どこの乗り場も、最寄りのバス停や駅から10~15分ほど歩かなくてはならない。
 しかも、1日は5月早々とは思えない夏日。
 最後には頭がくらくらしてきた。
 渡し船の乗客のほとんどが自転車利用者だったのも、わけがあったのである。

千本松渡船

 それにしても、どの渡し場もフォトジェニック。船を待っている間、目の前を通っていく貨物船やだるま船を眺めているのも楽しい。
 朝10時前に天王寺の宿を出たのだが、結局、最後の天保山渡船に乗り、対岸のJR桜島駅にたどり着いたのはちょうど18時であった。
 我ながらご苦労なことである。

落合下渡船

 ルートは短いものが75メートル、長いものでも400メートル程度。あっというまに対岸に着いてしまう。
 そんな短ければ橋をかけたほうがいいではないかと思ったが、大きな船が川を通るために、けた下の高い橋をかけなくてはならない。
 それならば、船を走らせたほうが得だということだろう。実際に高い橋をかけたところもあるのだが、自転車でけた下60メートルなんて橋に登り降りするのは大変だ。だから、うれしいことに、まだまだ船の存在価値はありそうだ。
 しかも、運賃は無料。おまけに、私のようなもの好きな人間のために、「大阪の渡し場いまむかし」というパンフレットまで用意してくれていた。
 どのルートもきちんとした時刻表があって、だいたいが1時間に3~4便ほど出ている。

2006-05-04

大阪・新世界界隈

 4月30日は大阪でちょっと仕事。
 連休であるにもかかわらず、天王寺に宿をとることができた。
 仕事の前に、26年前に写真を撮った場所に行ってみることにした。
 そこは、地下鉄恵美須町の出口近く、通天閣が見える商店街である。

通天閣

 下のモノクロ写真は、1980年に撮影したもの。
 通天閣に記された広告が、「日立ルームエアコン」が「日立プラズマテレビ」となっていることに、時代の変化を感じる。
 商店街の雰囲気、そこを歩く人の様子にも、四半世紀のへだたりを感じるのであった。

通天閣1980年
通天閣1980年
 そして、夜の天王寺駅。  阪和線の始発電車のホームは、昔のままの行き止まりホームであった。  東京の上野駅もそうだが、こういう形のホームはどこか郷愁をそそる。
天王寺駅

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著書

  • 社会人に絶対必要な語彙力が身につく本[ペンネーム](だいわ文庫)
  • 『ようこそシベリア鉄道へ』(天夢人)
  • 『定点写真でめぐる東京と日本の町並み』(青春出版社)
  • 『日本懐かし駅舎大全』(辰巳出版)
  • 『鉄道黄金時代 1970s──ディスカバージャパン・メモリーズ』(日経BP社)
  • 『国鉄風景の30年―写真で比べる昭和と今』(技報堂出版)
  • 『全国フシギ乗り物ツアー』(山海堂)
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