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2006年3月の3件の記事

2006-03-29

沖縄・ちゅら海水族館

 3月18~21日、母、義母、弟、妻(年齢順)を引き連れ、5人で沖縄旅行。
 世間では飛び石連休なる日程で、行き帰りの飛行機は満員だったが、幸い座ることができて(当たり前)、那覇を振り出しに、石垣、竹富を巡る旅を楽しむことができた。

 18日は那覇空港に昼到着して、那覇泊。
 ぶらぶらと散歩をして、夕方にウマいものを食べようという予定だったのだが、那覇に着くやいなや、義母がいきなり「ちゅら海水族館っていうのに行きたい」と言い出す。
 そこで、1日早く那覇に着いていて、空港に出迎えに来てくれた弟と相談。レンタカーを借りて、弟の運転で本島北部の水族館まで飛ばすことにした。

世界最大の水槽

 この水族館について、いまさら私がコメントをする必要もないだろう。世界最大の水槽と、世界最大のアクリル板を使っているとかで、確かにデカかった。ジンベイザメも見た。
 ちなみに、この写真は、前景に見物客のシルエットを配したところに工夫があるのだ……。

 それにしても、夕食は18時半に予約を入れてある。おかげで、現地滞在は1時間というあわただしさ。
 しかも、水族館前に着いたとたん、スコールの歓迎を受けて、びしょぬれになるというおまけつきだった。

 まあ、それでもたくさん魚を見たし、ちょっとしたドライブを楽しむことができた。
 名護での遅い昼食には、おととしの旅で知った道路沿いの沖縄そば屋にみんなを連れていき、ちょっぴり面目を保つこともできた。

「水族館って、こんなに遠かったんだねえ。知らなかったわー」
 名古屋弁で語る義母に対して、私と弟は、微笑みで答えるしかなかった。

2006-03-14

南イタリアで廃線探訪

 何も、好きでカラーブリアで鉄道廃線跡を探訪したわけではなかった。
 モラーノ・カラブロのバス停が1年前と変わっていたために、カストロヴィッラリに戻るバスに乗り遅れ、次のバスまで1時間つぶさなければならなかったからだ。
 まあ、それを幸いに、前年に見損なった廃線、廃駅跡がどうなっているか、訪ねてみることにしたというわけである。

駅と給水塔の跡


 場所は、モラーノの山のふもとにあるバス停から、駅前通りという名前とはうらはらの、何もない寂しげな道を下ること10分。
 かつて、蒸気機関車が使っていたであろう給水塔が見えてきた。左側にはホームの塀が見える。

 正面に見える建物は駅舎だろうか。このほかに、事務所らしき建物も近くに残っていた。

鉄道橋の跡


 道端に放牧(?)されている山羊に、不審な目を向けられつつ、さらに線路跡をたどると、未舗装の狭い道路を越える小さな橋が残っていた。

 この鉄道は、サレルノとポテンツァ、メタポントを結ぶ国鉄線から、シチニャーノで南に分かれ、ラーゴネグロ、モラーノを経由してカストロヴィッラリに至る支線であった。
 ラーゴネグロ以南はかなり前(30~40年前?)に廃止され、ラーゴネグロ以北も鉄道時刻表には載っているものの、全列車にバス代行マークがついている。

モラーノの山裾を通る廃線跡


 廃線跡は、モラーノの山裾を通ってラーゴネグロに向かう。反対側(写真の右側)はずっと開けた盆地が続き、その向こうに雪をかぶった山々が見える。
 列車からの眺めはさぞかし絶景だったことだろう。

 カストロヴィッラリのバスターミナルの片隅には、当時使われていた蒸気機関車が保存されている。
 機会があったら見てほしい……なーんて、そこまで行くヒマ人がどれだけいるかわからないが。

廃線跡とネコ


 モラーノの駅舎(あるいは事務所)跡らしき建物には、人が住んでいるようだった。
 そして、飼い猫だろうか、数匹が日向ぼっこしていた。

【2005年11、12月カラーブリア旅行記総集編・完】

2006-03-08

イタリア鉄道の新車

 昔のイタリア国鉄の「サービス」を知っている人にとって、ここ数年の変化は驚くべきものだろう。
 車内の丁寧な放送、無人駅の到着案内など、日本では当たり前のことでも、イタリアでは画期的なサービス向上である。

ミヌエットがロザルノ駅に到着

 それというのも、イタリア国鉄の組織改編が大きく関係しているようだ。

 現地からのブログでは混乱してしまったが、「鉄道ジャーナル」2月号によれば、上部組織としてのFS(Ferrovie dello Stato--国鉄)は存在しているものの、その下部はいくつもの組織に分けられているようだ。

 で、実際の運行はTrenitalia(トレーニターリア)が、そして施設や路線はRFI(Rete Ferroviaria Italiana--イタリア鉄道網)が管理している……らしい。

 まあ、そんな能書きはどうでもいいのだが、オンボロの車両が幅を利かせていたローカル線にも、新しい車両が走っていた。
 それが、この「ミヌエット」である。ミヌエット(Minuetto)とは、音楽の時間によく出てきた舞曲「メヌエット」のイタリア語読み。同じスタイルで、電車とディーゼルカーの両方があるそうだ。

おしゃれなミヌエットの車内

 RFIのサイトの説明によれば、デザインはジュージアーロ、製造はドイツのアルストム社とのこと。
 これまでのフィアット社製のオンボロディーゼルカーとは、段違いの性能と乗り心地であった。

 もちろん、ドアは低床となっていて、ホームからほぼ段差なしで乗り込める。
 これで、イタリアの鉄道のイメージも少しはよくなるかもしれない。

 そして、下の写真は、幹線を走る新しい客車の車内である。
 以前、中距離以上を走るイタリアの客車というと、6人掛けのコンパートメント(個室)方式のものがほとんどだった。
 見ず知らずの人が、同じコンパートメントに乗り合わせて、政治談義やふるさと自慢に花を咲かせているのを見て、さすがおしゃべりのイタリア人だと感心して見ていたものである。

新しい客車の車内

 私が少々イタリア語を解するとわかると、それこそ機関銃のように会話が浴びせ掛けられる。もちろん、楽しいときもあったが、疲れているときには多少の苦しみも味わったものであった。

 そんなイタリア人気質も徐々に変わってきているのか、コンパートメント方式の客車が急速に減っていることを感じる。

 それで、この写真の車両であるが、開放式になっているものの、通路を中央にもってこないで、端にしてあるのはおもしろい。コンパートメント方式の名残だろうか。
 座り心地もよく、クッションもふかふか。同じ3人掛けでも、新幹線のあれとは大違いである。
 よく考えると、新幹線の普通車は、1列に5人だものなあ……。

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著書

  • 社会人に絶対必要な語彙力が身につく本[ペンネーム](だいわ文庫)
  • 『ようこそシベリア鉄道へ』(天夢人)
  • 『定点写真でめぐる東京と日本の町並み』(青春出版社)
  • 『日本懐かし駅舎大全』(辰巳出版)
  • 『鉄道黄金時代 1970s──ディスカバージャパン・メモリーズ』(日経BP社)
  • 『国鉄風景の30年―写真で比べる昭和と今』(技報堂出版)
  • 『全国フシギ乗り物ツアー』(山海堂)
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