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2006年2月の9件の記事

2006-02-21

カラーブリアのネコ

 イタリアの旧市街では、どこもネコが元気である。
 とくに、車の入れない路地は、野良ネコの天国だ。

 同じ南イタリアでも、シチリアではやせ細ったネコばかり見たが、カラーブリアでははずいぶん元気そうなネコが多かったのが印象的である。
 ネコに対する住民の意識が違うのか、それとも単なる偶然なのかは、いまだ不明である。

ニコーテラのネコ


 1枚目は、トロペーアの南にある山岳都市・ニコーテラで見たペルシャ猫らしきネコ。
 さすがにこれは飼い猫だろう。
 目の色と後ろの扉の色が同じことに注目!

サン・ソスティのネコ


 次は、私がバスに乗り損なった町、サン・ソスティのネコ。
 私が呼び止めると、面倒くさそうに振り返った。

トロペーアのネコ


 観光地トロペーアのネコは、客がテーブルに座っていると、近くに寄ってくる。
 おこぼれを待っているのだが、何もあげなかったら、プイとどこかに行ってしまった。

シッラのネコ


 シッラの港の前にいたネコは、私と妻がカメラを構えている間、ずっとポーズをとってくれた。

2006-02-19

鴬谷駅北口の夕暮れ

 山手線の駅のなかで、ほかの路線(JR、私鉄、地下鉄、路面電車)に連絡していない駅は、目白、新大久保とここ鴬谷だけになってしまった。
 その分だけ、ほかの駅とくらべて、静かでゆったりとした時間が流れている感じがする。まあ、目白や新大久保は人が多いので、そうでもないが……。

鴬谷駅北口

 なかでも、この北口は改札を出ると、すぐに小さな商店街が目の前に広がる。
 この庶民度は、山手線のなかでも、駒込駅東口と並ぶものだろう……なんて勝手にランク付けをしている私なのであった。

 イタリア・カラーブリア周遊記総集編は、まだ続くのでご安心(?)を。

2006-02-18

チンクエチェントよ永遠に

 イタリア語で「チンクエチェント」といえば、数字の500のこと。
 でも、普通名詞として(ま、ホントは固有名詞だけど)、「あ、チンクエチェントだ!」とか「チンクエチェントがいるぞ」などというときは、フィアット社製の排気量500ccのかわいい車を指すことになっている……はず……だと思う。

セッラ・サンブルーノを走るチンクエチェント

 すでに製造中止になっているが、その人気は抜群で、まだまだイタリア全土でその姿を見ることができる。
 一時は、ずいぶん数が減ったという印象があったのだが、南部をうろうろ旅行していると、よく目にすることができる。

 私自身は車にはさほど興味はないのだが、自分で買って乗るとしたら、フェラーリか昔のアルファロメオのジュリエッタ(あっという間に見なくなった)か、チンクエチェントかな。

シッラの町なかで見たチンクエチェント

 個人的には、その昔、語学学校のうら若き女の先生が乗っていたチンクエチェントが印象的である。
 目が青く、背も高い、北方ヨーロッパ系と見える先生が、授業が終わると、さっそうと……いや、クッと背をかがめて小さな車に乗り込み、エンジンの音は軽やかでなく、バタバタという音を残して去っていく姿はユーモラスだった。

 日本でも、ごくたまに目にすることがあるが、さぞかしメンテナンスは大変だろう。

サン・ソスティのチンクエチェント

 聞くところによると、イタリアではチンクエチェントを「保護」する法律ができたとのこと。
 もちろん、表面上はそんなはっきりと記されているわけではないようだが、誰がどう見てもチンクエチェントの持ち主を優遇するものらしい。
 旧市街の狭い道をちょこまかと走っている姿が、まだまだ見られそうである。

2006-02-11

ストロンボリ

 「ストロンボリ」という名前を聞いて、「ああ、あの映画か」とピンとくる人は、かなりの映画好きかもしれない。
 私は、とくに映画好きというわけではないが、「無防備都市」や「戦火のかなた」で有名なイタリアのロベルト・ロッセリーニが監督をして、かの有名なイングリッド・バーグマンが主演した映画というので、どこかの名画座だったか、イタリア映画の鑑賞会だったかに見にいったことがある。

夕焼けのストロンボリ

 なにしろ、バーグマンがロッセリーニ監督の映画を見て、いっぺんに惚れ込み、夫と子を捨ててロッセリーニのもとに走ったというエピソードを聞くと、見ねばなるまいと思ったわけだ。

 あらすじはといえば、戦争難民となってイタリアの収容所に入れられたリトアニア出身の女性(バーグマン)が、収容所を脱け出すためにストロンボリ島出身の男と結婚。
 彼の出身地である島にいってみたら、古い因習と、活火山をかかえる過酷な自然に直面して苦労したという話である。
(この説明じゃ、身も蓋もないか)

 どうも、バーグマンと結婚してからのロッセリーニの映画は評判がよくないが、この映画も当時の批評はさんざんだったと聞く。
 確かに、それまでのロッセリーニの映画とくらべると、タイプはまったく違うのだが、そこまでひどい駄作とも思えない。
 まあ、いずれにしも、バーグマンの存在感はさすがで、また、それとともに画面に映し出された野性的なストロンボリの姿は魅力的であった。

 もっとも、避難民のわりには、一寸の隙もなく化粧をしているバーグマンを見て、ちょっと違和感をもったが、まあ許そう。
 なんといっても、あの「カサブランカ」の主演女優バーグマンだから。

トロペーアから見たストロンボリ

 まあ、そんな記憶を頭の隅において、カラーブリアの西海岸から見たストロンボリの姿は格別であった。
 よーく見ると、山の上から噴煙が出ているのも見える。
 西海岸を走る列車の窓から、ずっとストロンボリを眺めていても飽きなかった。

 そういえば、ラメーツィア・テルメからローマに向かう帰りの飛行機の窓からは、シチリアのエトナ山とストロンボリとが、ともに頂上から噴煙を出している姿が眺められたっけ。
 実に見事な光景だったが、もうカメラは収納棚の中にしまってあったので、写真に撮ることができなかったのは残念である。

2006-02-09

芸術的洗濯物

 イタリアに行くと、どうしても写真の数が予定をオーバーしてしまう。
 今回は、フィルムカメラ(ポジフィルム)とデジカメの2台を持って行ったが、フィルムは途中で使い切ってしまい、最後の数日はデジカメ1本になってしまった。

セッラ・サン・ブルーノ旧市街の洗濯物

 出来ばえを考えると、まだまだまだまだデジカメはポジフィルムにかなわないのだが、なにしろいまやフィルムを売っている店が少ないのだから、しかたがない。

 さて、フィルム消費の大きな原因は、言うまでもなく、どこを撮っても絵になってしまうこと。
 こんな、町なかの洗濯物でさえ、サマになってしまうのがニクい。

セッラ・サン・ブルーノ新市街の洗濯物

 もっとも、今回の旅では、洗濯物アートというほどのものは発見できなかったのは残念だ。
 イタリアのネコ写真とともに、洗濯物写真もライフワークにするか……でも現地の人には嫌がられそうだなあ。

2006-02-06

カラーブリアの大教会

 カラーブリアの教会といっても、日本ではほとんど知られていない。
 日本のガイドブックでは、せいぜい、このレッジョ・ディ・カラーブリア(Reggio di Calabria)のドゥオーモが小さく紹介されている程度である。

レッジョ・ディ・カラーブリアのドゥオーモ

 イタリア人の間でも、たいして知られていないに違いない。
 そんななかでも、まあまあ有名らしいのが、11世紀から建築がはじまったとというロマネスク・ビザンチン様式のジェラーチェ(Gerace)のカッテドラーレ。
 中部イタリアのオルヴィエートでも感じたが、よくもまあ山岳都市の上に、こんな大きな教会を建てたものである。

ジェラーチェのカッテドラーレ

 それにしても、ジェラーチェの教会は、周囲が幅数メートルの狭い道ばかりなので、写真で全貌を写しとるのがほとんど不可能である。興味のある方は、実際に行って見ていただきたい。
 正面入口前の広場は、坂道になっている上に、扇形をしているので、上の写真のように、不思議な感覚である。
 地面に描かれた模様は、狭い広場を少しでも広く見せるための工夫だろう。

 もう1つ紹介するのは、ジェラーチェのふもとの海岸沿いにある町・ロークリ(Locri)。
 この町には、いくつもの教会があるのだが、中心部近くにあって威風堂々としていたのがこれ。
 名前をメモしてくるのを忘れたが、このゴテゴテぶりはなかなかのものである。

ロークリの教会

 カラーブリアの宗教建築といえば、これを忘れてやいませんかと怒られそうなのが、スティーロ(Stilo)のカットーリカ。
 これは、2004年に行っているので、 ここ をご覧いただきたい。

2006-02-05

南イタリアの小さな教会

 イタリアの教会というと、誰もがフィレンツェやローマ、ミラノにある立派なものを思い浮かべるだろう。
 そんな意識があると、なんとも南イタリア--とくにカラーブリアの教会は物足りなく感じるかもしれない。
 外側がごてごてして、いかにも風格のある北・中イタリアの教会にくらべ、南の教会はやけにさっぱりしていて、異教徒の旅行者の目から見ると、正直なところ、あまりありがたみのないものが多いのだ。

セッラ・サン・ブルーノの聖ロッコ教会

 とはいえ、なかには心に残った教会もいくつかある。
 そんななかから、今回は「小さな教会」を2か所。

 上の写真は、旅先からのブログでは、「南のアッシージ」と私が勝手に呼んだ内陸の町、セッラ・サン・ブルーノ(Serra San Bruno)にある教会だ。
 町中には、立派な教会がいくつもあるが、私が気に入ったのは、町の北のはずれにある「聖ロッコ教会」(Chiesa di San Rocco)。 
 古い礼拝堂の跡に、19世紀末に建てられたものだそうだが、こぢんまりして素朴な感じの教会だ。
 周囲には木が生い茂り、横の道路を走る車が、たまに静寂を破っていく。

ニコーテラの教会

 下の写真は、ニコーテラ(Nicotera)の急坂の途中で見かけた教会。
 新しい無名の教会なのだが、このデザインがなんともかわいい。
 色使いがおしゃれだし、なんといっても、正面が人の顔に見えるのがおもしろい。

 バックの海はアドリア海。教会で隠れているが、海の向こうにはエオリア諸島やストロンボリ島も一望できる。

2006-02-03

イタリア本土とシチリアを結ぶ船

 イタリア本土の「爪先」に位置するレッジョ・ディ・カラーブリア(Reggio di Calabria)からは、シチリア島が目と鼻の先に見える。
 この間に横たわるメッシーナ海峡に橋を架けることが、最近になって決定したそうだが、イタリアのことだから、はたして完成はいつになることやら。

 いまは、イタリア鉄道(旧国鉄)の高速船が35分で結んでおり、今回はそれに乗る機会があった。
 ほかにも、私営の高速船やフェリーの便もあるようだ。

レッジョからメッシーナに向かう高速船

 だが、この航路とは別に、レッジョの北にあるヴィッラ・サン・ジョバンニ(Villa San Giovanni)からメッシーナ(Messina)まで、イタリア鉄道の連絡船が就航しているのは、旅行者にはよく知られている。

 というのも、この連絡船には列車ごと載せてしまうからだ。
 だから、北イタリアからシチリアまで乗り換えなしでたどりつくことが可能である。
 ちなみに、日本でも以前は客車を船に載せていた時期があるが、台風で青函連絡船の洞爺丸が沈没してからは、やらなくなったと記憶している。

 いまから25年前、私もシチリア行きの長距離列車に乗ったことがある。
 いやはや、その作業の面倒なこと。
 列車の編成は長いものだから、何両かずつに分割して船に載せることになる。

 このとき、何度も機関車が入れ換えをするものだから、時間がかかってしょうがない。
 しかも、船から降ろすときは、また客車を引き出して連結して……と逆の作業をする。
 シチリア発着の列車は、たいていここで20分くらいの遅れを出すことになっていたものだった。

連絡船

 その列車に乗っていると、客車ごと船倉に入っているために車内は暗く、ずっとトンネルの中にいるようで落ち着かない。
 かといって、荷物を置いて甲板に出たら不用心だし……などと思っていたが、二度目には度胸が据わった。
 どこにも逃げられない船の上で、クソ重い荷物を盗むやつもいないだろうと思い、貴重品だけを持って甲板に出たのである。

 そこで見た空と海の青さ、そして風の爽快さは忘れられない。
 そして、「アランチーノ」なる食べ物を初めて見たのも、その船の甲板のバールであった。

 そんな経験から四半世紀、再び、その連絡船に乗ることができた。
 とはいえ、メッシーナからヴィッラ・サン・ジョバンニの所要時間を見たら1時間半以上。
 実際に海の上にいるのは20分程度だから、あとは積み込み、積み出しの時間である。

--こりゃ付き合いきれん。

 どうにかならないものかと、妻と列車を降り、徒歩で船の乗り場に行ったところ……。

 なんと、20分おきにフェリーが出航しているではないか。
 おかげで、乗ってきた列車が、まだ積み込みの用意も終わっていないうちに、めでたく本土に戻ることができたのであった。
 ちなみに、この航路のフェリーは、どれも列車の積み込みが可能のようで、写真のように船倉にレールが取り付けられていた。

2006-02-01

山岳都市の階段路地

 山岳都市のなかを通る道は、坂道だけではない。公道が階段となっていることも多いのだ。

ティリオーロの階段道路

 日本でも、青森の龍飛岬には階段の国道もあるし、尾道の市内は階段だらけではある。
 まあ、あんな階段の道が、そこらじゅうにあると思っていただきたい。

 最初のうちは、うっとうしいと思っていた階段路地(階段道路)だったが、階段になっていない急坂を走って昇り降りして理解できた。
 あまりの急坂になると、ひざががくがくしてたまらない。
 むしろ、階段になっていたほうが楽なことに気がついたのだ。
 そんな目で見ると、狭くて急な階段路地も、味わいがあるように見えてくる。

サン・ドナート・ディ・ニネーアの階段路地

 こんな町にいると、バリアフリーもユニバーサルデザインもあったものではない。
 むしろ、毎日こういう道を歩いていたら、足腰が鍛えられて丈夫になるかも。
 でも、体が本当に動かなくなったら、さすがに困るだろうなあ。

 そして、山岳都市の町中で写真を撮ると、どうしても縦位置になってしまうのであった。

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