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2005-12-01

偉大な田舎・メーリト

 天気予報とにらめっこして、結局、27日はイオニア海を南に向かうことにした。そこには、晴れていないと行けないような場所が山の中にあるのである。
 そこがどこかは次の話でわかるとして、目指すベースキャンプの地はメーリト・ポルト・サルヴォ(Melito Porto Salvo/以下メーリト)に決定。イタリア本土のほぼ最南端にあたる町である。

 日曜日ともあって、ソヴェラートからメーリトへの急行列車は、7時台の次が10時54分。しかも、それがバス代行になったため、当然のことながら遅れて到着。
 さらに、各駅前につけるものだから、中心部の狭い道を通るうちに、だんだんと遅れが増していくというしだい。
 運転手は違法(?)駐車に悪態をついたり、客と南北文化の違いについて語り合ったりしながら、午後2時近くにはメーリトに到着した。

メーリトの旧市街の上

 メーリトには、去年もバスと列車の乗り換えで立ち寄った。いかにも田舎臭くてパッとしない町だと思ったが、じっくり見てもやはりそうだった。そのうえ、駅前を歩いていっても、ホテルの看板はおろか広告さえなかった。
 しかたなく、荷物をもって地味な駅前通りを200メートルほど歩いてバールに入る。コーヒーを飲みながら、隣の物知りそうなおじさんに尋ねてみた。

「この近くにホテルはありますか?」
 ふだんなら「いいホテル」と言うのだが、今回は基準をゆるめてみたのである。
 すると、「このねえさんに聞け」と、カウンターの向こうにいる、30がらみの化粧がちょっとハデで、見ようによっては男好きのする女店主らしき人物を指した。
 あえて、女店主を避けておじさんに尋ねたのだが、こうなったらやむを得ない。同じ質問を彼女に繰り返した。すると……

「ここ」
「え? そう、この町で……」
「ここ!」
「そう、ここメーリトでホテルを探しているんですよ……」
「だから、ここがホテルなのよ!」
「へ?」

 まさか、バールの裏側で貸部屋業を営んでいるとは思わなかった。
 ちょっと薄暗いけど、清潔であるし湯もすぐに出てくる。ツイン用なので広さはある。しかも、清潔なトイレとシャワーもついていて、1泊25ユーロというので文句はいえないだろう。私は、ここに2泊することを宣言した。

--なんか、20代の旅行を思い出すなあ。フィレンツェで語学学校に行ったときも、こんな部屋だったっけ。

 だが、その直後、私は大きな失敗に気がついたのだった。

旧市街の壁画

 電話がないのである!
 どこかに電話線がないかと探したが見つからない。電気の差し込み口には、イタリアでは珍しく3股ソケットなんかが差し込んであるのだが、電話線はなかった。

--し、し、しまった。まだ、仕事が終わってなかったのに……。

 そう、イタリアまで持ち込んだ仕事を、月曜日までに終わらせるつもりだったのに、これでは送れない。もちろん、ブログの更新も、メールチェックもできない。

--しかたがない。仕事の締切りは、2日間延ばそう。

 勝手に決めた私であった。
 内心ビクビクであったが、そもそも、この締切りの日も自分で決めたものである。結局、怒られることはなかったから結果オーライ。

 さて、あとはお決まりのコースである。日が暮れる前に、旧市街をぶらぶらして写真を撮り、晩飯を求めて町をうろつくだけであった。
 例のねえさんは、「バールと部屋は独立しているから、鍵は自分で持って出かけてね」という。自分で鍵を持って出かけるのは、変な時間に出入りをしがちな私にとって自由な気分である。
 宿の出入り口は裏通りにあり、確かに「貸部屋」と書いてあった。

 晩飯は近くのピッツェリーアでとることにした。
 だが、どうも、注文を取りに来た女の子の出来がいま一つ不慣れらしく、店主らしいこれまた若い女性があとで確認にくる。
 それでも、食事は順調に進み、ここまで欠食気味だった私は、翌日の山歩きを念頭に入れて、カラーブリア風の前菜に、海の幸のパスタ、そしてステーキまで食べてしまった。

 そして、その直後の出来事である。一通り食事が終わってから、その不慣れな女の子がやってきた。
 そこで私はこう注文した。
「ディジェスティーヴォ(食後酒)をちょうだい」
「はい」と彼女は言って奥に戻っていった。
 食後酒の種類を聞かずに行ったのが、ちょっと妙ではあった。

海辺の教会

 それでも、地元の変わった酒でも出てくるのかと思って期待していると、出てきたものがコップの4分の1ほど入った透明の液体。シュワシュワと炭酸が発生していた。
--水に溶かして飲むイタリアの風邪薬みたいだなあ。

 そう思って試しに飲んでみると、ちょっと甘くてレモンのような味もする。しかし、どう考えても粉ジュースの味である。

「なんだ、これは。東洋人をバカにしているのか」

 私は一人憤慨して、その液体を少し残して店を出ることにした。
 ちなみに、私がものを残すのは、よほどのことである。
 会計のところでは、女店主らしき人が、「アマーロが何種類かあるけど、どれか選んでくださいな」と勧めてくれる。
「おや、ちゃんと食後酒があるじゃないか」と、アマーロの銘柄まではわからない私は、貧乏性を発揮し、瓶の形を見て一番高そうなものを注文したのであった。

 話はこれだけである。
 だが、私の心の底には疑問が残った。あの発泡した透明の液体は何だったのか。

 その夜、歯を磨いて顔を洗ったところで、ふと思いついた。
--あの子は、ディジェスティーヴォという単語を誤解したのではないか。そういえば、食後酒を表すディジェスティーヴォとは、「消化を助けるもの」という意味があるとイタリア語の先生が教えてくれたような記憶がある。
 すると、彼女が持ってきたものは、粉ジュースなんかではなくて、正真正銘の消化薬では……。

 この町に何時間かいるうちに、「メーリトは偉大な田舎だ」ということばが、私の頭をよぎった。大都会レッジョからバス・列車が20分おきに発着して、所要時間が1時間もかからないというのに、ここまで洗練されなさが発揮されているのは稀有である。

 そして、翌朝。たぶん消化薬のおかげで、すっきりと目覚めることができた。山歩きには最高の体調である。
 また教訓も得た。これからは、食後酒がほしいときは「アマーロをくれ」「グラッパがほしい」とはっきり言うべきであると心に決めた私であった。

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イタリアの旅 北から南まで」カテゴリの記事

コメント

もあさん、こんばんは
2週間以上イタリアにいたら、かなり胃が拡張したようです。
日本に帰ってからが恐ろしい。
そうそう、イタリアのつもりでワインや生ハムを注文したら、目の玉が飛び出るほどの値段になるでしょうし……。

きっと、小柄な東洋人がやまほど食べて胃が重くなったから消化薬をくれといってるんだ、ときをきかせた(笑)んじゃないかしら、シニョリーナは。

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