モラーノ、サラチェーナ急ぎ足
残された日数が残り少なくなると、心配をしなくてはならないのが空港にたどりつくまでの道のりである。
ラメーツィア・テルメ空港の出発は4日の午後2時50分である。
そこで、3日の夜は、空港からほど近い大都市であるコセンツァに泊まることに決定。夕方に出る最終の高速バスの時間まで、カストロヴィッラリ周辺の町をめぐることにした。
候補はいくつかあったのだが、ホテルの窓に広がる真っ青な空を目にして、モラーノ・カラブロ(Morano calabro/以下モラーノ)再訪を決める。バスで十数分の距離である。
昨年は妻と行った町なのだが、なにしろ初めてだったので(当たり前だが)勝手がわからず、いま一つ町全体のいい写真が撮れなかったのである。
つまり、写真を撮るためだけに再訪をするというわけで、これはいささか私の旅哲学に反するのだが、まあ誰も文句を言う人はいないだろう--と思っていたら、その安易な姿勢を天に見透かされ、帰りのバスの停留所を間違えるという大失態をやらかしてしまった。
まあ、1時間後に次のバスが来るので、大事に至らなかったのは幸いである。
その分、ゆっくりコーヒーを飲んだり、モラーノの鉄道廃線跡などを探ったりできたので、これでよかったのである。
モラーノからカストロヴィッラリに戻ったのは午後1時過ぎ。貧乏性の私は、まだ別の町を探訪する時間があると判断した。
そして、バスターミナルの時刻表とにらめっこすること数分。サラチェーナ(Saracena)を訪ねることにした。
こちらは、カストロヴィッラリから約20分。前の日に訪ねたサン・ドナートへ行く途中にある町だ。
ここも典型的な丘上都市だが、スケールはモラーノよりもかなり大きい。町の中央をバスが通る道がくねくねと横断し、その両側には4階建て、5階建てという高い建物が建ち並んでいる。
そのため、道路にはあまり日が当たらず、家の壁の色が濃いこともあって、どこか暗い感じのする町である。
旧市街は町の西側に位置しており、細い道が迷路のように連なっている。
道は、あるときは急坂となり、あるときは家の下をトンネルで抜けて、網の目のように形作られている。
詳しくはまだ調べていないのだが、イタリア語で「サラチェーナ」といえば「サラセン」の意味。つまり、この町の原形を作ったのは、かつてこのあたりを支配したアラブ人なのだろうか。
それならば、このカスバのような町のつくりがよく理解できる。
それにしても、こんな狭い地域に、モラーノのようにサラセンを撃退した町があるかと思うと、アラブ風のサラチェーナがあり、さらに昨年訪れたチヴィタ(Civita)やフラシネート(Frascineto)のようなアルバニア色の強い町もある。
知れば知るほど興味深い地域だ。もっと、ゆっくり滞在して調べていくと、おもしろい話も聞けるに違いない。
最後には、サラチェーナの町はずれまで下り、夕日を浴びる町の全景を撮った。バスがいつやって来てもいいように万全の注意を払いながら……。
なにしろ、このバスを乗り過ごすと、今晩中にコセンツァにたどりつけないのだ。
案の定、バスは定刻よりも5分以上早くやってきた。私は必死に手を振って運転手に合図をする。
バス停ではない場所なのだが、田舎のバスだからどこでも停まってくれるのである。
バスの座席について、やっと一息。
--いやあ、今回の旅もこれでほぼ終わりだ。実にハードであった。いや、満足、満足。まだ、行きたい町はいくつもあるけどね。そろそろ寿司も食べたくなってきた。
あとは、17時40分のバスでコセンツァに向かい、現地であすの空港行きの時刻を聞くだけである。
あ、ホテルも探さなくちゃいけなかった。
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