異形の山岳都市・サン・ドナート・ディ・ニネーア
ログーディに続く今回の旅のメインイベント第2弾は、ポッリーノ山地の南側にあるサン・ドナート・ディ・ニネーア(San Donato di Ninea/以下、サン・ドナート)である。
写真を見てわかるように、丘上都市(山岳都市)のなかでも、かなり異形である。町自体が2段に分かれていて、上段の町(実はこちらが旧市街)は突き出した岩の上にあり、その先端にアッスンタ教会(Chiesa dell'Assunta)がある。
この町には、ベースキャンプとしたカストロヴィッラリからは直通のバスが2本出ているが、どちらも朝サン・ドナートを出て夕方に帰るもの。これでは使えない。
あと2本は、サン・ドナートのふもとを通るもので、カストロヴィッラリとアドリア海沿いのベルベデーレやディアマンテを結ぶバスだ。これは、昨年利用した路線である。
実は昨年、その車内からこの町を見て、「次回はぜひここを訪れたい」と思ったわけだ。その異形さには、同乗していた妻も目を奪われていたほどである。
この路線なら、カストロヴィッラリ発が朝1本と昼1本、帰りは朝着の便のほかに夕方に戻ってくる便がある。これならばOK……のはずなのだが、難点が3つあった。
1つ目は、発車がなんと朝5時40分ということ。
2つ目は、サン・ドナートの町に入らず、ふもとしか通らないということ。サン・ドナート・ディ・ニネーア入口(Bivio Sandonato di ninea)という停留所から、3キロ強の急坂(といっても車道ではあるが)を登らなくてはならないのだ。
そして3つ目は、帰りのバスが夕方の3時ごろなので、どこかでたっぷりと時間をつぶさなくてはならないということだ。
だが、当日(12月2日)の明け方の空を見て心は決まった。前日の雨もやみ、きれいな星空が見えたのである。
まだ真っ暗なバスターミナルから乗車した客は、私を含めて3人、そのうち1人は防寒具をすっぽり全身にまとった男性、もう1人はバス会社の社員であった。
バスは静まり返った町中を通り、町はずれで山道を登っていく。周囲の静寂のなかをバスは黙々と走っていく……と言いたいところだが、運転手と社員とがのべつ幕なしにしゃべっているのである。
このバスに限らず、本当にイタリアのバスの運転手はよくしゃべる。それはいいのだが、たまに会話相手の顔を見るのだけはやめてほしい。カーブの多い山道で脇見運転をされると、はらはらする。
まあ、それはそれとして、同乗の社員は私に耳寄りの情報を教えてくれた。
「サン・ドナートに行くのか。あそこは美人が多いんで有名なんだぞ。フッフッフ」
ふうん、異形の町と美女かあ--ますますサン・ドナートへの好奇心が高まる私であった。
やがて夜が明けてきたが、その光景はこれまでに見たことのないものだった。薄暗い車窓には、青く沈んだカストロヴィッラリの盆地が広がり、街の明かりが点々と白い星のように輝いている。遠くには朝焼けの空をバックにしてなだらかな山並みが見える。
その上には、まるで万葉雲のような雲が幾重にも広がり、上半分は青、下半分は朝焼けの日を受けて朱色に輝いているのだ。
私はもう、車窓の光景から一瞬たりとも目を離すことができなかった。
だが、もう1人の乗客は、防寒具をすっぽりかぶったまま、寒さに耐えているようであり、バス会社の社員と運転手は相変わらずおしゃべりに夢中だったようだ。
バスは、フィルモ、ルングロ、アックワフォルモーザといったアルバニア系住民の多い町を過ぎ、7時過ぎにサン・ドナート・ディ・ニネーア入口にたどりついた。
しかし、私にとっては、ここからが本番である。
町の海抜は800メートル。このバス停から距離3.5キロ、標高差300メートル以上のくねくねした山道(ただし片側1車線の車道)を歩いて登らないと、町にたどりつけないのである。
もうすっかり夜が明けて、通勤や野良仕事に向かうと思われる人の車、そして町に食料や牛乳を運搬する車、さらには森林警備隊(ここは国立公園内なのだ)などが、たまに行き来する。
ただでさえ人が通りそうもない道に、こんな朝っぱらから、変な東洋人が歩いているんだから、当然のことながら車内の人間の注目の的になる。
じっと見つめるだけの人、手を振って微笑んでくれる人はいいのだが、ときどきクラクションを鳴らすのがいる。ムッとして運転席を見ると、笑って手を振ってくるものだから、力が抜ける……。
こうして坂を登ること数十分、やっとのことでたどりついたサン・ドナートの町は、期待にたがわぬものだった。
人口は2000人強だというが、山の斜面にはびっしりと多くの家が立て込んでいた。
しかも、これまで見てきたどの丘上都市にも負けず、町のなかの道は斜面だらけ。イタリアの町には必ずある広場も、ここでは実に数が少なく、しかも狭い。
逆にいえば、そんな町であっても、狭いとはいえ平らな広場を作ってしまうのだから、その執念たるや大変なものである。
だが、広場が少ないというのは、なんだか落ち着かない。バールもほとんどないし、どこに行くかもわからない狭い道や階段だけが続いているのだ。
とにかく、上を目指して歩くことにした。
「どこに行くの?」
途中で二度も聞かれた。
そう、観光地でもないところゆえ、カメラを持った東洋人なんて、どこから見ても不審者である。
「あ、あの、上にある教会に」
こんなときはどう答えるべきか。私は、すでに対処を覚えていた。
「教会を見たいんでーす」「写真を撮っているんでーす」--この2つが模範解答である。そして、写真を撮る対象は、けっして汚い町並みではなくて、周囲の美しい風景であることを暗示しなくてはならない。
こうして、私は幾多の艱難辛苦を乗り越え、ようやく岩の先端にあるアッスンタ教会にたどりついた。そこからの眺めといったら、これまでの苦労を一気に吹き飛ばすものであったと言っていいだろう。
しばし、私はここで幸福感にひたっていた。だが、それも長くは続かない。
--さて、これからどうしよう?
帰りのバスがやってくるまでは5時間以上あった。
このあとに、大きな試練が立て続けにやってくるとは、教会の前でのんびりと日向ぼっこをしている私には思いもよらなかったのである。
(つづく)
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