美しい南部の都会・コゼンツァの憂鬱
3日の夜にコゼンツァ(Cosenza--コセンツァと発音する人も多い)に泊まるにはわけがあった。
1週間ほど前から、この旅の日程上の重大な欠陥に気づいていたからだ--というほどおおげさなもんじゃないが……。
それは、帰りの飛行機が日曜日発だということ。
カラーブリア州のバスは、大手私鉄・カラーブリア鉄道のバス路線をはじめ、ほとんどが運休になってしまう(カラーブリア鉄道の鉄道線も休み)。
イタリア国鉄(FS)の通っていないカストロヴィッラリでは、休日に出るローカルバスは2本だけである。近郊の病院行きのバスと、西海岸の鉄道駅であるSapri(サープリ)行きのみ。
サープリ行きは朝6時40分発。いざとなれば、かなり大回りではあるが、そのバスと鉄道を乗り継いでラメーツィア・テルメ空港に昼過ぎまでに行き着くことはできる。でも、寝坊したらそれまでだ。
というわけで、土曜日じゅうにカストロヴィッラリを"脱出"しようと決断したわけである。
しかも、先日のハプニングのおかげで、幸か不幸かコゼンツァに立ち寄ることができた。そのバスターミナルで見たものは、空港行きの直通バス。
--空港行きのバスならば、いくらなんでも運行しているだろう。
これが正解か不正解か、それは行ってみないとわからないのだが、まあなんとかなるだろう。いざとなれば、町はずれにはイタリア鉄道の駅もあるし。
と、またもや前置きが長くなったが、カストロヴィッラリから高速道経由のバスで1時間あまり。コゼンツァはじつにしゃれた町である。
北側に市街地が広がっているようで、そのあたりには現代的なデザインのビルが建ち並んでいる。店の飾りつけも今風で、とても南部の町とは思えない。
まるで、ミラノかトリーノにいるような錯覚を覚える(……って、トリーノには行ったことがないけど)。
やがて、規模も都市機能も、州都カタンザーロを越える日が来るのではないだろうか。
町のある盆地の両側には、なだらかな山の上に無数の丘上都市。日が暮れてくると、その灯が星のようにきらめく。
そんなシックで美しいコゼンツァなのだが、1つ懸念があった。このところ例の中国洋品店の増加が著しく、問題になりかけているというのである。
もちろん、一般の中国人には罪はないのだが、彼らがここに定着し、仕事を得るにあたって、彼らを利用している中国マフィアが存在し、裏社会で暗躍しているのは周知の事実という。
詳しくは別の機会に譲るが、中国マフィアに関連したトラブルもよくあるというので、地元の人は眉をひそめているらしい。
驚くのはバスターミナルである。数十台がひっきりなしに行き来しているバスターミナルの周囲には、長方形のターミナルを取り囲むようにビルが建っている。
そして、その1階はみな商店となっているのだが、全部で数十件はあろうという店のうち、4分の1ほどは中国洋品店なのである。
中華料理店でも、中国茶専門店でもなく、カンフー道場でもなく、徹底して似たような洋品店が並んでいる。軒先に赤い提灯がいくつも下がり、看板には中国語とイタリア語の表示があるというのもそっくり。
正直言って、これにはかなりの違和感がある。バスのイタリア人乗客も何やら話のタネにしていたようだった。
そんな先入観があったからか、私に対するコゼンツァの人の視線が、どことなくほかの町と違うように感じられたのは否めない。
小心者の私は、肩にかけたカメラをことさら目立つ位置に出し、日本人観光客であることを強調したのであった。
とはいえ、バスターミナルのインフォメーションにいた、現役のバス会社の社員と見えるおじさんは限りなく愛想がよく親切だった。
「あしたの空港行き? あるよ。お昼ごろならば、12時40分、その前は9時40分。いつも40分に出るんだ。覚えやすいだろう。ワッハッハ」
そう言って、時刻を紙に書いてくれた。
「発車するのは、すぐここ。1番ホームだよ」
もっとも、バスターミナルのどこにも、時刻表どころか行き先案内板すら1枚もないほうが問題である。これでインフォメーションが親切でなかったら浮かばれない。
とはいえ、愛想がよくて悪いことはない。私は彼の親切に甘えて、お勧めのホテルまで教えてもらった。
夜の散歩に出ると、土曜日とあって中心部はとんでもない人出。歩行者天国となっている広々とした道を2往復ぐらいして、安いトラットリーアで食事をした私である。
翌朝は、12時40分のバスの出発まで、しつこく町歩きをした。
町の南方にある旧市街は、教会や劇場などの風格ある立派な建物と、いかにも南部らしい古くさい住まいが、狭い路地の両側に密集した地域であった。
日の当たらない場所は、かなり湿っぽく、住環境はお世辞にもいいとはいえない。新市街との格差はかなりある。
--イタリア人と中国人、新市街の住民と旧市街の住民の軋轢は、いつか表面化しないだろうか。こんな美しい都市が、そうした闘争の場となってほしくはない。
がらにもなく、そんな感想を抱いた私であった。
12時20分ごろにバスターミナルに着くと、きのうの喧騒がうそのような静けさだった。
だだっ広い構内に停まっているのは、空港行きの1台のみ。あとは、市内バスが1台やってきただけである。これなら、乗り間違えようがない。
コーヒーを飲みたかったが、構内のバールは閉まっているし、周辺のバールも軒並み休み。
開いているのは10軒ほどある中国洋品店だけだった。人通りもないので客もいない。そんななかで、熱心にガラス戸を磨いている中国人店員の姿が印象的だった。
バスの運転手は車内を清掃中である。私はぼんやりとベンチに座り、三々五々集まってくるイタリア人を観察するぐらいしか、やることがなかった。
見上げると、きょうも真っ青な空。たまに通りすぎる雲を見ているうちに、これで旅が終わるんだなあという実感がようやくこみあげてきた。
【2005年11~12月南イタリア・カラーブリア州の旅(現地編)完】
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