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2005-11-27

「南のアッシージ」セッラ・サン・ブルーノ

 アドリア海とも当分お別れである。
 24日は、ヴィーボ・ヴァレンティアから1日に2本(帰りは1本)しかないバスで山の中にあるセッラ・サン・ブルーノ(Serra San Bruno)に向かうことにした。朝6時の始発はさすがにきついので、昼12時の"終バス"で行くことに決めた。

新市街の教会

 今回はハプニングはない……はずであった。だが、バスを待っているときに、マイクで広報活動をしている車が通りかかり、事態は一変した。
 前の日に見かけたときは、どこかの店の宣伝かと思って、内容を聞こうとはしなかった。だが、このときはバス待ちでヒマだから、聞き取りの練習をしてみたのである。すると……。
「あす25日は、政府の予算案に反対してゼネストを行います。みなさん、協力と支持をお願いします」

 ガーン!
 ただのストライキではなくゼネスト(ゼネラルストライキ)である。全ストは嫌いではないが、ゼネストとなると公共交通機関利用の旅行者にとって大問題である。
 思わず、近くでバスを待っていた中年と老年の女性に尋ねてしまった。

「すんません。あすはストライキがあるって本当ですか」
「そうよ。ゼネストなの」
「このバスも止まるんでございましょうか?」
「たぶんねえ。状況にもよると思うけど……」

教会が連続する空間

 絶望的な回答を受け、私は数秒ほど考えた。
 しかし、乗りかかった船、いや乗りかかったバスである。このチャンスを逃しては、いつ行けるかわからない町だ。ダメなら2泊すればいいだけのこと。イチかバチか挑戦してみることにした。

 と、前置きが長くなったが、セッラ・サン・ブルーノまでは所要約2時間。途中からは牛が草を食むのどかな田舎を通るかと思うと、目がくらむほどの山道をたどってバスは快走した。
 小さな町をていねいにまわっているうちに、乗客はだんだんと減っていく。終点が近づくと、運転手が私を含めて3人ほど残った乗客に尋ねた。

「終点から別のバスに乗り換える人はいますか?」
 みんな「ノー」と言ってから、私のほうを見る。20代前半と見える若い男が私に向かって行った。
「どこまで行くンすか?」
「セッラ・サン・ブルーノ」
「着いたらどうすンの? 仕事で来たの?」
「いや、旅行なんだ。まずホテルを探さなくちゃ」

 運転手を含めて、みんなキザったらしい格好をしているけど、純朴で親切なやつばかりである。日本人だというと、びっくりしていた。

旧市街の小さな広場

 学校帰りの何十人というガキが集結している小さな小さなバスターミナルに到着すると、運転手は翌日のカタンツァーロ行きのバスの時刻を教えてくれた。
「この会社はストはやらないよ」と笑いながら。

 そして、さっきの青年がホテルの場所を丁寧に教えてくれたおかげで、無事に私はセッラ・サン・ブルーノの、できたばかりのこぎれいなホテルに泊まることができたのである。

 この町の名前はもともとセッラだけだったらしい。サン・ブルーノは、町はずれにある修道院(Certosa/チェルトーザ)を建てたケルン生まれの聖ブルーノにちなんで付けられたという。彼は、のちに教皇ウルバーノ(ウルバン)2世となる。
 そして、小さな町には、いやというほど教会がある。こんなにあったら、教会間の競争が激しいのではないかと心配になるほどだ。

 そして、修道院は徒歩で20分ほどのところにあった。もちろん中は見られないが、付属の博物館を見学すると、中の様子を想像することができる。
 町のキャッチコピーを付けるとしたら、「南のアッシージ」かな。山に囲まれた静かな雰囲気は、もの静かな性格の私にぴったりである。

親父たちの晩餐

 夜になると冷たい雨が降ってきた。そんななか、夜8時過ぎの町を一周した結果、町のなかで営業しているレストランは、泊まったホテルに付属しているところだけということがわかった。晩飯はここで食べるしかない。
 レストランには、あちこちから親父だけの団体が三々五々集まってくる。ほかの町ではあまり見たことのない光景であった。
 遅くなってから、女性を含む若者のグループがやってきて、やっと華やいだ。

 そして、私はここで、メインとしてフンギ・ポルチーニのフライというものを食したのである。それはそれは、舌の上でとろけるような味であった。
 たらふく食って機嫌がよくなり、隣席の女性2人組をまねて、地元の伝統的なアマーロだという食後酒まで飲んだ私である。

 実は、宿代を聞くのを忘れていたので、翌朝の請求にはちょっぴりびくびくしていたが、広々とした新しい部屋の宿泊代プラスフルコースのウマい食事で45ユーロぽっきり! シーズン・オフとはいえビックリだ。ホテル・チェルトーザである。

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