雑司ヶ谷一・二丁目
いま、山手線の内側で、昔の雰囲気が一番よく残っている町は、豊島区の雑司ヶ谷一丁目から二丁目あたりではないだろうか。
もちろん、戦前とは建物も変わっているだろうが、狭くて曲がりくねった道、うっそうと繁った木々、ところどころに見える立派な家、所狭しとモノが並んでいる商店を眺めていると、これが戦前の山の手の町のたたずまいではないかという気がしてくる。
空襲で焼け残った町は、少し歩いているだけでも違いがわかるものだ。
雑司ヶ谷鬼子母神のある雑司ヶ谷三丁目あたりは、よその人もやってくるが、一丁目から二丁目にかけては、まるで忘れられたように静かな一帯である。
一般的な見どころといえば、せいぜい旧宣教師館くらいだろうか。
もっとも、だからこそ、静かで濃密な散歩ができるわけだ。
だが、ここまで秘めやかな町だと、散歩している自分の息すらも大きく感じられてしまう。
私にとって、東京のなかで一番、緊張感のある散歩道である。
町の北側(現・南池袋四丁目、旧・雑司ヶ谷町の一部)に、広々とした雑司ヶ谷墓地があることも、この一帯を秘めやかな町にしているのかもしれない。
こんな雑司ヶ谷なのだが、ちょっと気がかりなこともある。
地下鉄13号線の建設にともなって、大きく変わりそうなのだ。
すでに、都電の雑司ヶ谷停留所の周辺は、地下鉄の上を通る道路建設のために、家がほとんど立ち退いてしまった。
都電荒川線で一番静かで好きな停留所だったのだが、どうなるのだろうか。この周囲を自動車がひっきりなしに通るなどとは、とても想像ができない。
実は、10年ほど前、わけあって雑司ヶ谷一丁目に住んだことがある。
さらに、またわけあって、わずか半年後に出て行かなければならなかったのだが、そのとき、またいつかこの町に戻ってきたいと思ったものだった。
もしかすると、雑司ヶ谷での散歩に緊張感が漂うのは、そのときの記憶がよみがえるからかもしれない。
それはともかく、はたして数年後に、雑司ヶ谷は今のたたずまいを残しているのだろうか。
緊張感あふれる散歩は、まだまだ続けられるのだろうか。
ちょっぴり心配になってきた今日このごろである。
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