砂辺・嘉手納をいく
沖縄滞在の最終日、中部西海岸の砂辺(すなべ)と嘉手納に行こうと思い立った。
仕事も一段落し、夜、最終1本前の飛行機に乗るまでの自由時間である。
北谷(ちゃたん)町の砂辺は、那覇から国道58号線をバスで約40分。国道の片側のみならず、両側に米軍のフェンスが見えてくると、まもなく砂辺である。
北谷から読谷にかけては、60年前に米軍が本島に初めて上陸した地点だ。
このあたりは、ほぼすべてが破壊されてしまったというが、かろうじて砂辺の付近だけに、昔からの「拝所」(ウガンジュ--おがみじょ)や「ガー」(共同井戸)が残っているとのこと。
それを訪ねて、昔の雰囲気にひたれたらと思ったわけだ。
台風の吹き返しの風雨に見舞われ、バス停から汗かきかき、民謡に歌われた砂辺の海岸を目指す。
静かな町だが、それなりに人や車の行き来がある。やけに、アメリカ人の姿が目立つのが印象的だった。もちろん、散歩している観光客など一人もいない。
そして、ようやく海岸にたどりつくと、そこにはダイビングのための施設が並んでいた。
そういえば、東京のビール屋のカウンターで、こんなことがあったっけ。
私が、沖縄のいろいろな町を散歩するのが好きだと言ったら、15歳も年下の女性から、「海に入らないで、何のために沖縄に行くの?」と真顔で言われたのだ。
ちょっとショックだったなあ。
気を取り直して、砂辺の町を一周していると、木の生い茂る小さな丘が目に入った。
本土でいえば“鎮守の森”、いやそれ以上に神聖な場所である。
誰かにとがめられないかと心配し、周囲をきょろきょろ見ながら坂道を上り、拝所をめぐってきた私である。
次に訪れた嘉手納町は、砂辺のある北谷町の北側に接する町だ。
地図で見ると、その面積の8割か9割を米軍基地が占めていることがわかる。
そんな嘉手納に、どういう家があって、どういう生活が営まれているのか、やはりこの目で見ないわけにはいかない……でしょう?
で、どうだったかというと、そこにはやはり、ごく普通の商店があって、ごく普通の家が建ち並んでいたのである。
もっとも、賑わう商店街があるわけでもなく、町は静まりかえっている。活発なのは、国道や県道を通る自動車の行き来くらいであった。
そして、ちょっと歩くと、すぐに米軍基地のフェンスが見えてくるのは、やはり一種独特の雰囲気だ。
基地に反対する人も、日米安保の大切さを説く人も、まずは砂辺や嘉手納を散歩することから始めてほしいなあ……なんて、我田引水の結論に達する私であった。
最近のコメント