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2005年5月の7件の記事

2005-05-29

石北本線の秘境・上白滝駅

 “秘境駅”と呼ばれる駅がある。列車の本数が少ない駅、周囲に人家のない駅、降りてもどこにも行けない駅などをこう呼ぶらしい。
 北海道を走る石北本線には、いくつもの秘境駅がある。上川~遠軽にある上白滝、旧白滝、下白滝、新栄野駅は、1日に上下1本ずつしか停車しないのだ。

上白滝駅舎

 29日は、ある用件のついでに、その1つ上白滝駅に立ち寄ってみた。札幌在住の弟の車に便乗して……。
 さて、秘境駅というからには、よほどの不便な地域かと思いきや、行ってみると、近くには道路が通っていて、交通量も少なくない。
 要するに、地元の人たちは、みんなクルマに乗るようになってしまったのだ。
 
 それにしても、のどかな日よりである。
 しかし、1日1本しか停まらないからといって、線路の上に大の字になって、のんびりと寝てはいけない。
 この区間には特急や快速も走っているからだ。もちろん、さきほど挙げた駅には停車しない。

 あたりを見回すと、桜は満開。タンポポも梅も咲いていた。ここにも、やっと遅い春が訪れたのだろう。
 バックには、大雪山の神々しい姿が見えていた。

上白滝駅ホーム

 つい最近までは、上白滝の隣に奥白滝という駅があった。
 そこは、周囲に人家もなく、秘境駅としてはなかなかレベルの高いものとされていたが、惜しくも廃止されてしまった。

 まあ、秘境駅だからといって、私企業のJR北海道が残すいわれはないのだろう。
 いやまてよ。秘境駅だからこそ、客がいなくて廃止されてしまったのか……。

 上白滝駅に行く前に、奥白滝駅の跡にも立ち寄ったのだが、やっぱりホームに駅名票がなく、駅舎に時刻表もないのは寂しい。
 たとえ1日1本であっても、停車するのとしないのとでは大きく違うものだということを、しみじみと感じたのであった。

2005-05-24

金沢・観光スポットからはずれて

 金沢の隠れた町歩きスポットは、野町周辺である。
 観光客は、兼六園やひがし茶屋街に足を向けるが、もう少しディープさを求めるならば、このあたりがいい。
 すでに、かなりの家が建て直されているが、どことなく昔ながらの雰囲気が残っている。
 そして、東京の下町に生まれ育った私にとって、ほどよいうらぶれ方が、なんとなく性に合う。一方的な思い込みかもしれないけど。

バスを待つ人

 昨年、金沢に来たときは、駅前のホテルに宿泊。夕食の場を探して、武蔵が辻、香林坊をさまよい歩き、犀川大橋(この橋も気に入っている)を渡って、とうとう野町まで歩いてしまった。
 一人で入れて、気取っていなくて、もちろん酒が飲めて、食べ物もそれなりにあって、高くなさそうで、落ち着けそうな店を探していたら、そうなってしまったのだ。
 で、ようやく入った店は、けっして、しゃれてはない、どちらかというと大衆飲み屋。でも、奥さんの笑顔が素敵で、家庭料理のうまさが印象的だった。
 カウンターに座り、ほかのお客さんとも打ち解けることができたのは、何よりの収穫であった。

 今回も、その店で夕食をとることに決め、夜の9時近くに、どきどきしながらのれんをくぐった。
 すると、素敵な笑顔は健在。店の中が少しきれいになったのに驚いた。

浅野川にかかる橋

 いろいろと話をしているうちに、こんな話題になった。
「この店には、金沢に路面電車を引こうという人が来たり、地元の野町を盛り上げようとして雑誌をつくっている人が来たりするんですよ」
「ふうーん」と思っていたら、やがてその当人たちが男2人連れでやってきた。
「あら、まさか、きょういらっしゃるとは! いま、ちょうど噂をしていたんですよ」
 
 あとは、ひたすら話が盛り上がるのみ。
 とくに印象に残ったのは、私よりも5歳ほど上と思われる男性のこの言葉。
「金沢の人間は、前田家に去勢されてしまったんだ。そうだろう。どこに行っても百万石の前田、前田。でも、あれは尾張からやってきた支配者じゃないか。それに引き換え、その前の一向一揆のことなんか、見向きもされやしない」
 なるほど、そりゃそうだ。
 これまでは、ちょっぴり気取っているように思えた金沢の町だったが、こんな人たちがいることを知って、だいぶ印象が変わってきたような気がする。
 そして、店を出たのは12時過ぎ。
 すでにバスはなく、駅前のホテルまでの道のりを、暑くなった頭を冷しながら、約30分かけてもどった私であった。

2005-05-23

商都・高岡の古い町並み

 富山県内にあって、高岡というのは地味な町である。
 大仏があって、銅の生産高が日本一で、路面電車には最新型の連接車が走り、港からはロシアに向かう定期船があって、外国との貿易が盛んであっても、全国的な知名度はいま一つである。

高岡・白金町あたり

 しかし、市内のあちこちに古い町並みがあちこちに残っており、散歩するにはうってつけの町である。
 町並みというと、すぐ近くの金沢に目がいきがちであるが、それに勝るとも劣らない魅力的な町家を高岡のあちこちで目にすることができる。
 それというのも、富山市には終戦直前に大規模な空襲があったが、高岡は金沢と同様に、空襲を免れたからである。

 駅の観光案内のパンフレットによれば、金屋町というところの町並みが見どころだという。
 行ってみると、格子の美しい家々が建ち並んでいた。
 が、どうも落ち着かない。古い家並みは素晴らしいのだが、どうにも整いすぎていて、申し訳ないことに、私のようなひねくれ者には居心地が悪いのだ。

 それよりも印象に残ったのが、JRの線路の北側に残る白金町あたり。これは、何度か北陸本線の車窓から目にして、気になっていたところである。

 行ってみると、確かに古い町並みなのだが、いまの時代に合わせて少しずつ手直しがされている。前を通る道には車も通るし、人も通っている。
 格調の高さは金屋町に五歩も六歩も譲るが、“生きた古い町並み”を見たという気分になれた。

土蔵作りの町並み

 その他、市中心部には山町筋の土蔵作りの町並みがあり、また北部には吉久の町並み(路面電車の新吉久~吉久付近)もあり、どちらも町並みファンには一見の価値がある。
 5月というのに日差しは強く、気温は高かった。ぶらぶらと歩くには苦労したが、なんともいえない充実感を覚えた一日であった。

 ただ、市の中心部には戦前の区割りがそのまま残っているのだろう。どこまで行っても同じような狭さの道ばかりなので、ぼんやりしていると、どこを歩いているのかわからなくなるので要注意だ。
 もう少し、町中に地図があるとうれしいのだが……。

2005-05-21

富山地鉄・岩峅寺駅の旅情

 富山市内で、ほたるいかの黒作りに、白えびのてんぷらを食べて宿泊。
 20日朝は、わけあって1時間かけて立山駅を再訪。片道1110円だから、富山地方鉄道にかなりご奉仕したことになる。

岩峅寺駅上滝線ホーム

 そういえば、泊まったのも駅前(というより駅上)の「地鉄ホテル」である。
 ちなみに、富山地方鉄道は地元では「地鉄」(ちてつ)と呼ばれている。

 さて、立山駅での用を済ませた後、まっすぐ富山駅まで引き返すのも芸がない。
 そこで、帰りは途中の岩峅寺(いわくらじ)駅で乗り換え、上滝線を使って南富山駅まで向かうことにした。

 それにしても、地鉄にはなかなか魅力的な駅舎が点在している。
 なかでも気に入っているのが、分岐駅のつくりである。
「駅を出てから分岐する」のではなく、分岐した直後(あるいは分岐しつつあるところ)に駅がある。

岩峅寺駅連絡通路

 まあ、もし乗る機会があったら、稲荷町、寺田、岩峅寺という3つある分岐駅を見てほしい。

 なかでも岩峅寺駅は、まるで30年ほど前の私鉄の情景を見ているような気がしてくる。

 鉄道模型ファンにはもちろん、建築好き、旅情派の旅人にもピッタリ……かな。

2005-05-20

黒部の地底旅行

 私たちの世代にとって、「クロヨン」といえば、その名は「ケロヨン」とともに脳みそに深く刻み込まれている。
 その黒四(黒部川第四ダム)発電所見学会に、運良く当選したのである。

 そこで19日、ふだんは行くことのできない、欅平(けやきだいら)から黒部湖までの「通り抜けコース」をたどることができた。
 そして、長年の夢だった関西電力黒部ダムの専用軌道(上部軌道)にも、乗ることができたのである。
 下部軌道は、現在「黒部峡谷鉄道」となって一般にも公開されているが、上部軌道は乗るのが困難な存在であった。
 一時、関西電力の大株主になって乗車しようともくろんだが、金がまったくないので断念した私である。

上部軌道のトロッコ

 そのほかにも、インクライン(ケーブルカー)やエレベーターにバス(これは珍しくはないが)など、乗り物好きにはたまらない見学会である。
 しかも、黒四発電所まで見学できるというおまけ付き……いやいや、いけない。こちらがメインであった。
 
 それにしても、コースのほとんどが地下。何も知らないで参加したら、怒り出す人がいるかもしれない。
 もっとも、参加者は平日とあってシニアの方々が多かったが、30人弱のメンバーはみなご満悦の様子。
 よほど普通の旅行には飽き足らなくなった“はぐれ者”なのだろう。私以外は。
 もちろん、場所柄、危険を伴うので、すべて団体行動であるのは言うまでもない。

専用ケーブルカー

 それにしても、あの険しい地形の黒部の地下に、これほどのトンネルや構造物があるとは感激である。
 思わず、プロジェクトXのテーマ曲が頭に浮かんでくるが、そういえば一昨年の紅白歌合戦では、中島みゆきが、ここ黒部の地下からその歌をうたったのだとか。
 地下ばかりのコースで退屈するといけないと思ったのか、関西電力の添乗員の方(たくまざるユーモアのセンスに満ちた総務部の人)は、ケーブルカーの車内で、そのときのビデオを見せてくれた。
 そうそう、コースの中の何か所かでは、地上(というより山腹)に顔を出すのだが、そこからの山々の眺めがまた格別であったことを付け加えておこう。

 黒四発電所の中では、黒部ダム建設のビデオを見せてもらった。もちろん、保守は大変らしい。
「これじゃ、電気代が高くてもしょうがないかなあ」と思いはじめる私。
 おそらく、誰もがそう思ったことだろう。
 関西電力にとって、無理をしてでも見学会をやった効果はあるようだ。もっとも、うちは関西電力じゃなくて東京電力だけどね。

2005-05-16

栃木・喜連川の町並み

 先週の金曜日、13日にわけあって栃木県の喜連川(きつれがわ)に行ってきた。
 東北本線に乗り、宇都宮から3つ目の氏家で下車。バスで約20分のところにある町である。
 氏家にも立派な町並みがあったが、喜連川はそれをしのぐ風格のある家が目についた。
 それもそのはずで、ここ喜連川は鎌倉時代から続く城下町として栄え、江戸時代には旧奥州街道の宿場町として、この地方の中心地として栄えたのだという。

喜連川の中心部

 歴史を感じさせる立派な商家がそのまま残っているのも魅力的だが、古い商家を改造していまどきの商売をやっている家もまたいい。

 ところで、この喜連川町は、近ごろ流行りの町村合併で、隣の氏家町と合併したのだそうだ。
 新しい市の名前は、「さくら市」!
 確かに、来る途中の道の両側には、桜並木が延々と続いてはいたが……。
 桜が多い町など、日本全国にあるだろうに。しかも、千葉県には、古くから同じ発音の市がある。
 まあ、2つの町が対等に近い形で合併するのだから、どちらの顔も立てなくてはならず、結局、まったく関係のない名前にせざるをえなかったのだろう。
 どちらの町も「塩谷郡」に属していたから、市の名前にそれを使う手もあっただろうが、ちょっと知名度が低かったのか。

分断された家

 町の中央部にある「お丸山公園」で会ったおばさんとおじさんが、町を展望しながら話していた。
「あの高校も廃校になるんだなあ」
「合併してもいいことないよ」
「ああ、もう合併したんですね」と私が口をはさむ。
「そう、市長の選挙があったんだけどね。氏家が人口3万で喜連川が1万だからね。勝てないよ」
「まあ、準備不足の割には、頑張ったんじゃない」
「そうねえ」
「ふうん」と私。
「あ、あんた、そこに温泉があるから入っていくといいよ。寒いからね。私は足湯だけで帰るけど」とおばさん。

 というわけで、勧められるままに喜連川の温泉に入り、帰り道ではたまたま目に入った地元の味噌屋で、“無添加”に引かれて味噌2キロを買った私であった。 

2005-05-06

休日の横浜・新子安

 3日は、有楽町でイタリア映画祭を見ようとしたところ、すでに満員。
 いやはや、いくら込んでいても、1時間以上も待つ気にはなれないから、あっさりと退散した。
 連休の有楽町界隈は人でいっぱい。気温が高くなったことも加わって、頭がくらくらしてくる。

 そこで、どうにか人のいない場所で散歩ができないか考えてみた。
 山手線は、わが家の近辺を除くとどうも無理そうである。次に、京浜東北線の有楽町から横浜の間で、休日に人が行きそうもない駅を考えたところ、思いついたのが新子安であった。

貨物線の廃線跡

 案の定、駅のホームはのんびりとした雰囲気。おだやかな陽光のもと、ホームのベンチで若い男性が2人も寝ていたのはおかしかった(しかもまったく離れた別のベンチなのである)。

 駅前ががらんとしているのも、人込みから逃れていた身としては心地よい。
 で、まずは駅前広場にぽつんとあるラーメン屋で腹ごしらをして、海側に向かっていった。

 すると、いきなりJRの貨物線に遭遇。鶴見から別れてきた路線のようで、目の前を貨物列車が通りすぎていった。さらに目をこらすと、片隅に廃線跡を発見。それが、この写真である。
 3本あるレールの幅が怪しい。もしや、三線区間で、かつては京浜急行からも乗り入れていたのか……なんて思うのだが、どうもよくわからない。

 まあ、私は鉄道は嫌いではないが、廃線跡趣味ではないので(たぶん)、このくらいにして散歩をつづけることにした。

恵比寿運河

 周囲は工場だらけの殺風景なところで、車はまあまあ通るが、連休だからか人とはほとんどすれ違わない。
 やがて道は運河を渡り、橋の左右にはいかにも工業地帯ですという風景が広がった。
 古い町並みも好きだが、こんな風景も意外に嫌いではない。
 まあ、住もうとは思わないけどね。もっとも、住みたくても、このあたりに住宅はない。

 海が見えるところまで行こうと思ったが、倉庫街に行く手を阻まれてストップ。
 引き返すのもおっくうだと思って、近くのバス停の時刻表を見ると、1時間に1本ほどしかないバスがあと5分で来るではないか。
 行き先は「生麦」。あの「生麦事件」のあった東海道の生麦なのである。

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著書

  • 社会人に絶対必要な語彙力が身につく本[ペンネーム](だいわ文庫)
  • 『ようこそシベリア鉄道へ』(天夢人)
  • 『定点写真でめぐる東京と日本の町並み』(青春出版社)
  • 『日本懐かし駅舎大全』(辰巳出版)
  • 『鉄道黄金時代 1970s──ディスカバージャパン・メモリーズ』(日経BP社)
  • 『国鉄風景の30年―写真で比べる昭和と今』(技報堂出版)
  • 『全国フシギ乗り物ツアー』(山海堂)
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