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2005年4月の4件の記事

2005-04-28

本郷・エチソウビル

 27日は本郷にて簡単な打ち合わせ。
 帰りに、菊坂をぶらぶら歩いたのだが、2年ほど前までは残っていたはずの古い町家は、どこにも見当たらなった。
 菊坂の裏でも大がかりな工事をしていたから、また大きなマンションでも建つのかもしれない。

本郷・エチソウビル

 ちょっとがっかりして、地下鉄丸ノ内線の本郷三丁目駅までやってくる。
 駅の改札口や駅舎は地上にあるのだが、何年か前に改装してから、ずいぶん開放的でしゃれた雰囲気になった。
 隣の後楽園駅では、改装にともない、ホームの壁にわけのわからない壁画が描かれて興醒めだが、この本郷三丁目駅はなかなかいいセンスだと思う。

 さて、駅から本郷通りに出て、南に進むとすぐにこのビルがある。
 「本郷もかねやすまでは江戸のうち」という川柳で有名な「かねやす」のある本郷三丁目交差点からは、約100メートルほど南。
 以前は、外装が黒っぽくて、いまにも取り壊されそうだったが、外側を塗り替えたのか、ずいぶんとこぎれいになった。
 こうして改めて見ると、なかなか粋なビルである。
 聞くところによると、内装もリフォームしたらしい。

 1階には飲食店が何軒か入っているが、そういえば、いまから20年ほど前に、知人とどこかの店で飲んだような記憶がある。
 ちょうど本郷通りの反対側でつつじが咲いていたので、前景に入れて撮ってみた。

2005-04-24

新富町・松し満

 先日、新富町で打ち合わせをしたときに、近くにある料亭「松し満」(まつしま)が店を閉めるという話を聞いた。
 立派な構えの店だけに、なくなってしまうのは寂しい。

料亭「松し満」

 もっとも、一度も客として入ったことがないのに、寂しがるのも勝手なものである。
 でも、打ち合わせの行き帰りに、この店のそばを通るたび、うきうきした気分になったものだった。

 玄関の貼り紙を見ると、細い道をへだてた正面の小さな店で、営業を続けるとのこと。
 はたして、私がその店に入る時は来るのだろうか。
 それはともかく、この大きな土地にはビルかマンションでも建つのだろうか。
 場所は、中央区新富2丁目。

2005-04-10

染井の桜

 よく知られているように、ソメイヨシノのソメイとは、豊島郡染井村に由来している。いまの豊島区駒込の一部である。
 そこで、駒込の住人としては、満開の桜を愛でぬわけにはいかぬと、スギの花粉が舞うなかを決死の覚悟で花見に出かけたのであった。

駒込3丁目の民家の庭に咲く桜

 駒込といえば、最近では六義園のしだれ桜が有名になったが、それだけではない。
 駅前の大国神社の桜はいうに及ばず、豊島区駒込3丁目あたりを散策していると、裏通りや路地の奥の民家の庭に、見事な桜を見ることができる。

 そして、江戸時代には植木屋が軒を連ねていたという染井通りに出る。
 六義園の北の端で岩槻街道(本郷通り)から分かれ、染井霊園に突き当たる通りだ。

 ソメイヨシノ(染井吉野)は、この地でオオシマザクラとエドヒガンを交配してつくられたという説が有力である。いまや植木屋は1軒もないのだが、それでも染井という地を意識してか、この通りには桜が多く植えられている。

 もっとも、当時の植木屋にとって桜はあまり人気がなく、ツツジのほうがはるかに玄人受けしていたという話を聞いたことがある。
 たしかに、ツツジのほうが手の入れがいがあるのかもしれない。

染井霊園の桜

 さて、団十郎と海老蔵親子がテレビCMに出演したマンション「プラウド駒込」の建築現場を横目に見て、染井通りを北上。向かうは染井霊園だ。

 ここの桜は実に威風堂々としている。
 しかも、場所柄、酒を飲んでカラオケで騒ぐのもいないから、心のどかに桜を観賞できるのがいい。
 墓石はいやでも目に入るが、ちっとも気にならず、実に桜と調和している。
 とはいえ、墓場でビニール敷いて弁当食べて、桜を愛でるというのも不思議なものである。欧米人あたりには理解できないかもね。

2005-04-06

又兵衛とレトロの熱海

 空白は1か月近くになってしまった。
 この間、ハードスケジュールと花粉症に悩まされ、3月下旬には10年に一度というひどい風邪を発症。高熱、咳、鼻水、そして激しい腹痛を経て、ようやく治りつつある今日このごろである。

 そこで今回は、風邪引きの直前に訪ねた熱海の話である。
 熱海には行ったが、お宮の松も見ず、秘宝館を尋ねたわけでもなく、湯につかったわけでもない。ただ、MOA美術館で開かれている展覧会「義経伝説 浄瑠璃物語 -華麗なる又兵衛絵巻の世界-」を見んがためである。

 又兵衛とは、岩佐又兵衛のこと。幼児のとき、織田信長に家族郎党を殺害されつつも、かろうじて助け出され、のちに絵描きとして名をあげた人物である。
 詳しくは、辻惟雄『奇想の系譜』を読んでいただきたい。現在、ちくま学芸文庫に収録されている。

 又兵衛は浮世絵の原型をつくった一人とも言われているらしいが、一般の人間にまで脚光を浴びたのはごく最近のことである。つまり、私もそこで初めて知ったわけなのだが、その絵を見て仰天した。
 野卑でリアルで生々しくて、しかも緻密。葛飾北斎も個性的であるが、それとはまた別の強い個性である……とまあ、能書きは専門家に任せることにして、その又兵衛の描いた「浄瑠璃物語絵巻」をいざ見んと、私は東京駅からグリーン車(ただし在来線の普通列車)で熱海に向かったのである。

熱海駅のポスター

 熱海駅の改札を出ると、展覧会のポスターがお出迎え。熱海はもう又兵衛一色であった……というのはウソ。
 MOA美術館は、熱海のバス乗り場1番から20分おきに発車。山道を上り、数分ほどで着く。
 それにしてもこの美術館に来るたびに、どれだけ金がかかっているのかと圧倒される。さすがは宗教法人である。

 まあ、それはともかく、又兵衛の絵巻物はグリーン券を奮発した(ただし在来線の普通列車)甲斐があったというものだ。
 実は、浄瑠璃物語自体が、「浄瑠璃」の語源になっているだけあって、すさまじい筋立てなのだと知った。
 義経が笛を吹いて浄瑠璃姫に言い寄るという、純な恋愛物かと思いきや、途中から化け物は出るわ、義経が生き返るわという奇想天外な展開。しまいには、浄瑠璃姫の死因がその母親にあると知って、義経が彼女を簀巻きにしてしまう。

 そして、又兵衛はその物語を、実に偏執狂的なまでに丹念に絵巻物に描いていくのだ。しかも、義経は下ぶくれているけど美男子じゃないし(それどころか、目つきがちょっと危ない)、浄瑠璃姫もちっとも美人じゃない。
 でも、この上なく生き生きと、圧倒的な存在感で迫ってくるのである。浮世絵の原型というより、私は現代のヘタウマ(あるいはヘタヘタ)マンガ家を連想してしまったほどだ。
 絵を見て興奮したなんて、久し振りのことである。もしかしたら、翌日に熱を出したのは、又兵衛のせいだったのかもしれない。
 ちなみに、展覧会は4月19日まで開催されている。

熱海市中心の清水町商店街

 さて、美術鑑賞のあとは、せっかくなので熱海市内に散歩に出ることにした。
 熱海には、数年前に海岸の花火大会に来たくらいで、町なかを歩いたことはない。何十年も前に温泉に来たことがあるかもしれないが、少なくとも昼間に町を歩いた記憶はない。

 まあ、あまり期待しないで歩いたのだが、意外や意外。お得感のある町であった。
 なにしろ、レトロなのである。レトロという安易な言葉で片づけていいかどうかはわからないが、少なくともいまとなっては中途半端に古くさい町である。1970年代の匂いが、町の至るところで感じられた。すでに、あまたの地方都市では消毒されて消えてしまった匂いだ。

 だが、そんなレトロさを地元の人が誰も気づいていないのがポイントである。
 無理やり古い建物を観光化しようとすることもなく、わざわざ電柱を地中化することもなく(まあ震災対策には地中化したほうが安全だろうが)、お節介な散歩コース地図もほとんど見当たらない。
 ただただ、普段着の姿の町を、ぶらぶらとさまようことができるのだ。

 うれしいのは、その中途半端にレトロな町で、商店街もなんとか生きていて、地元の人びとが行き交っている点。そして、路線バスが10分おきに走っていることだ。そのバスにも客がずいぶん乗っていた。

 団体目当てだった温泉ホテルが次々につぶれているが、ぜひとも散歩フリークを対象にして、うまいメシを食わせる小さな温泉宿でもつくってほしいものである。
 小田原から熱海まで、早川、根府川、真鶴、湯河原と、じっくり探せばまだまだ面白みのありそうな町が続いているので、意外にうけるかもしれない……わけないか。

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