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2005-01-25

大津波遭遇記8 -命に乾杯!-

 帰りの航空券は、28日にとれた。
 30日の朝にプーケットを出て、夜に成田に到着する便。当初の帰国予定は31日だったから、1日早まったことになる。
 妻とM嬢は、旅行会社のツアーという形で申し込んでいたので、航空券の変更は任せきりで済んだ。
 だが、個人で参加している人は、航空券の変更をすべて自力でやらなくてはならず、かなりの手間がかかったらしい。

 さて、二人はダイビングができないので、まるまる2日間をプーケット市内でぶらぶら過ごすほかなかった。
 そのためか、帰国後に会社の人たちから、「プーケットに2日間もいたなら、ボランティアでもしてくればよかったのに」と冷やかされたそうだ。
 だが本人によれば、「手伝おうにも、現地ではほとんど情報が入らないので、何がなんだかわからない状態だった」とのこと。
 騒動のただなかというのは、そんなものなのだろう。

後片付けをするホテルのスタッフ
ホテルの中庭では、スタッフが後片付けに余念がなかった

 もっとも、市内をあちこち歩いたおかげで、地元の人ともいろいろな話ができたようだ。
 レストランに入って「カオラックから戻ってきた」というと、店の人はみんな目を丸くして驚いたという。「よく生きて戻ってきたねえ」と言われて、おまけまでしてくれたのだとか。

 それにしても驚くのは、津波から2日しかたっていないというのに、欧米人(ほとんどはヨーロッパ人)が浜辺に出て甲羅乾しをしているという情景。まだ、近くにはがれきが積み上げられている状態なのに……。
 日本人ならば、「余震が起きて、また津波がくるかもしれない」と思うところだが、彼らは何を考えているのだろうか。
 100年に一度の災害が起きたから、もう100年間は起きないと思っているのか。
 さすがの妻も、これには違和感を覚えたそうだ。

津波2日後の浜辺
津波からわずか2日後だとは思えない情景  

 書き忘れたが、27日の夜に、妻は自宅に無事を伝える電話をかけている。
 だが、その夫(つまり、これを書いている私)は、すでに旅行会社から「無事」との情報を得て、安心しきって忘年会に出席していたのであった。
 そんなわけで、津波後の妻の第一声は、留守番電話で聞いた私である。

 29日の夜は、運命のクルーズ船に乗り合わせた日本人が集まり、プーケット中心部のレストランで食事会が行われた。
 まずは、グラスにシンハービールを注いで「命に乾杯!」。
 そして、誰からともなく、来年もぜひタイに来ようという話題が持ち上がった。
 目的は2つ。1つは、今回潜れなかったリベンジ。そして、もう1つは、現地の復興のために自分たちが率先してお金を落とすということだそうだ。
(うーん、家族としてはうまく言いくるめられた感がなきにしもあらず)
 会の名前は、あっさりと、「津波の会」に決まったのであった。

(完)

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