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2005-01-08

大津波遭遇記4 -カオラック帰港-

 津波のあった翌日の27日昼前、やっと入港禁止が解かれたとの連絡が入り、船はカオラック港に向かうことになった。
 ところが、船は途中から針路を変え、近くの島影で停船。見ると、近くにも何隻かの船が止まっている。
 どうしたのかと思っていると、「津波警報が発令されたために、停船しています」とのこと。
 はたして、この警報にどの程度の信憑性があったのかは不明だが、これもやがて解除され、船は再び港に向かって進みはじめた。

港近くの建物
木造の建物は大破。後方の鉄筋の建物はそのまま残った

 港に近づくにつれ、ごみや材木などが水面に浮かんでいるのが目立ってくる。
 そして、午後2時ごろにカオラックに入港。
 妻によれば、ひと目見て、想像以上の被害の大きさにショックを受けたという。海岸近くに建っていたコテージは跡形もなく、見える限りの建物はほとんどすべてが破壊されていた。
 もとのまま残っていたのは、公的な機関のものらしい鉄筋の建物だけ。
 自動車も、あちこちで木に衝突していたり、家の中に突っ込んだりしていた。

 周囲の人の話を総合すると、海岸にいた人を含めて、町に残っていた人は大半が亡くなってしまったという。
 無傷で生き残ったのは、妻やM嬢のように船で沖に出ていた人と、「象のトレッキングツアー」に参加して山に行った人たちだけ。
 もっとも、のちの報道によれば、「象のトレッキングツアー」では、象がいち早く異変に気づいて、客を乗せたまま山に逃げ込んだために助かったとのこと。
 そのツアーに同行した日本人添乗員に、妻が話を聞いていた。
「山の上から、大きな津波が襲ってくるのが見えたんですよ。椰子の木よりも高かったから、十数メートルの高さがあったのでは……。一瞬のうちに町が津波に飲み込まれてしまったんです」

木に衝突した車
津波に流されて木に衝突した車  

 ヨーロッパ人に被害が多かったのは、津波の知識が少なかったことに加えて、砂浜でぼんやりと甲羅乾しをしている人が多かったためのようである。
 じっとしていることの苦手な日本人は、ツアーに出かけていた人が多かったので、比較的遭難者が少なくて済んだのかもしれない。

 とはいえ、海岸にとどまった日本人も多かったはずで、妻によれば、その大半は個人旅行でやってきたバックパッカーだという。
 現地では宿帳もなく、パスポートもチェックされなかったというから、個人旅行での犠牲者の身元確認は困難を極めているだろう。
 日本人の犠牲者で確認されているのは、1月8日現在で20人あまり。
 しかし、あくまでも妻の推測であるが、カオラックとプーケット(*)だけでも100人以上の日本人が亡くなった可能性があるという。

*当初、「カオラックだけでも100人以上」と書きましたが、「カオラックとプーケットだけでも100人以上」に訂正いたします。すみません。

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コメント

こんにちは
タイやスリランカの被害に隠れて、マレーシアの被害はあ
まり報道されていないようですね。
それでも、そちらのブログで、ずいぶんと被害があったこ
とを知りました。
私も、10年ほど前にペナンに行ったことがあるので、気に
なります。
今後ともよろしく。

 はじめまして。ペナンの記事をトラックバックさせていただいた者です。
 ペナンの被害はカオラックほどではなかったのですが、やはり、警察やダイバーたちの捜索活動や壊れた家屋、打ち上げられた船などの様子は衝撃でした。
 タクシーのドライバーに聞いたら、やはり、tsunamiというものについてはあまり知らず、はじめてのことだと言ってました。
 離れた場所からですが、復興への応援をしたいですね。

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