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著書

  • 『ひたすら眺めていたシベリア鉄道』(私家版)
  • 『日本懐かし駅舎大全』(辰巳出版)
  • 『鉄道黄金時代 1970s──ディスカバージャパン・メモリーズ』(日経BP社)
  • 『国鉄風景の30年―写真で比べる昭和と今』(技報堂出版)
  • 『全国フシギ乗り物ツアー』(山海堂)

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2005-01-06

大津波遭遇記3 -第一報届く-

 二人は高速艇から母船のクルーズ船に乗り移り、いつものように誓約書にサイン。さあ、これからダイビングというときになって、日本人の女性ガイドにこんなことを言われたという。
「長い間、この仕事をやってきて、こんなことは初めてなんですが、ダイビング禁止の命令が国立公園当局からありました。スマトラ沖で史上何番目かという大きな地震があって、流されたダイバーもいるとのことです。ちょっとそのままで待ってくださいますか」

 ちなみに、クルーズ船には40人ほどが乗船しており、ダイバーたちは毎日少しずつ入れ替わりながら、一定の日数だけダイビングを楽しむというしくみだ。
 妻と友人のM嬢は日帰りの予定で、日程を組んでいた。

津波翌日の洋上
津波翌日の洋上。向こうに見える海岸では大惨事が起きていた

 しかし、周囲の海はべたなぎ。
 なぜ潜れないのか、不満と諦めが交錯する夕方ごろ、今度はこんな話があった。
「カオラックの港に津波が押し寄せて、大きな被害が出ているようです。港の設備が壊れてしまったので、きょうは帰れません。また、津波がいつ来るかもしれないので、ダイビングはしないで沖で待機してくれという指令が出ています」

 こうして、二人は一度もダイビングをすることなく、水着のままクルーズ船で一晩を過ごしたわけである。
 もっとも、食料も水もビールも豊富にあったというし、まさかカオラックがあそこまで壊滅状態になっているとは想像もつかなかったというから、いたってのんきだったらしい。

カオラック港の様子
港付近で作業を見守る人びと 

 別の船では、禁止令を破ってダイビングしていたところもあるという。客の要望があっとはいえ、余震の津波が来たらどういうことになっていたのか。
 実は、すでに日本で無事を知らされていた私も、これが心配だった。
 妻によれば、ほかの船は単一のダイビングショップが企画しているものがほとんどなので、ショップの責任で客を潜らせたのだろうということ。
 それと同時に、それまで自分たちが開拓してきたダイビングポイントが、津波によってどうなってしまったのか見ておきたかったらしい。

 その点、妻が乗った船は、さまざまなショップを通じて参加している人が多かったことも、禁止令を守る理由になっていたのだろう。
 日本人ガイドの行動は、きわめてきびきびしていたという。二人いたガイドのうちの一人は、状況を把握するために、すぐさま高速艇でカオラックに戻っていった。
 翌日、妻たちがカオラックに戻ってから、すぐにバスの迎えが来たことも、100キロほど離れたプーケットのホテルに泊まることができたのも、そして日本にいる家族にいち早く無事の連絡がきたのも、彼女たちの活躍があったからこそだろう。

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コメント

leoさんのいらっしゃるイタリアの新聞では、ほかにも
日本語がときどき出てきますよね。
一番目につくのが「Kamikaze」。
イラクの自爆テロがあるたびに、この文字を目にします。
いい加減、「カミカゼ」を使うのは勘弁してほしいと思
いますが……。

読めば読むほど
奥様の幸運ぶりを感じます。
日本人観光客が砂浜で
「Tsunami~」
と叫んだおかげで避難し助かった
外国人観光客も多かったようですね。
世界共通語だったおかげですよね、津波。

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