大津波遭遇記9 -蛇足-
妻の大津波遭遇記は終わったのですが、「終わり方がそっけなさすぎる」「まだ何か書け」というリクエストが相次いだため、蛇足としてもう1回書くことにしました--
さて、この下手くそな写真は、妻がカオラックにあるレストランで12月25日の夜に撮ったうちの1枚。
つまり、大津波がやってくる約10時間前の写真である。
ほかの写真には料理しか写っていないのだが、この1枚だけは料理の向こう側に、西洋人の客の姿が見える。
はたして、この人たちは翌日の朝、どういう運命を迎えたのだろう。そして、この料理を運んできたタイ人たちはどうなったのだろう。
そんなことを思うと、どうということのないこの写真が、突然意味ありげに見えてくるから不思議である。
←クリスマスの夜の“最後の晩餐”
さて、妻とM嬢は、12月30日の夜に成田空港に戻ってきた。
機内では、「空港でインタビューを受けたらどうしよう」とドキドキしていたという。なにしろ、日に焼けて、いかにも南の島から帰ってきましたという様子をしていたからである。
ところが、税関を過ぎてゲートを出ても、誰も声をかけてくれない。マスコミ関係者らしき人間が何人も目につくのに……である。
どうやら、彼らは体に傷を負った人を探して、インタビューをしていたらしい。二人はほっとして、しかしちょっぴりがっかりして荷物を押していった。
だが、その直後に、いきなり男性に声をかけられた。
「すみません、NHKの者ですが、ちょっとお聞きしてよろしいでしょうか」
さすが天下のNHK。彼女らが持っていた、プーケットのデパートの袋を見逃さなかったのだ。
「プーケットあたりからお帰りになったのではないですか」
妻はドキドキしながら答えた。
「ええ、カオラックにいたんですよ……」
カオラックはプーケットよりも被害が大きかったので、ここで大きな反応が返ってくると期待した彼女である。ところが、相手の男の表情は変化しない。
実は、この段階で日本に入ってきたニュースは、プーケットの被害ばかりであった。スリランカ、アチェの被災はもちろん、この時点ではカオラックという名前すらも、ほとんど話題にのぼっていなかったのだ。
「ちょうど津波があったときは、たまたま沖に出ていて助かったんです。船の上では、津波があったことも気がつかなかったんですよー」
正直に彼女が答えると、そのNHKの男性は無表情に言った。
「ああ、そうですか。ありがとうございました」
そして、すたすたと去っていったのだった。
うまく聞き出せば、このブログに収録したくらいのネタは仕入れることができただろうに。
もっとも、短時間になるべく“悲惨”な話を効率よく聞き出すには、妻とM嬢は不適当だったに違いない。
こうして、ニュースになるかもしれなかった大津波体験記は、その夫の手によって世の中に公開されたというわけである。
(こんどこそ完)
最近のコメント