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著書

  • 『ひたすら眺めていたシベリア鉄道』(私家版)
  • 『日本懐かし駅舎大全』(辰巳出版)
  • 『鉄道黄金時代 1970s──ディスカバージャパン・メモリーズ』(日経BP社)
  • 『国鉄風景の30年―写真で比べる昭和と今』(技報堂出版)
  • 『全国フシギ乗り物ツアー』(山海堂)

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2004-11-14

散歩ほど革命的な行為はない

 前回、イタリアのパッセッジャータ(散歩)のことを書いてからのこと。風呂に入ってふと思った。
--広場に集まったあの群衆が、一斉に行動を起こしたら、どうなるんだろうか。
 サッサリの広場なんて、人の数だけを見たら、そのまま革命が起きても不思議ではなかった。
 そう思うと、フランス革命だって、ロシア革命だって、広場に集まった群衆からはじまったものである。
 してみると、人びとでごったがえす夕方のあの散歩は、デモ行進のリハーサルを毎日やっているようなものではないか。
「革命は広場から」なんて話を聞いたことがあるが、「革命は散歩から」というのも案外、当たらずといえども遠からず、かもしれない。
夕刻のペルージャの中心部
 風呂で血の巡りがよくなったのか、私の頭は持ち主の意思とは関係なく動きだした。

 ヨーロッパ人(とくにイタリア人やフランス人)は、何か不満なことがあると、すぐにデモ行進をするが、それは、ふだんから、パッセッジャータで訓練しているからに違いない。
 日本でも、たまにデモ行進というものがあるが、あれは、やっているほうも見ているほうも、何か気恥ずかしい。板についていないのだ。ふだんから散歩をしないからである。

 そう、日本に革命らしい革命が起きなかったのは、都市に広場がなかったこと、そして夕方の散歩の習慣がなかったことが原因に違いない。
 こうして、私は一つの結論にたどりついた。
 散歩ほど革命的な行為はない!
 いいかげん、私は湯船のなかでのぼせかけていた。

 お江戸には、路地は至るところにあったけど、たいした広場はなかったよなあ。路地じゃあ、デモ行進もできないしね。
 でも、まあいいか。
 路地があったおかげで、楽しい落語のネタがたくさんできたんだし。

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