散歩ほど革命的な行為はない
前回、イタリアのパッセッジャータ(散歩)のことを書いてからのこと。風呂に入ってふと思った。
--広場に集まったあの群衆が、一斉に行動を起こしたら、どうなるんだろうか。
サッサリの広場なんて、人の数だけを見たら、そのまま革命が起きても不思議ではなかった。
そう思うと、フランス革命だって、ロシア革命だって、広場に集まった群衆からはじまったものである。
してみると、人びとでごったがえす夕方のあの散歩は、デモ行進のリハーサルを毎日やっているようなものではないか。
「革命は広場から」なんて話を聞いたことがあるが、「革命は散歩から」というのも案外、当たらずといえども遠からず、かもしれない。
風呂で血の巡りがよくなったのか、私の頭は持ち主の意思とは関係なく動きだした。
ヨーロッパ人(とくにイタリア人やフランス人)は、何か不満なことがあると、すぐにデモ行進をするが、それは、ふだんから、パッセッジャータで訓練しているからに違いない。
日本でも、たまにデモ行進というものがあるが、あれは、やっているほうも見ているほうも、何か気恥ずかしい。板についていないのだ。ふだんから散歩をしないからである。
そう、日本に革命らしい革命が起きなかったのは、都市に広場がなかったこと、そして夕方の散歩の習慣がなかったことが原因に違いない。
こうして、私は一つの結論にたどりついた。
散歩ほど革命的な行為はない!
いいかげん、私は湯船のなかでのぼせかけていた。
お江戸には、路地は至るところにあったけど、たいした広場はなかったよなあ。路地じゃあ、デモ行進もできないしね。
でも、まあいいか。
路地があったおかげで、楽しい落語のネタがたくさんできたんだし。
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