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2004-11-10

イタリアの散歩・パッセッジャータ

 イタリア人の生活でうらやましいことの一つが、夕方のパッセッジャータ(散歩)だ。
 日が落ちて薄暗くなると、市内のメインストリートには、だんだんと人の数が増えてくる。季節や曜日にもよるが、とっぷりと日が暮れたころには、もう人でいっぱい。

夕暮れのシエナ
 それでいて、どこに行くわけでもなく、大半の人は、商店街をぶらぶらしているだけ。商店街の端までたどりつくと、また反対方向に歩きだす。そうして、狭い町を何度も行ったり来たりしているのだ。

 みるからに上等の服を来て、腕を組んで歩く初老の夫婦もいれば、ベビーカーを押して友人と歩く若い女性もいる。そして、顔見知りの人を見つけては、まるで10年ぶりに再会したかのように、大げさにあいさつして話し込む。その、ほどよく、ざわめいた雰囲気が、なんともいえず心地よいのである。

 とくに、中心部から車を締め出した町では、パッセージャータは見ものである。ペルージャ、シエナ、サレルノの夕暮れどきは、まるでラッシュ時の新宿駅並みの人出だ。今回も、日曜日のシエナや週末のサレルノで体験することができた。

 しかし、これまでで一番印象に残っているのは、サルデーニャ島の第二の都市、サッサリで体験したパッセッジャータ。
 それはそれは大変な人出だった。老いも若きも市内に繰り出して、中心部にある広場はぎっしり人で埋まってしまっていた。それでいて、イベントがあるわけでもなければ、酔っぱらって騒ぐ人間がいるわけでもない。ただ、ざわざわしたまま、時間が過ぎていくのである。実に、不思議な体験だった。

週末のサレルノのメインストリート
 そんな散歩を日本でもしたいものだ--と前から思っている。そこで、パッセッジャータの気分で、左右をゆっくり眺めわたしながら、歩道をのんびりと歩いていくわけだ。

 だが、五十メートルも進まないうちに、決まって後ろから自転車がチリンチリンとベルを鳴らしてくる。そんなとき、腹が立つ前に、ちょっと悲しい気分になってしまうのだ。

 ちなみに、イタリア語で「ちょっとぶらぶらしてくる」といった意味の「散歩」はDue passi(ドゥーエ・パッスィ)という。直訳すれば、一歩、二歩の「二歩」。日本語では「サンポ」だから、日本が一歩だけ勝っているんだけどね。

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コメント

そうですよね。
私も、イタリアの散歩文化に影響されて、夕方の散歩を日課にしています。
(サラリーマンじゃないから、そんなことができるんだ、という陰の声があるけど……)
ときどき、旅行者の目になることを心がけると、地元の町にもいろいろな発見があって感激。

私もこちらにきて、
必ずお散歩をしています。
毎日見るDUOMOも、
毎日感激しています。
街ゆく人々を見るもの大好き。
日本の若い女の子みたいに、
みんな同じ格好なんてしてなくて、
それぞれが思い思いの格好をして
颯爽と歩いている!なんて素敵なんでしょう。
もちろん???と思う人にも出会いますが、
みんな自信たっぷりだから、あっぱれです!

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著書

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  • 『ようこそシベリア鉄道へ』(天夢人)
  • 『定点写真でめぐる東京と日本の町並み』(青春出版社)
  • 『日本懐かし駅舎大全』(辰巳出版)
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  • 『国鉄風景の30年―写真で比べる昭和と今』(技報堂出版)
  • 『全国フシギ乗り物ツアー』(山海堂)
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