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2004年11月の6件の記事

2004-11-25

これも公共交通機関?

 イタリアの小さな田舎町をぶらぶらしていると、「こんなところに何しに来たんだい」とよく聞かれる。
 そんなとき、「イタリアの丘上都市が好きなんですよ」と答えると、不思議と大半のイタリア人が納得してくれる。
 1980年後半あたりから、イタリアでも「小さな町ブーム」といったものがあり、山の中の村や町を巡る旅が、一般的に認知されるようになったらしい。
 ディスカバー・ジャパン(古い!)のイタリア版といったところだろうか。

 さて、遠目には素晴らしい丘上都市(山岳都市)なのだが、そこで暮らすとなると大変である。なにしろ、丘や山を登ったり下りたりしているのだから、年寄りは杖をつきながら、息を切らせて歩いていく。

 そこで、いろいろな公共交通機関が登場するわけだ。代表的なのはケーブルカーだろう。これまでにも、ベルガモ、オルヴィエート、ナポリで見た。

 でも、何より興味深いのはエスカレーターとエレベーターの使い方である。どちらも、日本ではデパートや駅の上下移動くらいしか思い当たらないが、イタリアではこれが立派な公共交通機関となっている町がある。
ペルージャのエレベーター乗り場

 そして、その2つが揃っているのが、イタリア中部、ウンブリア州の州都ペルージャである。もちろん、両方とも無料。
 エレベーター乗り場は、町の頂上にあたる広場の東側にある。なんともうらぶれていて、物好きな旅人の好奇心を誘う。 エレベーター自体は何の変哲もないのだが、そこから降りると暗い道が長々とつづき、いきなり広い道の前に出る。そこにはバス停があった。
 振り返ってみると、ごく普通の建物の入口にしか見えないところが、またまた心ときめくのであった。

 一方、エスカレーターは、広場の西側、バスの終点そばにある。一見、地下鉄の乗り場のようだが、そこから延々と何台かのエスカレーターを乗り継いで、長距離バスの発着するバスターミナル前に向かう。
 このエスカレーターの魅力は、冒険心をくすぐる舞台背景である。映画「インディージョーンズ」に出てきそう洞穴を、エスカレーターはくぐっていく。
ペルージャのエスカレーター
 おそらく、穴を掘っているうちに見つかったのだろう、エトルリア人の生活の遺物らしきものがあちこちに置かれている。
 このエスカレーターには、8年前にも乗ったことがあるのだが、今回の旅行では、洞穴の中に店ができていたのに驚いた。そのうちに地下商店街になったりして。
 写真を撮るには、ちょっと暗かった。そこで、ストロボ一発たいて撮ったのが下の写真。すぐ後ろにいたご婦人には申し訳ないことをした。何か言われぬうちに謝っておいたのだが、たぶんこのあと1時間近くは、視野の一部が光っていたに違いない。

 日本では、エスカレーターが公共交通機関化しているところというと、長崎市内と、あとは山を削ってできた各地の新興住宅地くらいだろうか。
 でも、高齢化がさらに進んでいくと、もっとあちこちで目にすることができるかもしれない。少なくとも、新交通システムなんかをつくるよりも安上がりだしね。

2004-11-17

大食らいの楽園

 とにかくイタリア人は大食いである。
 まあ、日本人にくらべれば、欧米人や中国人はみんな大食らいだが、イタリア人はそのなかでも、かなりのものだと思う。
 いい年をしたおじいさんやおばあさんが、大きな肉をぺろりと平らげ、平然としてコース料理を食べつくすのである。
 そんなテーブルの隣で、デカい図体をしたドイツ人やアメリカ人が、セコンド(メイン)の肉を食べながら、ため息をついていたりするのがおかしい。

1キロのステーキ
 私はといえば、日本人としてはたぶんかなりの大食らいであろう。前にもどこかで書いたが、10年ほど前に盛岡でわんこそばを135杯食べたことがある(たぶん、きちんと用意していけば、もっと食えただろう)。そんな私でも、イタリアのレストランでコースの食事を食べるのは厳しいときがある。

 今回の旅行では、2人で1キロのビステッカ・アッラ・フィオレンティーナ(フィレンツェ風のビーフステーキ--Tボーンステーキ)を食べた。
 さすがに、この料理(料理といっても塩胡椒で焼いただけだが)だけは、イタリア人でも1人では簡単には食べられないようだ。2人で分けて食べてもいいことに昔からなっていたそうな。
 もちろん、パスタは注文せず。肉の前にサラダを食べて腹の準備運動代わりとし、食後にコーヒーを飲んだだけである。

 それにしても、肉を待つ間は、なぜかドキドキしてしまった。面接試験の順番を待つような気分。で、実際に食べてみて、意外といってはなんだが、なんとか食べることができた。骨の分を差し引いたとしても、私一人で600グラムは食べたであろう。

 以前は、レストランのメニューで、ビステッカ・アッラ・フィオレンティーナだけが100グラム単位の値段が書かれていた。しかも、100グラムは、イタリア語で「1 etto」と書かれているだけ。
 そのために、イタリア語のメニューが読めない人は、「メインではこれが安そうだ!」と勘違いして、さまざまな悲劇を生むもととなったと聞いている。

 上の写真は、1キロのステーキを、店の人が切り分けてくれているところ。後ろで見ている観光客らしきおばさんの不安そうな顔が印象的である。

顔2つ分もありそうなピッツァ
 下の写真は、カラーブリア州ディアマンテで、隣のイタリア人家族が注文したピッツァ。
 さすがのイタリア人でも、この大きさには驚いていたようだった。

 それをわざわざ写真に撮ろうとする私たちも私たちであるが……。
 まあ、そのおかげで話がはずんだのはよかった。
 いまはローマに住んでいて、お父さんの生まれ故郷に遊びにきたんだそうだ。息子の嫁さんが、それとなく義理の両親を立てている様子が微笑ましかった。

 そういえば、あとで、ピッツァを2切れほど分けてくれたっけ。
 ああ、思い出しただけで、腹がいっぱいになってきた。

2004-11-14

散歩ほど革命的な行為はない

 前回、イタリアのパッセッジャータ(散歩)のことを書いてからのこと。風呂に入ってふと思った。
--広場に集まったあの群衆が、一斉に行動を起こしたら、どうなるんだろうか。
 サッサリの広場なんて、人の数だけを見たら、そのまま革命が起きても不思議ではなかった。
 そう思うと、フランス革命だって、ロシア革命だって、広場に集まった群衆からはじまったものである。
 してみると、人びとでごったがえす夕方のあの散歩は、デモ行進のリハーサルを毎日やっているようなものではないか。
「革命は広場から」なんて話を聞いたことがあるが、「革命は散歩から」というのも案外、当たらずといえども遠からず、かもしれない。
夕刻のペルージャの中心部
 風呂で血の巡りがよくなったのか、私の頭は持ち主の意思とは関係なく動きだした。

 ヨーロッパ人(とくにイタリア人やフランス人)は、何か不満なことがあると、すぐにデモ行進をするが、それは、ふだんから、パッセッジャータで訓練しているからに違いない。
 日本でも、たまにデモ行進というものがあるが、あれは、やっているほうも見ているほうも、何か気恥ずかしい。板についていないのだ。ふだんから散歩をしないからである。

 そう、日本に革命らしい革命が起きなかったのは、都市に広場がなかったこと、そして夕方の散歩の習慣がなかったことが原因に違いない。
 こうして、私は一つの結論にたどりついた。
 散歩ほど革命的な行為はない!
 いいかげん、私は湯船のなかでのぼせかけていた。

 お江戸には、路地は至るところにあったけど、たいした広場はなかったよなあ。路地じゃあ、デモ行進もできないしね。
 でも、まあいいか。
 路地があったおかげで、楽しい落語のネタがたくさんできたんだし。

2004-11-10

イタリアの散歩・パッセッジャータ

 イタリア人の生活でうらやましいことの一つが、夕方のパッセッジャータ(散歩)だ。
 日が落ちて薄暗くなると、市内のメインストリートには、だんだんと人の数が増えてくる。季節や曜日にもよるが、とっぷりと日が暮れたころには、もう人でいっぱい。

夕暮れのシエナ
 それでいて、どこに行くわけでもなく、大半の人は、商店街をぶらぶらしているだけ。商店街の端までたどりつくと、また反対方向に歩きだす。そうして、狭い町を何度も行ったり来たりしているのだ。

 みるからに上等の服を来て、腕を組んで歩く初老の夫婦もいれば、ベビーカーを押して友人と歩く若い女性もいる。そして、顔見知りの人を見つけては、まるで10年ぶりに再会したかのように、大げさにあいさつして話し込む。その、ほどよく、ざわめいた雰囲気が、なんともいえず心地よいのである。

 とくに、中心部から車を締め出した町では、パッセージャータは見ものである。ペルージャ、シエナ、サレルノの夕暮れどきは、まるでラッシュ時の新宿駅並みの人出だ。今回も、日曜日のシエナや週末のサレルノで体験することができた。

 しかし、これまでで一番印象に残っているのは、サルデーニャ島の第二の都市、サッサリで体験したパッセッジャータ。
 それはそれは大変な人出だった。老いも若きも市内に繰り出して、中心部にある広場はぎっしり人で埋まってしまっていた。それでいて、イベントがあるわけでもなければ、酔っぱらって騒ぐ人間がいるわけでもない。ただ、ざわざわしたまま、時間が過ぎていくのである。実に、不思議な体験だった。

週末のサレルノのメインストリート
 そんな散歩を日本でもしたいものだ--と前から思っている。そこで、パッセッジャータの気分で、左右をゆっくり眺めわたしながら、歩道をのんびりと歩いていくわけだ。

 だが、五十メートルも進まないうちに、決まって後ろから自転車がチリンチリンとベルを鳴らしてくる。そんなとき、腹が立つ前に、ちょっと悲しい気分になってしまうのだ。

 ちなみに、イタリア語で「ちょっとぶらぶらしてくる」といった意味の「散歩」はDue passi(ドゥーエ・パッスィ)という。直訳すれば、一歩、二歩の「二歩」。日本語では「サンポ」だから、日本が一歩だけ勝っているんだけどね。

2004-11-04

イタリアの不思議なネコ

 ネコが好きである。
 町で知り合いとすれ違っても気づかないことはあるが、ネコの存在なら数十メートル離れていてもわかる。

 だから、イタリアに行くと、たくさんのネコが目に入る。うれしいのは、小さな町の旧市街。道も狭く、めったに車が通らないから、ネコが悠々としている。
 その点は、東京の下町の路地や墓地にいるネコと共通したところがある。
 今回も、かわいいネコ、図々しいネコなど、さまざまなネコを見たが、なかでも印象に残ったのが、ここで紹介する2匹だ。

荷台の上のネコ
 まずは、トスカーナ州のコッレ・ヴァル・デルサで出会ったネコ。三輪の軽トラックの荷台に座って、上を見つめている。近くに寄っていっても気にかける様子がない。
 はて、何を見ているんだろう?

 と、視線の先を見てわかった。鳩が数羽、向かいの建物の窓に群がっているのである。
 だが、見ているだけではどうにもならないだろうに。
 とはいえ、その真剣なまなざしに痛く感動した私であった。

 もう1匹、カラーブリア州の西海岸、ディアマンテの旧市街で、不思議なネコに出会った。
 こちらは、ホンダのバイクの上に鎮座して、やはり上を見つめている。なかなか堂々とした姿である。

ディアマンテのネコ
 また、鳩でも見ているのか?
 と思って上を見たのだが、鳩はおろか、動いているものは何一つない。古いアパートがあるだけである。
----何を見てるんだろう?
 どう考えてもわからない。もしかすると……。

 ディアマンテの旧市街にある建物には、あちこちに壁画が描かれている。「壁画の町」として"町起こし"をしているのだ。

ディアマンテのネコ
 そのネコが見ている先にも、大きな壁画があった。この町に数ある壁画の中でも、有名なものの1つだ。
----このネコ、いや、おネコさまは、この壁画を鑑賞していらっしゃるのだろうか。

 そうとしか思えないご様子であった。
 少なくとも、私がそばにいた10分ほどは、ホンダのバイクの上で微動だにせず壁画を眺めていらっしゃったのである。
 恐るべし、ディアマンテのネコ。

2004-11-02

フィレンツェの安下宿巡礼

 フィレンツェ滞在中に、どうしても巡礼しなければならない場所が一つあった。それは、かの迷作「駄菓子のイタリア無駄話」の舞台となった安下宿である。
 安下宿は、旧市街の中心部近く、ドゥオーモの北にある。住所は、Via degli Alfani(アルファーニ通り)36。ロンドンのベーカー街221bほど有名ではないが、私にとって青春の1ページが刻まれた建物である。そして、そこの4階に私の部屋があった。
 まあ、8年前の訪問で、世話になったおばさんはもう隠居したことがわかっていたから、今回は建物の外から拝むだけにした。そして、ここでも、妻にくどくどと昔話をした私である。

安下宿の入口(右側)
 当時は、長期滞在の人にしか部屋を貸していなかったが、最近では一般の旅行者にも部屋を提供しているとのこと。インターネットにホームページがあるのには驚いた。
 建物の外には、1つ星のホテルを示すプレートが打ちつけてある。もし、フィレンツェに行って、ほかに何もすることがなくなったら(そんなことはあるはずないが)、ぜひ訪ねていただきたい。場所は、ダヴィデ像のあるアカデミア美術館の東。中心部に近いわりには、普段着の町の人の生活が見られるはずだ。

 さて、昔を思い出してしみじみと歩いていると、コンサートツアーのポスターが目に入った。イタリアの歌手のポスターは、シンプルだけどなかなかいい写真を使っているのが多い。この女性歌手は、1980年代なかばにデビューしたフィオレッラ・マンノイア。知っている名前があると、ちょっとうれしくなる。
「おお、元気にやっているじゃないか」なんて、まるで昔の顔見知りみたい。
コンサートのポスター

 もっとも、イタリアの歌手は、息の長い人が多い。ミーナ、アドリアーノ・チェレンターノ、マッシモ・ラニエーリなんていう大御所が、まだ第一線で活躍している。ミーナなんて、1959年に「月影のナポリ」(すごい邦題……)でデビューしたし、「2万4000回のキッス」で有名になったチェレンターノはさらにその前から歌っているから驚きである。
 日本にたとえれば、美空ひばりや三田明あたりが、若者にまじっていまでも元気に歌っているようなものかな、なんて考えた。

 だが、ホテルでイタリアのテレビを見ていて気がついた。歌番組がほとんどないのだ。代わりによく目にしたのは、視聴者参加の一攫千金番組や、何やら騒がしいだけの番組。これにはちょっとがっかりした。
 昔のことばかり言うのは老化のはじまりだというが、以前はもっといい歌の番組があった。もっとも、よく考えてみれば、日本だって同じようなものである。
 そうそう、日本と同じといえば、ニュース番組で、へそだしルックの是非を取り上げていたっけ。しかも、ミラノでインタビューを受けているへそ出しの女の子のしゃべり方(もちろんイタリア語)が、まるで今どきの渋谷のコギャル(死語?)とそっくりなのには笑ってしまった。

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