変わらないイタリア
もちろん、イタリアのすべてが変わったわけではない。変わらぬイタリアもあちこちで目にした。
笑ってしまうのが、飛行機から降りるときや、列車が終着駅に近づいたとき。このときばかりは、イタリア人はどの国の人よりもせっかちになる。まだ飛行機のドアが開いていないというのに我先に荷物をまとめて通路で行列をつくるし、列車の終着駅に着く数分も前からデッキに殺到する。
それはまるで、「早く降りないと危険だ」という意識が、民族の記憶に刷り込まれているかのようである。その行動を見ている限り、日本人のほうがよほど余裕たっぷりだ。
そういえば、かつてイタリア名物と言われていた、飛行機が無事着陸したときの「拍手」は、さすがになくなった。
個人的な思い出としては、23年前にローマから日本に帰ったときのことが忘れられない。雪に埋もれた真夜中のモスクワ空港に、ローマ発のアエロフロート機が無事着陸したときの「拍手」である。そばにいたイタリア人も日本人もパキスタン人も、みなうれしそうに、顔を見合わせて心の底から拍手したものだった。
さて、イタリア人に対する誤解の一つで、イタリア人は怠け者だという話があるが、そんなことはない。今回の旅で、私も妻もそれを確信した。イタリア人は大変な働き者である。バール一つとってみても、店のおじさんやおにいさんは、朝から晩まで働いているのを目にするだろう。
もっとも、南部に行くと、いまでもたっぷりと昼休みをとっているのは確かだ。
カタンザーロに行ったときのこと。昼の2時ごろを過ぎて、商店の一斉に店を閉めはじめたのには驚かなかったが、近郊に向かう中距離バスがパタリとなくなってしまうのには驚いた。
それまで多くの人で賑わっていて、次々にバスが発車していったバスターミナルが、あっとう間に、しーんとしてしまったのだ。時刻表をみると、どの路線も2時から5時までは便がないではないか。さすがに、ここまで徹底しているのはあまり見たことがない。
とはいえ、昼休みが長ければ、その分だけ、どの店も夜遅くまで営業していることを忘れてはならない。
どうも、イタリア人が怠け者だという定評は、アメリカ経由の偏った情報ではないかと私はにらんでいる。
そもそも、イタリアは日本と同様に職人気質を大事にするお国柄である。イタリアの優れた革のバッグにしても、素敵なスーツにしても、そんな働き者の職人技から生まれたものだ。
そして、その職人技こそが、いまのイタリアの経済復興を支えたのだと私は勝手に思い込んでいる。だから日本も……などと短絡的に語るつもりはないが、ちょっと頭の隅に入れておいていい事実ではないかと思うのだ。
そして私は、徐々に変わりゆくイタリアを横目に見ながら、いつまでも変わらないイタリアを楽しむために、また金をためて彼の地に足を運ぶことになるだろう。
« "普通の国"になった(?)イタリア | トップページ | 神田神保町・ミロンガのある路地 »
「イタリアの旅 北から南まで」カテゴリの記事
- フェッラーラ エステ家の城とイタリア版うなぎパイ(2023.11.25)
- フェッラーラへの半日トリップ(2023.11.23)
- 広々とした広場が見事なフォルリ(2023.11.19)
- 南チロルからエミリア-ロマーニャへ移動(2023.11.15)
コメント