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著書

  • 『ひたすら眺めていたシベリア鉄道』(私家版)
  • 『日本懐かし駅舎大全』(辰巳出版)
  • 『鉄道黄金時代 1970s──ディスカバージャパン・メモリーズ』(日経BP社)
  • 『国鉄風景の30年―写真で比べる昭和と今』(技報堂出版)
  • 『全国フシギ乗り物ツアー』(山海堂)

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2004-10-12

廃墟の町・ペンテダッティロ

 ここペンテダッティロ(Pentedattilo)を訪れるのは最初から難行が予想されていた。なにしろ、最寄りの駅メーリト・ポルト・サルヴォ(Melito Porto Salvo)から約8キロ。バス路線はないことがわかっている。それでも、なるべく近くまで行くバスがないかとレッジョ・ディ・カラーブリア(Reggio di Calabria)中央駅のインフォメーションを訪ねたのは11日の朝10時のことである。
ペンテダッティロの遠景


 すると、現地から約5キロに停留所があるらしいことがわかった。しかも、レッジョの駅前からそのバスが出ているという。あとは、バスの乗り場で聞いてくれとのこと。
 たまたまインフォメーションにいた自転車旅行の青年の助けを借りて、バス待ちのおじさん、おばさんを巻き込んで大騒ぎの末、ようやく「Bivio di Pentedattilo」で降りて歩けばいいことがわかった。
 カラーブリアのバスに乗ると、やたらに「Bivio」という名で始まる停留所があるが、これは「……口(入口)」「……下」といったところである。

 停留所がわかったからといって、案内放送があるわけでもなし。前もって運転手に因果を含めておくしかない。
 そして、レッジョの中央駅から約30分、目的の停留所に到着した。同じところで降りたのは、なぜかインド人3人。顔色や言葉から、どうやら私と相性のいいインド南部の人らしいので声をかけてみた。
 すると、そのうちの一人は3か月前に仕事で土浦に行ったとのこと。下手くそな日本語でなんとか会話が成立した。イタリアには仕事で来ているという。

 停留所のそばの、彼らの顔なじみらしいバールで、ビールをごちそうになってしまった。昨晩も、近くのピッツェリーアで店主に酒をごちそうになっている。どうも、旅先では人に情けをかけられるタイプらしい。

 さて、またもや前置きが長くなったが、問題のペンテダッティロは写真の通りのすさまじい町であった。「あった」というのは、いまはほとんど廃墟で人が住んでいないのである。
 どうやら、2、3軒の家と教会とは手入れされているようだが、それ以外は屋根や壁が壊れている家も多い。
ペンテダッティロの廃墟


 ペンテダッティロのことは、竹内裕二『イタリアの路地と広場 上』(彰国社)にもとりあげられているので、知っている人もいることだろう。
 ギリシャ語で、ペンテは5、ダッティロは「指」という意味とのこと。イタリア語のディータ、英語のディジットと同じ語源に違いない。バックの岩を、巨人の指にたとえて付けた名前である。
 それにしても、なぜここに家をつくろうと思ったのだろうか。実に不思議である。

 竹内氏の本によれば、18世紀の地震で放棄されたというが、もう少しあとまで使われていたのではないかという気もしないでもない。
 ここの少し下には、まるで公務員宿舎のような家が整列しているが、これはこの町に住んでいた人たちのためのものなのだろうか。

 結局、バス停からここまで強い日射しの中を歩いて1時間近くかかった。レッジョのバスターミナルで話を聞いたおばさんも、バス停のバールのおじさんも、「30分くらい歩けば着く」なんて言っていたがとんでもない。たぶん自分の足で歩いたことなどないのだろう。途中で水分が不足して、危うく遭難するところであった。

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