« コッレ・ディ・ヴァル・デルサ初訪問 | トップページ | 聖も俗もあるアッシージ »

2004-10-05

ペルージャのペルシャ人

 4日の昼にフィレンツェを発ち、午後はペルージャをぶらぶらして、夜7時ごろアッシージのホテルに着いた。
 ペルージャも何度か訪れたことはあるが、こんな明るく感じたのは感じたのは初めて。町の印象なんて、天気で大きく変わるものである。

 さて、興奮気味に古い町並みを撮っていたら、いつのまにか3時すぎ。食べ物屋は店じまいをはじめ、危うく昼飯難民になるところだった。
ペルージャ旧市街の水道橋付近

 いくつかの店で断られ、道すがら気になっていた中東風の音楽の鳴るピッツェリーアに入った。中年のやせこけた哲学者風中東風ヒゲ面男性が切り盛りする、路地の小さな店である。
 客はほかになく、ちょっと心配だったが、ピッツァもサラダもうまく、なんといっても店主の立ち居振る舞いの上品なのが印象的であった。
 まあ、この話は、いずれホームページの「イタリア町めぐり」で詳しく書くことになるだろう。その店主であるペルシャ人(イラン人)は祖父について世界の各国をまわり、最後にはペルージャで医学も学び、結局は気に入った料理の道に入ったということである。
 いろいろな人生があるものだ。この人のまわりでどんな出来事があったのか、想像するだけで思わず抱きしめたくなってしまったが、さすがに握手しただけで店を辞した。

 ところで、ペルージャといえば中心にある「11月4日広場」が有名だが、私としては外国人大学の近くにあるエトルスク門と水道橋(写真にあるようにいまは人道橋になっている)付近の風景、そして、観光客があまり行かない町の東部の町並みが好みである。

 さらに、穴場観光といえば、地元の人が利用するエレベーターとエスカレーターである。山の上にあるこの大都会では、エレベーターとエスカレーターそれ自体が公共交通機関(もちろん無料)となっている。
 なかでも、中心地近くのイタリア広場からバスターミナルを結ぶエスカレーターはお勧めだ。素掘り風の薄暗いトンネルのなかで、ときには遺跡の発掘跡を横に見ながら、何台もエスカレーターを乗り継ぐというのは、ちょっぴり神秘的で不思議な体験である。

« コッレ・ディ・ヴァル・デルサ初訪問 | トップページ | 聖も俗もあるアッシージ »

イタリアの旅 北から南まで」カテゴリの記事

コメント

paceさん、こちらでもこんばんは。
そうそう、出会いのエピソードを忘れないうちにまとめなくちゃいけませんね……って、もうだいぶ忘れている私でした。
この道は、まさにペルージャのピカイチの景観ですよね。
当時のデジカメで撮った写真なので、ずいぶん安っぽい色になってしまいました。

度々あっちこっちにお邪魔してすみません。

ペルージャは私にとって、とても思い入れの深い街です。2006年の夏に短期留学で一ヶ月滞在しました。
写真はヴィア・アッピアですね。懐かし~い!初めてここに来た時、アーチの向こうに見えた真っ青な空の色が絵葉書よりもきれいでした。(そういう時に限ってカメラを持ってきてなかった… (;ω;))

ペルージャのペルシャ人の話、ずっと前からとても気になっています。
  
>この話は、いずれホームページの「イタリア町めぐり」で詳しく書くことになるだろう。

ぜひぜひ書いてくださいませ!! 直ぐに、とは申しませんから。
いつまでも、楽しみに待っています。(^o^)/

『マカロニ』・・・・・・コメントにエットレ・スコーラの名前がちゃんと書かれているのを目で読みながら、勝手に頭でフェリーニの作品と思いこむ私・・・・・・お恥ずかしい (*_*)
実は、Ettoreをエットーレと読んで即座にエットレとイタリア人の先生に直された者の一人です。(^^;;


そう、大陸の端の島国で育った人間にしてみれば、
そのあたりの感覚がまるで違うことに気づかされますね。
そんな人たちと出会って、カルチャーショックを受けるのも、旅の醍醐味かななんて思います。
でも、そんいう人たちも、年を取ると、生まれ故郷に帰りたいという気分になるのかなあ?
オルヴィエートの次は、ぜひペルージャ、アッシージにどうぞ!
時間があれば、グッビオやスポレートにも……ああ、きりがない。

一歩日本を離れると、
自分の思うがままに生きている
素敵な人々によく出会いますよね。
日本人からしたらとてもとても
勇気のいる決断でも、こっちの人は結構
あっさりとさらりと消化してて刺激的!
フィレンツェに住んでるイラン人の
友人もとても素敵な、前向きな人です。
そうそう、私はまだペルージャもアッシジも
未経験です。次回の遠足は1泊2日で2都市を
制覇しようと思ってます!

インドのナンやチャパティも同じルーツなんですかね。私たちが思っているよりも、はるかに交流が活発だったのでしょう。とくに、ペルシャ人はインド・アーリア系だし。

どこをとっても、絵になるイタリアですね。それにしても急な坂道の水道橋。遺跡の発掘も、ギリシャ・ローマ時代のものがぼろぼろ出てきそうですね~。ペルシャ人のピザのことですが、イランにもピザみたいなのがあって、以前イラン人の友人の手作りをいただいたことがあるのですが、イタリアのピザよりずっと好みだったのを思い出しました。

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« コッレ・ディ・ヴァル・デルサ初訪問 | トップページ | 聖も俗もあるアッシージ »

フォト
サイト内検索
ココログ最強検索 by 暴想

広告