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2014-12-20

『鉄道黄金時代 1970's』発売!!

イタリア旅行の報告の途中ですが、新刊のお知らせをいたします。
12月19日、拙著『鉄道黄金時代 1970's ディスカバー・ジャパン・メモリーズ』が発売になりました。

『鉄道黄金時代 1970's』表紙

────────
1970年。
大阪で万国博覧会が開催され、
それに続いて国鉄のキャンペーン「ディスカバー・ジャパン」が始まった。
駅には人びとを旅へ誘う新鮮なイメージのポスターが飾られ、
テレビでは「遠くへ行きたい」という番組が人気となった。

あのころ、私たちは何を見ていたのか。
本書は、まだ見ぬ「美しい日本と鉄道」を求めて日本中をさまよい歩いた鉄道探検記。
蒸気機関車を追い、ローカル線を乗りつぶし、森林鉄道やトロッコを発見。
当時の雰囲気をありのままに切り取った写真とともに、さまざまなエピソードか語られ、
過酷だけど楽しかった当時の旅が、いきいきとよみがえる。
ディスカバー・ジャパン時代の鉄道風景を1冊に。

いつでも撮れそうで、結局、撮り損なってしまった光景が、ここにあります。
模型にしたくなるような車両と駅の写真も豊富。

●目次
序章 鉄道趣味人の1970年代
第1章 国鉄
第2章 私鉄ローカル線
第3章 路面電車
第4章 森林鉄道・トロッコ・専用鉄道
終章 あの向こうには何があるんだろう?
────────
288ページの分厚い本に、数百枚もの写真と当時のエピソードをつづる文章があれこれ。
鉄道本に名を借りた一人の少年の成長物語でもあり、写真論でもあり、もしかすると思想書でもある、と本人は真剣に思っています。

安くはないのですが、重さは600グラム近くあるので、読後はダンベル代わりになります。
ぜひ、お手にとってご覧ください。

『鉄道黄金時代 1970's』カバー

発売を記念して、「日経ビジネスオンライン」に関連コラムを短期連載しています。
タイトルは、「高倉健の名作×鉄道マニア」。
健さんの映画を4本取り上げて、そこに出てくる鉄道の話題について書いています。
周囲の固い記事のなかにあって、完全に異彩を放っています。
合わせてごらんください。

第1回は「『駅 STATION』 衝撃のラストシーン
ラストシーンが衝撃だと感じるのは、一部の鉄道マニアだけかもしれませんが……。

2014-12-09

アオスタ: フェニスの古城と不思議なフランス語表記

また、間が空いてしまったけれど、イタリア旅行の続き。
でも今回は、前の記事でバールの城砦を紹介したついでに、2012年に訪ねたフェニス(Fènis)の城の話。
フェニスはアオスタから東へ10km強の距離にあり、アオスタとバールの中間くらいに位置している。

ここには14~15世紀ごろに原型ができたという城がある。
古い城の原型を保っているために、観光客にも人気が高い。

フェニスの城

アオスタとトリノを結ぶ鉄道からは少し外れているが、アオスタのバスターミナルからは直通のバスが走っている。
ここは、とくに地理的にも近いフランスからの観光客が多く、私が訪ねた2012年6月には、フランス人の団体客と遭遇した。

フェニスの城

写真でもわかるように、まるでおとぎの国にでも来たような外観が楽しい。
フェニスの村自体は、新しい家が建ち並んでいるだけの、なんの変哲もないところだが、そのなかにあって、ここだけが異次元の空間のように見える。

フェニスの城

残念ながら城の内部は撮影禁止だったのだが、予想に反して質素なものだった。
きらびやかなお城のイメージはまったくなく、どの部屋も素朴な感じで、ヨーロッパの田舎の庄屋さんの家という印象であった。
もっとも、昔はもう少し意匠を凝らした家具や絵画などが置かれていたのかもしれないが。
城のいわれについて、そのときにいろいろ学んだのだが、2年もたったら忘れてしまった……。

フェニスの教会

城は小さいので30分もあれば十分に回れる。
あとは、ぶらぶらと村のなかを散歩。すると、こんな教会があった。外面に壁画が大胆に描かれている。

フェニスで見た看板

そして、なによりも印象に残ったのがこれ。
村の施設を記した看板なのだが、この地方では当然のようにイタリア語とフランス語が併記されている。
ところが、なかにはどう見てもフランス語とは思えないものが交じっている。
下から3つ目、「area attrezzata」というイタリア語はあまり見たことがなかったが、「テラスのある区域」ということで、キャンプ場のことなのか。
それに対して、「tsantè de bouva」とは、全然フランス語っぽくない。

フェニスからヌスへ

いくら時間をつぶしても、次の帰りのバスまでには1時間以上あるので、鉄道駅のあるヌス(Nus)の町まで歩くことにした。
直線距離で1kmあまりだと思って、「軽いぜ」と思っていたら、遠回りの道しかなく、結局2km以上を歩くことに。
しかも、真夏の日差しが真上から照りつける時間帯だったので、かなり体力を消耗してしまった。

Nusは、イタリア語風に「ヌス」と発音するのも聞いたし、フランス語風に「ニュ」と発音するのも聞いた。
どちらにしても、地名にしては短すぎるので、文章のなかで埋もれてしまって聞き取りにくそうである。

駅は、前回のバールと同じく普通列車も半数以上が通過。
結局、いい列車がなく、30分おきに国道を走るバスに乗ってアオスタに帰って来た。

ヌスの町のなか

最後の写真は、ヌスの町で見かけた街路の標識である。
少なくとも、イタリア語でも標準フランス語でもなさそう。
アオスタのフランス語は、南フランスのオック語系(プロバンス語系)のものだと聞いたが、それなのだろうか。
語頭に「L」が重なるのは、バルセロナ近辺のカタルーニャ語やイギリスのウェールズ語で見たことはあったが、ここにもあるとは知らなかった。「Hopeutaill」は病院なのだろうか。
こんな発見もあるから、ぶらぶら旅は楽しい。

2014-11-22

フォトジェニックなバールの城砦

アオスタには9月11日から2泊。2日目は目いっぱい使えるので、まずはかねてから行きたかったバールの城砦(Forte di Bard/Fort de Bard)に。
Bardだからバルドと発音するのかと思っていたら、もう完璧にフランス語でバールと呼んでいた。
バールはトリノに向かう街道沿いにある。アオスタのバスターミナルから30分おきに出ているポン・サンマルタン(Pont Saint Martin)行きのバスで1時間10分ほど。

「ほら、あれだよ」
目の前に現れた見事な城砦を指さして、運転手はバスを停めた。

バールの城砦

この城砦を知ったのは、1990年代にイタリアで買った「Bell'Italia」という旅雑誌であった。
この雑誌は、毎号イタリア各地の知られざる町や観光スポットをいくつか取り上げてくれるので、イタリアに行くたびに買っていた。
もっとも、最近はさすがにネタ切れのようで、今回はぱらぱらとめくってみて、あまり興味を引くスポットがなかったので、初めて買わずに帰ってしまった。

バールの城砦

雑誌の特集を見る限り、かなりの高低差があるようで、頂上まで登るのはかなりの覚悟が必要だと思っていた。
ところが、である。
現地に行ってみると、なんと斜行エレベーター(簡単なケーブルカーのようなもの)ができているではないか!
入口にある案内所のおじさんによると、これを4本乗り継いでいくと頂上までいけるという。
心のなかでは登山を覚悟していたので、ちょっと拍子抜けである。

バールの村

これが、斜行エレベーターから見たバールの村。
中世からあった集落とのことで、狭い道の両側に古めかしい建物が建っていた。
ちなみに、エレベーターは無料。頂上まで行って帰ってくるだけならば、一銭も、いや1ユーロもかからないのである。

城砦の上からの眺め

これが城砦の上からの眺め。なかなかのものである。
左側に高速道路が見えるが、私たちの乗ったバスは、右の川沿いをくねくねとやってきた。
川の左側には鉄道の線路が見える。これが、トリノとアオスタを結ぶ路線である。
そして、黄色く見える建物が駅。
じゃあ、なんで列車で来なかったのかというと、その理由はのちほど。

駅名はバール・オーヌ(Bard-hone)。川の右側(この写真では見えないが)がバール、左側(この写真に写っている地域)がオーヌの町である。

城砦の中

この城砦であるが、もともとはこの小山の頂上に古くからあったものである。
ほかの地域の城砦と同様に、山の上にぽつんと建っていたらしい。
そこへの通路を整備して、通路に屋根を付け、さらに何百という部屋をつくったという。
サヴォイア王国の時代である。
1800年、この城がナポレオン軍の進軍を止めた……とかなんとか、そしてイタリア統一に力を尽くしたカブールも一時はここに幽閉(?)されていた……とかなんとか、金を払って見学した博物館にはそう書いてあった。

そして、19世紀にさらに手を加えて今のような形になったそうで、だから内側を見ると意外に近代的なのであった。

バールからオーヌへ

さて、城砦から下界に降りて、橋を渡ってオーヌの町をぶらぶら……と思ったところで難題が発生した。
実は、うまい具合にアオスタに戻る列車がやってくる時刻だったのである。
この区間は普通列車のみが1日に20往復ほどしているのだが、この駅に停まるのは、そのうちの半分以下。
その列車が、20分後と1時間後にやってくる。その次に停まるのは、3時間ほど先。

だが、1時間以内でオーヌの中心部まで行って戻ってくるのは少し厳しい。
列車に乗り遅れても、バスで帰ればいいのだが、またあのくねくね道を1時間以上かけるのはつらい。
ということで、軟弱にもそのまま鉄道駅に直行して、20分後の列車に乗ることにした。

ところが、駅に行ってまたびっくり。無人駅なのは当然だろうが、切符の自販機もなく、駅前には切符を売っていそうなバールすら1軒もない。
やむなく、やってきた列車に無券で乗ることにした。
でも、その前に城砦をバックに撮影。

バールの城砦をバックに

列車は、城砦の真下をトンネルでくぐってやってくる。
「そうだったか」と私はしみじみ納得。
というのも、2年前にここを列車で通りかかったとき、城砦が見えるはずだと、懸命になって左右の車窓を眺めていたのである。
そのときは「おかしいなあ。なぜ見えないんだろう」と思っていたのだが、真上にあったんじゃあ、見えないはずである。

さて、問題の切符だが、乗車してすぐに車掌に言ったら、罰金なしで切符を切ってくれた。
どうやら、ほかの無人駅で乗った人もそうしているようで、ここではそれが当たり前のようである。
45分ほどでアオスタに帰り着いた。

2014-11-13

アオスタで見た不思議なものいろいろ

アオスタ市内の歴史的な観光地というと、ローマ遺跡やアウグストゥス門が有名だが、サントルソ(聖オルソ)教会とその修道院は必見である。
とくに修道院は、建物や回廊のデザインが特徴あって目を引く。

サントルソ修道院の正面

狭い路地の奥にあって、知らないでいると見逃してしまいそうな場所にある。
そんなひそやかな場所に、こんな手の込んだ建物が建っているのだ。
そして、下のほうはこんな感じ。

サントルソ修道院の正面

専門的にはなんというのは知らないが、アーチの下のもたっとした大根足のような装飾がかわいい。
ガイドブックでは12世紀に建てられたのだそうだ。

そして、修道院の回廊に入ってみたかったのだが、今回は時間が合わずに残念。
2年前に訪れたときの写真を貼っておこう。

サントルソ修道院の回廊

回廊は15世紀のものらしい。
こうした修道院の回廊は、イタリアのどこに行っても見られるが、ここのものは、おそらく天井が低くてアーチの間隔が狭いためか、薄暗いのが古さを感じさせる。

そして柱にあったこの彫刻が素晴らしい。

サントルソ修道院の回廊

土俗感あふれる表情と肢体がいきいきとしていて最高! アフリカの遺跡から発掘されたと言われたら信じてしまいそうだ。
思わず、「キリスト教伝来前の文化が色濃く残っていて……うんぬん」とウンチクを語りたくなる。

さて、固い話になったので、ここで気分転換。
アオスタ駅構内のバールで飲んだモレッティのレモンビールである。

モレッティのレモンビール

「レモンビールはほかのメーカーからも出ているけれど、モレッティのほうがうまいよ」と、カウンターの隣にいたおじさんが説明してくれた。
イタリアでは、こういうお節介な親爺さんがいるから楽しい。そういえば、アルバの白トリュフのときもそうだったっけ。
レモンビールのウンチクも東京で披露することができました。

それにしても、今回は25日もイタリアにいながら、結局モレッティのレモンビールを見たのはこのときだけ。
これを見つけた妻の目ざとさには感心せざるをえない。
そうそう、味は……さわやかで、微妙な甘みと苦みが交じっていて、非常にうまかった!

サンマルタン-サヨナラ バス停

最後の写真は、次の停留所に注目。
「Via St. Martin Sayonara」とある。
「サンマルタン通りサヨナラ」
車内放送を聞いていたら、突然日本語らしき単語が出てきて、びっくりして電光掲示板を見て、あわててカメラを取り出してかろうじて撮影に成功!

バスはサンマルタン通りをずっと走っていたので、「サンマルタン通り○○」という名前の停留所が続いていた。
そして、その途中に出てきたのがこれである。
「サヨナラ」はどうやら交差点の名前らしいのだが、何に由来しているのかまだわからない。
かつては、この近くに「ホテル・サヨナラ」というのがあったらしいことまではわかったが……。

ちなみに、「ホテル・サヨナラ」はイタリアのほかの町にも現存するようだ。
なかには、「ホテル・ニューサヨナラ」があって笑ってしまった。
日本に例えてみれば、「ペンション・チャオ」「お宿、アリベデルチ」というイメージかな。

2014-11-12

アオスタで肉三昧

トリノから列車で約2時間、フランス国境に近いヴァッレ・ダオスタ州の州都、アオスタに到着した。ここで2泊。
2年前にもアオスタには来たのだが、妻は初めてなので例によってツアコンである。

アオスタは標高が高いから涼しいんと思っていたら、30度近い暑さにびっくり。
タクシーの運転手によれば、「いやあ、涼しいときもあったけど、ここ2、3日は暑くて」ということだった。

ホテルからの眺め

予約したホテルはアオスタ駅から4kmほどのところにある「ホテル・パノラミーク」。
名前にたがわず眺めのいいホテルだった。上の写真はベランダからアオスタの市街地の方向を撮ったもの。

ホテルのフロントのおばさまは、私たちが公共交通機関でやってきたことにビックリした様子であった。
とはいえ、駅前にはタクシーが止まっているし、バスも30分おきに出ている。
もっとも、急斜面に建っているものだから、バス停からは急坂をひいこら言って登ってこなくてはならない。

シャノー広場

この日は昼過ぎまでトリノでうろうろしていたものだから、アオスタに着いたのは夕方近く。
もう無理はしないで、夕食まで市内をぶらつくことにした。

アオスタは、州都というよりも、州町あるいは州村といったほうが似合う小さな町である。
町の中央に、市庁舎のあるシャノー広場があり、そこから四方に道が伸びる。

サンタンセルモ通り

そのうちで、東にあるアウグスタ門に向かうポルタ・プレトリア通り、それに続くサンタンセルモ通りが目抜き通りといった感じで、飲食店や土産物屋が並んでいる。

そんな市の中心部からも、万年雪をかぶった山々が見渡せて、すがすがしい気分である。

シャノー広場

うれしい思い違いだったのは、トリノやアオスタの人たちの気質。もっとツンツンしているのかと思ったら、ずいぶん観光客にはやさしい。むしろ、何かと気が利いて、親切な人が多かったのは意外であった。

しかも、少なくとも私が歩き回った限りでは、夜でも町にあまり緊張感がない。
事実、どちらの町とも(とくにアオスタは)治安がよいということなので、肌で感じたイメージは間違いないのだろう。

1日目の晩飯は、中心部の路地裏にあるトラットリーア「La Trattoria degli Artisti Pam Pam」。
「芸術家パムパムのトラットリーア」といった意味か。
観光客も大勢いたが、地元料理が中心のまったく気どらない店である。

前菜をサラミとハムの盛り合わせにしたら、予想にたがわず山ほど出てきた。
下の写真はもちろん1皿が1人分である。
パスタはパスして、メインに牛肉のタッリャータを注文。まさに肉三昧である。

前菜盛り合わせ

帰りは10時近くになってしまったが、まだ駅前からホテル下まで市内バスがある時刻。

それを信じて、駅まで歩いてひと気のないバス停で待っていたのだが、いつまでたってもやって来ない。
終電は終わって駅に人はいないし、タクシー乗り場にタクシーはいないし、近くの店はすべて閉まっている。かといって、知らない夜道を1時間も歩けない。
市内バスの時刻表を信じた私を、妻が責める。
「これはマズい。どうするか?」
進退窮まったところで、タクシーが1台やってきた。まあ、なるようになるものである。

サンタンセルモ通りのワインバー

2日目の晩飯は、前日から妻が目をつけていたワインバー。
穴蔵風の店内が大変よろしかった。食べるものは、チーズとサラミ・ハムとパンしかないのだが、黙っていると次々に盛り合わせが出てくるというしくみ。
地ビールも飲み、ワインもおすすめの地元のものをたらふく飲んでご機嫌になったのであった。
そうそう、前日の失敗に懲りて、店の人にタクシーを呼んでもらったのは言うまでもない。

2014-11-05

トリノ・スペルガの登山電車

いつまでもトリノの話をしていると終わらないので、今回はトリノ最終回。
トリノ郊外にある登山電車に乗ったという話である。

郊外といっても都心から15番のバスで20分ほど。
バス停近くにあるサッシ駅と丘上に聖堂の建つスペルガとの間3.1km、標高差425mを18分で結ぶ登山電車である。
線路の中央に歯車があって、車両の歯車と噛ませて急勾配を上下する「ラックレール式」の鉄道だ。

サッシ駅にて

往復料金6ユーロを払って駅で待っていると、丘の上から電車が降りてきた。
これが、折り返して11時発となる。
見てわかるように相当の勾配だ。最大21%なのだという。

旧型電車の車内

発車時間が迫ってくると、各国の観光客が三々五々集まってきてかなりの賑わいになってきた。
電車は2両編成で、私たちはすかさず先頭車両の先頭の席へ。

路線の途中

住宅地の中から発車する観光鉄道なので、もっとお気楽な遊覧電車かと思っていたのだが、乗ってびっくり。かなりの本格派である。
うっそうとした林を抜けていくと、下界とは違ったひんやりとした風が吹いてきた。

途中駅は3つあるのだが、この日はすべて通過。周辺に民家も少ないので、ほとんど乗降客はいないのだろう。
上の写真は、ただ1か所、上下列車の交換(すれ違い)ができるラッドッピオ駅。
もっとも、平日は1時間おきに運転されるので、すれ違いはない。日曜日は30分おきなので、ここですれ違う必要があるのだろう。

スペルガ駅

スペルガ駅に着くと、ほとんどの人たちは駅から少し歩いたところにあるスペルガの教会に行くのだが、私たちを含むごく一部は、駅でうろうろしながら電車の写真撮影。
どこの国にもマニアはいるものである。

スペルガ駅

それでも、駅のはずれから走行シーンを写そうとしているのは、私たち二人だけであった。
まあ、カメラを持たずに、楽しそうに見送っていた人たちはいたけれど……。

次の発車は1時間後なので、一応その間にスペルガの教会を拝観。
おもしろかったのは、その内部にバールがあったこと。
カプチーノを頼んだら、こんな素敵なアートで出てきた。

スペルガ聖堂のバール

聖なる場所だというのに、きちんとアルコール類も備わっているのがいいところである。
午前中だというのに、もうビールを注文していたイタリア人のおじさんもいた。

あとは、発車の時刻まで教会の周囲をぶらぶら。
それにしても、よく丘の上にこんなデカい建物をつくったものだと感心する。一応写真を撮ったけれども、誰が撮っても同じになるので、ネットで探して見てください。

教会の建物よりも気に入ったのが、すがすがしい空気。周囲は自然公園になっているらしく、時間があればハイキングコースをたどって下に戻れるようだ。
そんななかでサッカーに興じる少年たち、写真をとるおばさんの集団、食事をとる家族連れなど、みなさまざまな時間の使い方をしていた。

サッシ駅

スペルガ駅12時30分発の帰りの便に乗車。
18分かけて降りてきた下界は、まだまだ夏の名残で蒸し暑かった。

ちなみに、この路線は火曜日は運休(代行バスが運転される)になるので、ご注意あれ。

2014-10-28

飯とワインのピエモンテ早足三都めぐり

トリノ・リンゴット駅では、運よく1時間に1本のジェノバ行き快速列車に間に合い……と思ったら、当の列車が15分遅れてやってきた。
それにしても、隣駅のトリノ・ポルタ・ヌオーヴァ駅始発の列車である。どうやったら、15分遅れるのか、実に不思議である。

アスティ

まあ、とにもかくにも、アスティ(Asti)までノンストップで30分。午後1時に到着した。自動車博物館で時間を食ってしまったので、大急ぎの小旅行になりそうなのだが、腹が減ってはどうにもならないので、まずはアスティ市内のトラットリーアで昼飯である。

ここで本日初のワイン。2人で500ccのカラフェである。ここまで来たのだから、バルベーラ・ダスティ。日本で飲むとどこか酸味が強い印象があったが、やはり本場で飲むのはコクがあってうまいものである。

パスタが不思議な食感で、悪く言えばぼそぼそしているが、よく言えば良質な冷し中華の麺に近い、なんか懐かしい感じ。
これが、Tajarin(タヤリン)という卵黄入りのパスタだということを知ったのは、この次に行ったアルバ(Alba)の町でのことである。

アスティ

アスティからアルバまでは、かつては鉄道の路線があったが、現在は1時間に1本のバスが走っている。
例によって、のんびり町めぐりをしていたものだから、最後は走ってバスターミナルへ。
ところが、どこを見てもアルバ行きのバスは見当たらない。時刻表を見てもそんなバスはない。その辺で待っているイタリア人に聞いてもわからない。

懸命に探した結果、アルバ行きのバスはバスターミナルの中ではなくて、なぜかその入口にあるバールの前から出るのであった。
気がついたときには、すでにバスは出たあと。やむなく、もう一度、町の中心地に戻ってワインを飲むしかなかった。

アスティ

下の写真は、アルバへ行くバスの車窓から。廃線となった線路である。
奥にニエーヴェ(Nieve)駅跡が見えるが、この町が「イタリアの美しい町」の1つ。
郊外には一面にぶどう畑が広がり、丘上にはこぢんまりとした上品な町並みが見える。
「次にトリノに来たときはここも訪れなくては」と、また宿題を増やしてしまった。

線路跡

アルバへは所要1時間弱。
アルバは、アスティよりも一回り小さな町だが、夕方近くなって人が町に繰り出して、ちょうどいい感じの賑わいである。
食料品店の前には、上の写真のような黒トリュフが売られていた。
私たちが珍しそうに見ていると、そばにいたおじさんが話しかけてくる。
「黒トリュフはアルバ産じゃないんだ。アルバは白トリュフ。出てくるのは10月になってからだよ」

こういうおせっかいなおじさんがいるから、イタリアは楽しいのである。
おかげで、また一つウンチクを仕入れたので、日本に帰ってイタリアレストランに行ったら、知ったかぶりをして話してやろうと心に決めた。

アルバ

町めぐりの時間は1時間しかなかったが、小さなアルバの旧市街はなんとか歩きまわることができた。
そして、ここまで来たら飲まないわけにはいかないということで、ドルチェット・ダルバとバルベーラ・ダルバをそれぞれグラスで飲む私たち。
おかげで、また駅まで走るハメになってしまったのである。

アルバ

アルバからは列車でブラ(Bra)へ。所要は25分ほど。着いたときには、もう初秋の日は暮れかかっていた。
ブラは、スローフード発祥の地ということで世界的にも知られるようになったが、アルバよりもさらに一回り小さな町である。

「トリノ行きの終電まであと1時間。これを逃したら今日は帰れないぞ」
妻に念を押して、旧市街まで早足で歩く。
なぜか、料理学校の先生と学生らしい日本人15人ほどの団体と出会ったものの、このままあっさりと駅に戻ってこの日の小旅行が終わるはずであった。あの人たちと会わなければ。

アルバ

町の中心部の小さな交差点には、大勢の人が店の外で食事をしていた。
そんな様子を写真で何枚も撮っている妻を見て、「そろそろいい加減にしたら……」と思っていると、なにやらこちらを見る視線がある。
東洋人の女性が2人。目が合ってからのうなずき方で、日本人とわかった。

それが、アルバに住む書道家のHさんと、自動車のデザイナーをしていたイタリア人の旦那、そしてたまたまその日にお二人とばったり会ったというWさんであった。
あいさつをして一瞬で意気投合。「時間がないんです」と言いつつ、楽しそうな雰囲気に抗うことができず、ワインをまたしても飲んだ私たちであった。

わずかな時間だったけど、私たちはブラとピエモンテのよさとイタリアに住む面倒くささを知り、3人は我々のこれまでのタフなイタリア旅行の様子に驚いた。
わずか15分ほどだったが、この日の小旅行の終わりにふさわしい楽しいひとときだった。

後ろ髪を引かれつつ、再会を約して、その場をあとにした。
そして最後は、やはり小走りで駅まで戻ることになったのである。

「ピエモンテもいいね。このあたりにはまた来たい」と妻。
「どこがよかったの?」
「そうねえ、来たい順番は、ブラ、アルバ、アスティかな」
「滞在時間が短い順じゃないか!」

2014-10-25

トリノの自動車博物館とリンゴット駅のJAZZ

前日の時間切れで、やむなく9月10日は朝10時の開館に合わせて、自動車博物館を再訪することにした。
場所は、地下鉄の終点リンゴットから徒歩で7、8分。ポー川に面したところにある。

トリノの自動車博物館

最近になって改装したとのことで、人を寄せつけない(と私には前日の経験からそう見えた)無機質な外観は、戦前のファシズム建築につながるものを感じたが、それを補って余りあるのが、展示されている車の数々。
自動車黎明期のまるで馬車のようなワゴンから、歴史を彩った欧米のさまざまな車、そしてレーシングカーまで、収蔵されている自動車の量と質は見事なものだった。

しかも、写真は撮り放題。山のように撮った写真をここに並べると大変なことになるので、そのうちから3枚だけ。

ロールスロイス 40/50HP

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一番上は、「1941年 ロールスロイス 40/50HP」と記されていた。
真ん中は、左が1936年に登場したフィアットの初代500(チンクェチェント)「トポリーノ(小ネズミ)」。右は、 1932年の「フィアット508」。
下の写真は、「マニアの部屋」という展示で、トイレも洗面所もバスタブも、みんな自動車というのが笑える。写真には写っていないけれど、テーブルも机もみんな車にちなんだものになっていた。

フィアット前本社

そしてこれが、地下鉄リンゴット駅そばにあるフィアットの前本社。威圧するような外観は、まさにファシズム建築の流れを汲んでいるような気がする。

さて、昼からは国鉄(トレニタリア)でアスティの町に行くのだが、また地下鉄で都心のトリノ・ポルタ・ヌオーヴァ駅に戻るのは芸がない。そこで、トリノ・リンゴット駅から乗ることにした。
同じリンゴットという名前が付いているのだから、せいぜい歩いて10分くらいで着くだろうと思ったわけだ。

リンゴット駅の操車場

フィアット工場跡にできたショッピングモールを抜ければすぐかと思ったら、そこには国鉄の大きな操車場があった。ここに何百メートルという長い跨線橋があるのは知っていたので、まあ最悪、それを渡ればすぐ向こう側に駅があるだろうと誰しもが考えるところである。

でも、念のため、跨線橋の向こうから来た中年のご婦人に駅の場所を尋ねた。
すると、その方はにっこりと微笑んだかと思うと、はるかかなたを指さした。
「あそこに黄色い建物が見えるでしょう。あそこがリンゴット駅よ」

それは、跨線橋をわたってさらに数百メートルはあろうかという場所であった。
まだまだ夏の名残の太陽が、真上からじりじりと照らしていたときの話である。
もうすぐ着くと思ったところで、先が長いと知らされることほど、疲れが出ることはない。

リンゴット駅のJAZZ

まあ、それでもひいこらリンゴット駅にたどり着いた。
すると、反対側のホームに、今年運行をはじめたばかりのローカル線用の電車ETR425、愛称「JAZZ」がやってきた。なかなか派手な塗装である。
10年前ころから投入されて、イタリアのローカル線近代化に貢献してきた愛称「ミヌエット」と同様、フランスのアルストム社製の車両である。
「舞曲のミヌエット(メヌエット)の次は、ジャズと来たか。その次はなんだろうか」
15分遅れの列車を待つ間に、あれこれと思いをめぐらせる私であった。

2014-10-23

トリノの丘上で大嵐の洗礼

トリノのヴィットリオ・ヴェネト広場で遅い昼食を食べたら、その日の予定は町の南部にある自動車博物館に行くだけだった。
でも、自動車博物館は19時閉館。まだまだ余裕があると思った私は、市内が一望できる場所に行こうと考えたのである。

パルコ・エウローパ

前回一人で来たときは、ポー川対岸のすぐのところにあるサンタ・マリア・デルモンテ教会前から、ガイドブックによく出てくる景色を見た。そこで、今回は別のところがいいかなと思って、タクシーの運転手のアドバイスを受け入れて、パルコ・エウローパ(ヨーロッパ公園)というところに行くことにした。
「トリノが一望できますよ。頂上にはおいしいジェラートが食べられる店もあるし」
丘の上に着いたのは午後3時少し前。
上の写真は、丘上にぽつんとあったそのカフェである。

パルコ・エウローパからの眺め

ジェラートはそんなに食指が動かなかったが、メニューにあった「サングリア」に興味を引かれた。イタリアでは初めて見るものだし、わざわざ1ページを使って紹介してあったからだ。
「これはね、うちでつくっているんだよ」
注文すると、店の主人は相好を崩した。

トリノの丘上地区

肝心の眺めなのだが、確かにトリノを一望できたけれども、標高が高すぎるために、正直言っていま一つ面白くなかった。目の前に、ざーっと町全体が見えるたげで、建物の一つひとつが小さくてわからないのである。
まあ、自然公園になっているようなので、のどかで空気はいいし、小一時間過ごすにはいい場所だった。

トリノの丘上地区

ところがである。
大きなグラスに注がれたサングリアを、いままさに飲み干そうとしたそのとき、あたり一帯に雷鳴がとどろき、まもなくすさまじい勢いで大粒の雨が降ってきた。
私たちを含めて展望席に座っていた数人の客は、屋根のある席に移り、雨のやむのを待つしかなかった。
1時間たっても雨はやまず、2時間を過ぎたところで、ようやく小降りになった。

トリノの丘上地区

雨が完全にやんだのはもう5時すぎ。帰りのバス停の場所と、自動車博物館への道を店の主人に聞いて、ようやく店を辞したのは午後5時をまわっていた。
バスに乗ったのは5時20分ごろ。
「まあ、博物館は7時までやっているからね。6時半には間に合うだろう」

バスを降りて、ちょっと道を大回りしてしまったけれど、博物館には6時に着いた。
外観の写真を撮って、さあいよいよ入場である。
「切符2枚!」
「今日はもう終わり」
「えっ、7時までやっているんでしょ?」
「入場は6時まで!」
「まだ4分過ぎたばかりじゃない」
「新しいシステムになって、6時を過ぎると入場券が出せないんです」
そのあとのやりとりは省略。ナポリ人のように大げさに嘆いてみせたが、アルバイトらしき大学生たちには通用しなかった。本当にダメなものはダメらしい。
融通が利くようで利かないのがイタリアなのである。

トリノ市内の無印良品

「かくなる上は、明日の近郊小旅行の前に訪れるしかない。明日は早起きをするぞ!」
やり場のない腹立ちを抱えて、再び小雨が降ってきた町に出る私たちであった。
最後の写真はおまけ。トリノ中心部で見つけた「無印良品」の店舗である。

2014-10-17

トリノ市内ぶらぶら歩き

しばらくブログの更新をごぶさたしてしまいました。
その間、9月上旬から10月上旬まで、25日間イタリアに行ってきました。
その前後は、たまった仕事に追われて更新する余裕もなく、2カ月ぶり。
イタリアの現地では、仕事や家庭サービスに追われてブログを更新できず。
というわけで、ちょっと時間がずれてしまいましたが、ぼちぼちと旅のご報告などをしていきます。
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旅の最初の目的地トリノ(トリーノ)に着いたのは、9月8日の夜。
その間、未明のドバイで5時間半も待ち時間があってうんざりしたり、ミラノ・マルペンサ空港でトリノ行きのバスの乗り場を間違えたり、トリノの小さな宿では門が閉まっていてしばらくあせったりとか、いろいろな難関はあったものの、なんとか晩飯にもありついて、熟睡することができた。

サン・カルロ広場

翌日は、体を慣らしながらのトリノ中心部散歩。3回目のトリノだが、前2回はどちらも数時間の滞在である。
そして、同行の妻は初めて。そもそも、今回の旅は妻とずっと一緒なのであった。
日本でさえ、平日は起きている時間のうち数時間しか顔を合わせていないのに、四六時中一緒に旅を続けることがはたしてできるのか、内心で不安を持ちながらの旅の序章である。

トリノのカフェ

もっとも、トリノはよくも悪くもイタリアっぽくない町である。
ヨーロッパの大都市ということで、旅の序章とするといい選択だったかとさっそく自画自賛。
トップの写真は中心部のサン・カルロ広場である。背中側に王宮がある。
2番目の写真は市内のあちこちにあるカフェ。
トリノはカフェの町である。ほかのイタリアならバールというが、ここではカフェなんだなあ。

トリノ市内

今から約150年前、イタリア統一の志士たちが、トリノのカフェで集って激しい議論を交わしていたのだとか。
そういえば、イタリア統一の中心となったのがヴィットリオ・エマヌエーレ2世をいただくサルデーニャ王国(前のサヴォイア王国)。
その事実上の首都がトリノだったため、統一イタリアの首都はしばらくトリノにあったというのは、まあここで偉そうにウンチクを垂れるほどのこともない、広く知られた話である。

ヴィットリオ・ヴェネト広場

この日は、カフェでコーヒーを飲み、トリノ名物のナッツ入りチョコレート「ジャンドゥイア」を買って、王宮を見学してからドゥオーモに行き聖骸布(のコピー)を見て、ヴィットリオ・ヴェネト広場で遅い昼食をとるという、100%お上りさんコースをたどった。
まあ、長旅で疲れているし、最初はこんなところでいいだろうという感じである。

ヴィットリオ・ヴェネト広場

しかし、どうしても天は私に波瀾万丈の旅をさせたかったらしい。
午後3時を過ぎたころに小さなハプニングを与えてくれようとは、ヴィットリオ・ヴェネト広場で子豚のステーキを食べていい気分になっていた私には想像もつかなかった。

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