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2014-04-10

三陸縦断の旅14・終: 八戸臨海鉄道

ようやく三陸縦断の旅の最終回。
ながながと引き延ばしているうちに、三陸鉄道は南リアス線・北リアス線とも全線開通して、めでたい限りである。
願わくは、釜石と宮古を結ぶJR山田線も早期に復旧して、久慈から盛までつないでほしいものだ。
JR東日本によれば、この区間の復旧時には、三陸鉄道への編入をするとのこと。まだまだ時間がかかりそうだが、復興を遂げつつある山田町を走る列車を見たいものである。

八戸線・長苗代駅

さて、八戸市の東にある湊町をぶらついたあとは、陸奥湊駅から日中1時間に1本のJR八戸線に乗り、八戸の市街地を通り抜け、八戸駅の1つ手前にある長苗代(ながなわしろ)駅にやってきた。
なぜ、こんな田んぼのなかの駅で降りたのかというと、酔狂にも八戸臨港鉄道の貨物列車を撮影するためである。

八戸臨港鉄道

八戸港に近い北浜貨物駅と八戸貨物駅を結ぶ第3セクターの貨物鉄道で、1日5往復の列車が設定されている。
ちょうど帰りの新幹線に間に合う時間に走っているのがあったので、ここで降りて待ち構えたというわけだ。
そうして撮ったのが上の写真。天気が悪かったので、まあこんな出来である。
ヘッドマークには、「おかげさまで 八戸臨海鉄道40周年」と書かれていた。

撮影したのは、長苗代駅から1km以上八戸駅寄りの地点。駅に戻っても、次の列車にはかなり間があったので、八戸駅まで2kmほどを歩いてしまおうと思い立った。
地図によれば、途中で大きな道路があるので、運がよければバスに乗れるだろうという、例によっていい加減なもくろみである。

八戸臨港鉄道

ところが、広い道に達する直前、目の前をバスが通りすぎていったのである!
「がーん。いや、駅に近いことだし、別路線のバスが走っているかもしれないぞ」
気を取り直して、近くに見つけたバス停にたどりついたのだが、そんなうまい話はなく、やっぱり1時間に1本ほどしか走っていない。
やむなく、さらに1km以上を駅まで歩いて行くことにした。

「せっかくだから、線路に沿って歩こう。途中に八戸貨物駅があるようだし」
小雨がぱらつくなか、舗装されていないぬかるんだ道を歩くこと数分。さっきのディーゼル機関車が、貨車の入換をする場面を見ることができた。
こちら側のヘッドマークは、「がんばろう!! 八戸」である。

八戸臨港鉄道本社


まあ、こんなわけで、それなりの満足感にひたりつつ、八戸駅近くまでやってきたときである。
道の左側に、古風な家を見つけた。
「どこかの旧家か、それとも資料館なんだろうか」
そう思いながら、近づいてビックリ!
なんと、この建物が八戸臨海鉄道の本社であった。
鉄道本社なんていうと、たとえ古くてもビルに入っているものだと思っていたから、ちょっとしたカルチャーショックである。すでにバッグにしまってあったカメラを再び取り出して、パチリと撮ったのが上の写真である。

八戸駅前


そして、これが八戸駅前。八戸駅の大きな建造物に対して、周辺の建物は、何軒かのホテルを除けばこうしたごく普通の商家や民家が並んでいた。

ところで、八戸から上野まで、「はやぶさ」でなんと2時間42分。これには改めて驚いた。
学生時代、急行「八甲田」やら「十和田」を使って何度も通った道だが、八戸あたりといったら上野から夜行列車に乗って、もう昼近くだったように記憶している。

2014-03-21

三陸縦断の旅13: 八戸市湊町

1泊2日の旅を長々と引きずってきたが、大団円までもう一息。
小中野から橋を渡ってやってきたのが湊町。
八戸港を控えた、文字通り港町である。

陸中湊駅前

上の写真はJR八戸線の陸中湊駅前。ローカル線の駅というと、町の中心から外れていることも少なくないが、ここ陸中湊駅は、まさに町のまん真ん中。
駅前には市場や店が立ち並び、魚のにおいが立ち込めている。
もっと朝早く起きてやってきていたら、さぞ活気のある光景を目にできただろう。

湊町店頭風景

すでに閉まっている店も多かったが、店頭にはこうした魚が所狭しと並べられていた。
手前左はホッケか。右はヒラメかな。その奥にはカニが見える。

湊町店頭風景

こんなふうに、干物をつくっている店もあった。
新鮮で値段も安いので、山ほど買っていきたいのは山々だが、そんなにいっぺんに食べないし、持って帰るのも大変だ。
魚の購入は断念し、小さな食堂で山盛りの海鮮丼を食べて気分を高揚させるのであった。

八戸湊町


そういえば、前夜の店「とまい村」で聞いた話では、震災で八戸港も被害を受けたのだが、かなりスピーディに復旧したとのこと。
津波の被害が岩手、宮城、福島ほどではなかったというのも理由だろうが、それだけ八戸港が貿易港としても漁港としても重要な位置を占めているということだろう。
政治力の影響かなとも一瞬思ったが、たぶんそうじゃないと思う。

八戸湊町


港町の風情を楽しんで、今回の町歩きは終了なのだが、まだ東京に帰る新幹線までには時間がある。
陸奥湊駅から八戸線に乗って、最後の目的地に向かうことにした。

2014-03-15

三陸縦断の旅12: 八戸市小中野

まだ続いている去年の三陸縦断の旅。
今回は八戸市の東側の様子である。
このあたりには、八戸港の繁栄の歴史を刻む古い町並みが残されているということで、市の中心部から路線バスでやってきた。

八戸最古の洋風木造建築

小中野という停留所でバスを降りると、すぐ正面にあったのがこの建物。
脇にあった看板によると、大正7、8年ごろに建てられた八戸最古の洋風木造建築とのこと。当初は八戸商業銀行小中野支店として使用され、のちにカフェ「ハトバ」となり、その後は事務所として使われていたらしい。

八戸最古の洋風木造建築

かつてこの界隈はさぞかし賑わったのだろう。
屋根の丸いドームを見て、当時の人は大正モダンの到来を実感にしたに違いない。

自転車屋

残念ながら、今の小中野は、あちこちに空き地ができて、静かな町となっている。
そんななかに、ぽつんと残っていた安藤自転車店。もう営業はしていないようだが、看板が懐かしい感じ。
板壁の商家ではあるが、正面は横長の板を使っているところが洋風である。
そして、なんといっても中央の丸い窓がおしゃれ。

小中野

バスに乗ってぼんやりしているとそのまま通り過ごしてしまいそうだが、じっくりみると味わい深い小中野の町であった。
さて、ここから歩いてさらに東に向かう。橋を渡ると八戸港で栄えた湊町である。

新井田川


新井田川を渡る橋からは、なかなか活気ある町の雰囲気が味わえる。
右岸には八戸酒造の建物が見えた。
「男山」という銘柄はあちこちにあって北海道が有名なのだが、ここ八戸にもあることを知った。

八戸酒造


どうせあてもない散歩なので、ふらふらと酒造所の前へ。
朝っぱらなので酒を飲みたいとは思わないのだが、酒造所の前に下げられた杉玉(酒林)を見ただけで心地よくなった私であった。

2014-02-16

『「かど」と「すみ」の違いを言えますか?』 (青春出版社/青春文庫)

ここでちょっとコマーシャル。
私が関わった本が、このたび発売になりました。
先週から店頭に並んでいるかと思います。

編集者との飲み会からできた企画です。
日本語教師をやっていたときに仕入れたネタや、編集者からの提案、独自にうなりながら考えたネタが、全部で70あまり。
タイトル項目のほか、「のぼる」と「あがる」はどう違う? 「自然に」と「ひとりでに」はどう違う? 「あける」と「ひらく」はどう違う? 「いつも」と「つねに」はどう違う? 「機嫌」と「気分」はどう違う? 「内回り」と「外回り」はどうやって区別する? 「うら寂しい」の「うら」って何? なぜ「茶色」はお茶の色じゃないの? などなど、ほとんど全項目が1~2ページずつ、かわいいイラスト中心でわかりやすく楽しく説明しています。

1日=24時間なのに、「1日おきに風呂に入る」と「24時間おきに風呂に入る」はなぜ違うのか。
──これは、われながらよく考えついたネタです。自画自賛。

ことばの本というと、難しい四字熟語の意味を問うてみたり、一生に一度も出会うことのないような訓読みを出題したりと、頑固親父がつくったような本が多いのですが、この本はいつも無意識に使っていることばを再認識して、「へえっ、そうだったんだ」と目のウロコを何枚も落として、頭を柔らかくする本になっております。自画自賛。

どれも、説明は非常に簡潔にしてありますので、すべてを説明しつくしているわけではありません。
例外はありますし、地域や個人個人によって、ことばの意味は少しずつ違ってくるものです。
どうか、「この説明は間違っとる」と腹を立てることなく、「なるほどそういう考え方もあるよな」程度に笑って読んでやってください。言い訳。

ことばって、みんな一家言あって、大変なんですよね。なお、あくまでも「日本語研究会(編)」であって、著者は不詳です(笑)

(発行:青春出版社 青春文庫、日本語研究会(編)、定価:600円+税、初版発行:2014年2月20日、ISBN978-4-413-09590-7)

2014-02-08

三陸縦断の旅11: 八戸市中心部

年内に完結せず、とうとう1月も過ぎてしまった三陸縦断記の続きである。
八戸までやってきたところから再開。
東北新幹線に八戸という駅はあるが、市の中心地はそこから直線距離で5kmほど東にある。
JR八戸線に本八戸という駅があって、そちらのほうが中心地に近い……といっても、そこから中心まではやはり10分以上歩かなくてはならない。
ちなみに、今の八戸駅はかつての尻内駅。今の本八戸駅が八戸駅という名前であった。

八戸市中心部

八戸には何度か来たことがあるが、とても気に入っている。
地方都市の多くが、リトル東京のような町になるか、あるいは道路ばかりが広くて郊外型の店舗しかないがらんとした町になるかのどちらかの道を歩んでいるなかにあって、八戸には独特の文化の香りが感じられるからだ。

しかも、路線バスが各方面にこまめに発着しているのが非常によい。
中心部を走る路線は一方通行もあってやや複雑だが、あちこちに路線図や地図が掲示されていて、旅行者にもわかりやすくなっている。
「路線バスが乗りやすい町はいい町である」──これまであちこちを旅してきた私の結論の一つである。

八戸市中心部

中心部がきちんと栄えていて商店が軒を連ねているのも、もちろんいい。
そして、夜になると飲み屋の数が信じられないほど多いことがわかる。
こんなに店があって、やっていけるのかと思うほどだが、着いた夜に人気の店を訪ねてみると、すでに満員だった。
そこで、ガイドブックやネット情報に頼るのはやめて、時間をかけて嗅覚を最大限にきかせていい店を探すことにした。

八戸市中心部

そうして見つけたのが、繁華街のはずれ、大工町にある「とまい村」という店。
7、8人が座れるカウンターと小上がりがあった(ように記憶している)が、先客は一人のみ。
50歳そこそこと見えるママさんが、にこやかな表情で迎えてくれた。
いかにも常連さんしか来ないような店だが、ずうずうしくカウンターに座って生ビールを注文。一緒になって、テレビでやっている男子フィギュアスケートの世界選手権だかを見ていた。

八戸市中心部


メニューはけっして多くないが、たくさんあったって1回で全部食えるわけないのだから、うまければそれでいい。
刺身からはじまって、あれやこれやと最後は鶏のから揚げまで頼み、途中で来店したもう一人の常連さんも加わり、楽しい会話も肴にして、とても満足したひとときであった。

八戸市中心部


トイレに立ったら、そこにはママさんやお客さんたちで旅行したときの写真や、お客さんどうしのゴルフ大会の写真などが所狭しと貼ってあった。
席にもどって壁を見ると、開店何十周年だか忘れたが、お客さんからのユーモアたっぷりの感謝状が貼ってあるのが目に入った。
こんな出会いがあるから、旅はやめられないのだ。

2014-01-01

2014年 明けましておめでとうございます

明けましておめでとうございます。

美浜町


三陸縦断記が途中になってしまいました。また、ホームページ本館では、なかなか更新が進まずに申し訳ありません。今年はなんとかしたいと思います。
よろしくお願いいたします。

2013-12-29

三陸縦断の旅10: 田野畑から久慈へ 北リアス線の車窓

小本から田野畑までの振替バスは約30分の道のり。
ここで、この日4回目の乗り換えにして、最大の1時間7分という待ち合わせ時間となる。

田野畑駅前

とはいっても、駅の付近には岬に囲まれた平井賀という小さな集落があるだけ。町の中心部はここから4kmほど内陸の国道45号線沿いにあるらしい。また、リアス式海岸の豪快な様子が眺められる北山崎は、ここから海岸沿いに10kmほど北上しなくてはならない。20年前に行った当時は路線バスがあったと記憶している。

平井賀集落

結局、1時間あまりを駅周辺でぶらぶら過ごすのだが、そこで目にしたのが上の光景。
一瞬、「水門の上に三陸鉄道の車両が保存されている?」と思ったが、よく見ると水門の上の構造物(管理用か?)に色を塗ったものだった。ややデッサンは狂っているが、うまく窓の配置が合っていてユーモラスだ。
写真の右側が海、奥が平井賀の集落。これもよく見ると、ある高さより下の部分に更地が広がっている。海抜でいうと10~15mくらいだろうか。

田野畑駅

同じバスに乗ってきた10人ほどの客の大半は、同じようにぶらぶらと1時間を過ごし、ようやくやってきた久慈行きの折り返し列車の客となった。
久慈からの列車にはかなりの乗客が乗っていて、ほぼ全員が小本行きのバスに乗り換えていった。どうやら、その多くは大人の休日倶楽部パスの利用者のようだ。

堀内駅

田野畑を15時52分に発車した列車は、途中の堀内駅で3分ほど停車。ここは、NHKの朝ドラ「あまちゃん」に袖ヶ浜駅として登場した駅とのこと。海の眺めがいいし、3分の停車は乗客サービスである。
私は、けっして「あまちゃん」は好きではないのだが……というよりどちらかというと苦手なのだが、妻が毎朝テレビをつけてしまう。だから、いやでも耳に入ってきたもので、概要とあらすじはほぼ知っている。

堀内駅の車窓


生来のへそ曲りの性格なので、そのまま車内にとどまってもよかったのだが、せっかくの乗客サービスである。
夕暮のホームに降りて、バーチバチ写真を撮ったのであった。
上の写真は、ちょっと気取って「車窓風景」らしくしてみた。

鉄橋の上から


堀内駅を出るとまもなく、「当線で一番高い橋です」との放送があって、今度は橋の上で30秒ほど停車。
海側の景色もよかったが、山側の景色もまた上等であった。窓をちょっと開けて撮ったのがこの写真である。

久慈には16時40分着。8分の待ち合わせでJR八戸線に乗り換え。この日最後の乗り換えである。そこからまた1時間40分ほどかけて、八戸市の中心部近くにある本八戸駅へ。
結局、この日は釜石から本八戸まで乗り換え5回、待ち合わせ時間を含めて約7時間50分の旅であった。

2013-12-28

三陸縦断の旅9: 宮古~小本 北リアス線の車窓

三陸鉄道北リアス線の宮古駅は、JR宮古駅に隣り合って建っている。
もちろん、JR宮古線だった当時は同じ駅から発着していたのだが、第三セクター化されたことで駅舎も別になったわけだ。線路は駅構内でつながっている。

三陸鉄道宮古駅

駅舎の中は、まるでおもちゃ箱のようにいろいろなものが置かれていた。
社員の女性が一人忙しそうに接客しているのだが、これは駅舎内で売っているパンやお土産の販売のため。切符は自動販売機で買うことになっている。
昼飯を食べる時間もなく移動してきたため、ここで菓子パンとお茶を買って乗り込んだ。

三陸鉄道宮古駅

じつは、切符を買う段になって気がついたのだが、大人の休日倶楽部切符は三陸鉄道も自由に乗れるのであった。それを知らずに、南リアス線では盛~吉浜の切符を購入していた。
損した! と一瞬思ったが、すぐ思いなおした。
「そうか、だからあのときの運転士さんは、わざわざ乗車証明書なんてくれたのかも」
そして、不通区間の開通に向けて奮闘している三陸鉄道に少しでも寄与できたと考えれば安いものである。
もっとも、だからといって北リアス線の切符も別途購入したかというと、そこまで太っ腹ではない残念な私であった。

一の渡(いちのわたり)駅

宮古を発車してトンネルを抜けるとすぐに山口団地駅。このあたりまでは市街地なのだが、まもなく車窓は人家もまれな林に入る。
上の写真は、一の渡(いちのわたり)駅。駅のそばに家が一軒あるのは見えたが、周囲はそれだけという秘境駅っぽい駅である。思わず降りたくなる衝動にかられたが、それでは八戸に着くのが真夜中になってしまうので自重。

摂待駅付近の車窓

運転席の真後ろに立って外を眺めるのも楽しいが、最後尾(といっても1両だけの列車)の窓から外を眺めるのもおもしろい。ワンマン列車だから車掌が不在で気兼ねがいらない。
そうして何枚か車窓の写真を撮った。上の写真は、たぶん田老(田老)~摂待(せったい)間だと思う。田老~普代は1984年に三陸鉄道となってからの開通区間なので、レールも線路敷もこんな感じでしっかりしている。

あの3月11日、大津波のニュースを聞いたとき、すぐに私が思ったのは、「あの万里の長城と呼ばれた田老の防潮堤は役に立ったのか?」ということだった。以前の田老町長が、周囲の非難や嘲笑にもめげず、定期的に襲われる津波から町民を守るために、かなりの予算を使って立派な堤防をつくったというエピソードは有名である。

北リアス線の車内

だが、残念なことに防潮堤を越えるほどの、想定をはるかに越える津波がやってきた。
それでも、津波が町内を襲う時間稼ぎにはなったかもしれないという意見がある一方で、防潮堤があることで安心してしまって逃げ遅れた人が増えたという証言もあるとのこと。
かくのごとくに災害対策というのは難しいものである。ハードの整備はもちろん必要であるが、それだけではどうにもならないことがわかる。

小本駅


などと思いを巡らしているうちに、列車は13時53分に小本着。ここから先、田野畑まではまだ不通なので列車はここまで。この区間は岩手県北バスの振替輸送になっている。
小本駅のホームから先を見やると、トンネルの手前に車両が停まっているのが見えた。

小本駅


バスは小本駅前の広場から発車。この日、3回目の乗り換えである。
田野畑に向かうのは奥に停まっている大型バス。手前の中型バスは、龍泉洞や岩泉駅に向かう岩泉町民バスである。

2013-12-25

三陸縦断の旅8: 釜石~宮古 山田線振替バス

釜石市内を散歩したのち、この日はまずバスで宮古に向かう。三陸沿岸を走るJR山田線の代替バスである。約50kmを乗り換え1回、2時間で結んでいる。
10時50分釜石駅前発の岩手県交通バス「道の駅やまだ」行きに、釜石の中心部で乗車。
しばらく走ると、津波でやはり壊滅的な被害を受けた釜石市北東部の鵜住居(うのすまい)や大槌町に達する。
このあたりは、道路の両側が更地になっており、まるで荒野の一本道を走るような光景が広がる。

大槌町あたりの車窓

陸前高田の場合は、以前に町を散歩して写真を撮っていたので、昔の光景と対照できた。大槌には残念ながら下車したことがなかったために、昔の様子が想像できないのだが、この更地にもぎっしりと家が建っていたのかと思うと心が重くなる。
もっとも、そんななかにも、プレハブ住宅を利用した飲食店や各種の店舗がぽつぽつと建っている。時間があればバスを降りて、親子丼でも食べていきたいのだが、次のバスは2時間後。それでは当日中に八戸に着かないので:残念ながら車窓から見ているしかなかった。

吉里吉里

これは、大槌町東部にある吉里吉里(きりきり)。JR山田線にある同名の駅は、この道路よりも山側に位置しており、津波の被害は免れたものの、その後、老朽化を理由に取り壊されたそうだ。
吉里吉里はそのユニークな名前で、時刻表を見はじめた中学生のころから気になる駅だったが、それが井上ひさしの小説『吉里吉里人』で一躍全国区の名称になった。厚い本だったが、おもしろくて一気に読んだ覚えがある。

岩手船越駅前

バスは大槌町から山田町へ入り、釜石から50分ほどで船越駅前に到着。ここで岩手県交通から岩手県北バスの宮古駅前行きに乗り換える。船越駅前といっても、もちろん山田線は動いていない。
写真の左奥にぽつんと建っている小さな建物が、岩手船越駅の駅舎である。

岩手船越駅前

穏やかな日射しのなか、何の変哲もない小さな町の駅前で、ぼんやりバスを待っているのもいいものである。
幸い、天気もよく風もなかった。意外と、こんな瞬間がいつまでも旅の印象として残るものだ。
待つこと10分ほど、宮古行きのバスがやってきた。

船越から宮古駅前までは約1時間。途中には、やはり津波の爪跡も痛々しい山田町の中心部も通過。海に向かって市街地が広がっていたここも、津波と火災によって跡形もなくなっていた。
その昔、船の上からウミネコに餌付けをするといううたい文句の遊覧船に乗った覚えがあるのだが、はたしてどこの港から乗ったのか。町の中心部からは、かなり離れていた記憶があるが。

宮古市内


山田町の市街地はプレハブの店舗が数多く建ち並んでおり、ほかの被災地にくらべて、ずいぶん活気があるように感じられたのは少しほっとするところである。
バスには、学校の見学なのだろうか、付近の小学生が大量に乗り込んできたので、車窓の写真を撮る余裕がなくなってしまった。
上の写真は宮古市内。

三陸鉄道宮古駅


こうして、宮古駅前には、ほぼ定刻の13時10分前ごろに到着。
20分ほど市内をうろついたのち、三陸鉄道北リアス線に乗車する。

2013-12-24

三陸縦断の旅7: 釜石市内

1日目は釜石市内中心部にある「サンルート釜石」に宿泊。
このホテルも復興事業関係者の宿泊が多いようで、夜遅くになっても作業着を着た男性たちが飛び込みでチェックインをしていたのを見た。

この写真は、私の泊まった最上階から駅の方面を見たところ。
道路の行く手に遠く見える緑色の屋根が、新日鐵釜石製鉄所。その左に見える赤錆色の鉄橋は、不通となっている三陸鉄道南リアス線のものである。

釜石市内

この写真を見る限り、津波の爪跡はうかがえないが、町中を歩くとあちこちにその痕跡が残されていた。
市街地の南東側にある港は、この写真の左手前側にあたる。そちらに近いほど被害が大きかったわけだ。
ホテルは通りのすぐ北側にあるのだが、フロントの男性の話によると、そこでも2mほどの津波が襲ってきたという。
「ほら、外側の壁に少し跡が残っているんですよ」
と指さしてくれた先には、泥のような黒い線状のものがこびりついていた。

甲子(かっし)川

ホテルに荷物を置いて、食後の散歩は駅方面へ。甲子(かっし)川を渡る大渡橋からは、すがすがしい景色を目にすることができた。河口のすぐそばにあるこのあたりでは、津波で川の生態が大きく変わったそうだが、今では川を遡上する鮎も戻ってきたという。

釜石駅前

そして、ホテルのある中心部から約10分で釜石駅へ。
本来は、釜石線、山田線、三陸鉄道南リアス線のジャンクションなのだが、現在は1日に10本あまりの釜石線の列車が発着するのみ。山田線と南リアス線は岩手県交通バスへの振替輸送となっている。

じつは、この駅を訪れるのは27年ぶりである。
前回は、例によってあわただしい貧乏旅行だったので、駅周辺を歩いただけに終わってしまって記憶があまり残っていないのだが、駅前の写真を1枚撮っていた。

1986年釜石駅前

それがこの写真である。
バックの山並みは変わらないが、駅舎も駅前広場もすっかり変わってしまった。
ずいぶんきれいになって、駅の奥にあるビルにはユニクロまで入居している。
ただ、駅前の賑わいは昔のほうがあったように記憶している。

駅からは大通りの港側を歩いて戻ることにした。
大通りから50m海側に入っただけで、津波の爪跡は大きく残っていた。更地が広がっているだけでなく、おそらく2年半まえからそのままであろうこんな建物も残っていた。

釜石市内


もちろん、津波の被害が甚大であることは頭ではわかっていたが、こうしてところどころではあるが三陸海岸を自分の目で見ていくと、津波の被害はとんでもない広さに及んでいることが改めて実感させられる。

ちなみに、この写真のあたりは、もとはバーやスナックが建ち並ぶ飲食店街だったという。今では、ほんのごく一部の建物が残り、そこでわずかに営業が行われていた。

では、旅の2日目、釜石から列車とバスを乗り継いで、八戸まで7時間以上をかけての移動のはじまりである。

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