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2012-05-08

墨田区八広・こんにゃく稲荷神社

先週の5日、墨田区京島にある親の家に立ち寄った帰り、あまりにいい天気だったので、電車にもバスにも乗らずにふらふらと歩きたくなった。
とはいっても、南に進路を取ると、今や超有名観光スポットと化した押上に至る。
そこで、へそ曲りな私は、スカイツリーに背を向けて、北方向に歩きだした。

こんにゃく稲荷

最終的には荒川までの1kmちょっとを歩いたのだが、その道すがら気になったのは、この神社である。
しばらくぶりに通りかかったのだが、やけに周囲がすっきりしていた。
高い塀があるわけでもなく、住宅地の真ん中にある広場のようにも見える。

三輪里稲荷神社、通称「こんにゃく稲荷」だ。
その名前の由来はホームページでも見て調べていただくとして、正月や初午はずいぶん賑わうそうだが、この日は連休というのに人っ子いない。
ここから2kmほど離れたところで、すさまじい人出になっているとは想像もできない静けさである。

こんにゃく稲荷

そして、社殿の裏にまわって撮ったのがこの写真。
そこに見えたのは、スカイツリーであった。
やはり、このあたりでは、どこに行ってもスカイツリーが付いてまわるようだ。

2012-04-25

勝沼ぶどう郷へ(下) おまけ----鉄道の巻

今回の勝沼行きの目的はワインとメシ。鉄道趣味には関係のない旅のはずだったが、予想外にその行き帰りはかなり鉄分が濃くなった。

まず行きは、千葉発小淵沢行きの「ホリデー快速ビューやまなし」。これに新宿から乗った。
当初は特急「あずさ」を利用するはずだったが、寝坊で乗り遅れ。
おかげで、初めて215系電車に乗ることができたわけだ。215系というと朝夕の東海道線「湘南ライナー」に使われているオール2階建ての電車で、通勤に縁がない私には乗る機会がなかった車両だ。

「ホリデー快速ビューやまなし」側面幕

2階建てだから車窓はまあまあいいが、狭くて固めの座席はやはり特急には劣る。これに2時間以上座っているのはつらかった。
上の方向幕は「指定席」となっているが、私たちが乗ったのは自由席である。
それにしても、山梨方面へのハイキング目的の列車のはずだが、総武線から乗ってきた乗客の8割以上は新宿で下車。ハイキング客の大半は新宿からの乗車組だった。

勝沼駅旧ホーム

さて、いきなり帰路の話になる。
上の写真は、勝沼駅旧ホームだ。急勾配に設置された勝沼駅は、かつてスイッチバックの構造となっていた。そんな旧ホームが、現ホームの横にそのまま保存されている。

そういえば、昔、中央本線で小淵沢まで乗ったときは、スイッチバックや単線の行き違いで、やたらと時間がかかったものだったっけ。

485系「華」

帰りの電車まで約20分。その間に、信じられないほどバラエティに富んだ車両がやってきた。
まず、上り線を通過していったのがこれ。
お座敷電車485系「華」である。突然出現したので、あせってシャッターを切るのが早すぎ。短い編成なのに、後ろが電柱に隠れてしまったのが残念である。

115系

続いてやってきたのが、下りの普通列車小淵沢行き。今では珍しくなった115系。しかも、スカ色(横須賀線色)である。

そして、息をつく間もなく(もちろん、ホントは息をつく時間はあったのだが)、上りの185系臨時特急「はまかいじ」、松本発横浜行きだ。八王子から横浜線経由で横浜に向かう。

185系「はまかいじ」

神奈川県人の友人夫妻はこれに乗って帰っていった。
私はというと、ホームの端でこんな写真を撮っていたものだから、見送りもできなかった。
当日のねぎらいのあいさつは携帯で。

と、今度は下り線を特急「スーパーあずさ」が通過していった。

E351系「スーパーあずさ」

かなりきついカーブを通過しているので、E351系の振り子装置がしっかりと働いているのが、写真からもよくわかる。

そして、まもなくやってきたのが、我々の乗る上り「ホリデー快速ビューやまなし」。

215系「「ホリデー快速ビューやまなし」

帰りも、狭くて固めの座席で2時間近く。足と腰が、ちとつらかった。

それにしても、わずかの時間で、これだけの車両が見られてビックリ。
やせても枯れても、さすが休日の中央本線である。

2012-04-22

勝沼ぶどう郷へ(上)

中央本線の電車に乗って笹子トンネルを抜けると、塩山までしばらくの間、左手の車窓に広々とした盆地が見えてくる。
なだらかな起伏のなかに家々が建ち、遠景には南アルプスの山々が見える。
昔から、気に入っている車窓の一つだったが、そこでようやく初めて降りることができた。
以前の勝沼駅。今の駅名は、勝沼ぶどう郷である。

勝沼ぶどう郷駅

目的は、ここでとれるワインを飲もうというもの。
穏やかに晴れわたった日曜日、家人とともに、「ホリデー快速ビューやまなし号」に乗ってやってきた。
この前日は雨、翌々日があの爆弾低気圧による大嵐だったことを思うと、運がよかったというべきだろう。

勝沼の風景

まずは、勝沼でつくられているワインが集められている「ぶどうの丘」へ。ここで、家人の知り合い夫婦と待ち合わせ。
ここの地下にあるワインカーブでは、甲州市内29社、約180種類のワインが1100円で試飲しほうだい。
みんなで、あーでもない、こーでもないと楽しみながら、午前中からしこたまワインを飲んだのである。

「ぶどうの丘」ワインカーブ

その後、場所を移して「リュミエール」というレストランでのんびりランチ。
それぞれの皿にあったワインを、グラスでいただけるという、とても素敵なサービスでございました。
料理も絶品である。

勝沼の町

満腹になった我々は、ほろ酔い気分で勝沼の町を散歩。
また別のワイン直販店で、心ゆくまで有料の試飲を重ねたのであった。

勝沼の町

町を歩いていて思い出したのだが、ここは甲州街道の宿場町であった。
忙しくて予習をしてこなかったのだが、次回は旧街道を歩いて宿場の様子も見なくては。
できれば、笹子峠を旧道か旧々道で登ってきて。

勝沼の町

最後の写真は、ぶどうの丘から駅方面を見渡したところである。
典型的な日本の田舎とはまたちょっと違った、やや日本離れした風景が、東京のすぐそばにあるのもまたよろしきかな、と思った春の一日である。
なぜか、つづく。

2012-03-18

東武曳舟駅:両隣の駅名が変更になった駅

東京スカイツリーの竣工があって、最寄りの駅名が「業平橋」から「とうきょうスカイツリー」に変更になった。
この駅名変更がああだ、こうだという話は、面倒なので取り上げる気はないが、これによって在原業平の知名度がガクッと落ちるのが心配である。

なにしろ、現在の業平橋というのは、大横川というせいぜい幅10メートルほどの運河に掛けられた橋の名前に過ぎないからだ。しかも、業平橋あたりでは、その大横川が埋め立てられている。
今後、業平橋という名前が、人びとの口にのぼる機会は格段に少なくなるだろう。

1979年曳舟駅にて

まあ、それでも副名称として、駅名票のカッコのなかに「(業平橋)」と小さく残されたというから、まあよしとするしかないか。

ちなみに、1987年には、隣の隣にある玉ノ井駅が東向島駅に改称された。
こちらも、副名称として玉ノ井が残されたが、今も残っているのだろうか。

というわけで、その間にある曳舟駅(私の実家があるところ)は、両隣の駅名が変わったことになる。
上の写真は、その曳舟駅で1979年の10月か11月に撮った写真である。
ちゃんと駅名票が写っているのがミソである。偶然だけど。

2012-03-06

東京駅八重洲口・長距離パスターミナル

東京駅の改装工事とういと、丸の内側の赤煉瓦駅舎の復原(「復元」ではなくて「復原」という字にこだわっているようだ)工事が知られているが、八重洲口側も徐々に工事が進んでいる。

なかでも、この先がらっと変わりそうなのが、JRの高速バスが発着する長距離バスターミナルだ。

東京駅八重洲口パスターミナル

そもそも、ここは「長距離バスターミナル」というには、あまりにも貧弱な発着所である。
駅の腹に寄生して、ようやくバスが停まっているというありさま。
日本の長距離バスターミナルは貧弱なところが多いが、東京はとくにそうだ。
東京駅だけでなく、新宿駅西口のターミナルなんて、よくあんな路地を大きなバスが曲がれるもんだと思うくらいである。

東京駅八重洲口パスターミナル

池袋なんて、ターミナルがなくて、高速バスもみんな道路で乗り降りする。
東京駅も、JR以外の長距離バスは駅につけることができずに、広い道の反対側で乗り降りしなくてはならない。

さて、そんな東京駅八重洲口の長距離バスターミナルも、工事によって少しはマシになりそうである。
すでに、切符売り場や待合室が新しくなっていた。

東京駅八重洲口パスターミナル

だが、勝手なもので、もうすぐ新しくなってしまうかと思うと、今の狭苦しいターミナルが、どこか味わい深く感じてくる。
たぶん、移転の直前には、新聞にでも取り上げられて、物好きな人たちが名残を惜しみにやってくるに違いない。それとも、何も報道されることなく、ひっそりと姿を消していくのだろうか。

2012-02-11

ルーマニア サツマーレ 1985年

まだ、ルーマニアにチャウシェスクという独裁者がいたときの話である。
首都のブカレスト(ブクレシュチ)から夜行列車に乗って、終点のサツマーレ(サトゥマーレ)という町に向かった。サツマーレは、ルーマニア北部にある、やや大きな町である。

サツマーレ市内

なぜそんなところに行ったかというと、北部にあるマラムレシュ地方に行きたかったからだ。
マラムレシュでは、普段着として民族衣装を着た人たちが、昔ながらの生活をしているということは知っていた。だが、当時の日本ではルーマニアの田舎の情報などほとんどない。
もちろん、探せばブカレストからツアーがあったようだが、団体旅行じゃつまらない。
そこで、とりあえず近くにある大きめの町まで行ってみようと思ったわけだ。

サツマーレ市内

だが、サツマーレのバスターミナルに行ってがっかり。マラムレシュ行きのバスは朝6時ごろに出てしまっていた。次のバスは午後のようである。
マラムレシュに行くには、別の町であるバイアマーレのほうが便利だと知ったが、すでに後の祭りであった。

今だったら、計画を練り直して、日を改めてマラムレシュに行くだろうが、若かった私はもう面倒くさくなってきた。ホテルに荷物を置いて、その日は市内をぶらぶら散歩することにした。
サツマーレ市内は、適当に近代化された地方都市といった様子で、町自体には面白みがなかった。

サツマーレ市内

だが、おかしかったのは、町ですれ違う人、すれ違う人が、みんな私に興味津々の目を向けるのである。
どうやら、初めて東洋人をナマで見たという印象だった。
当時の私はまだ20代。そんなやつが、なんでこんな町に来て、カメラでパチパチ写真を撮っているのかと思ったのだろう。
私に向かってなにごとか呼びかける人、私の顔を見てぎょっと後ずさりする人、私に向かって空手のポーズをする人などなど。

サツマーレ市内

当時、すでにインドに行ったことのある友人が、同じような経験をしたと言っていたのを思い出した。だが、ここはいやしくもヨーロッパである。
まあ、けっして嫌な感じではなく、純粋に好奇心と驚きの感情から出たのであろう。
当時の日本の田舎でも、外国人が突然やってくれば、そんなことになるだろうと思って、私は苦笑いするしかなかった。

ところで、左の写真に見えるバスは、確かメタンガスを燃料にして走るもの。
屋根の左右に細長いガスタンクを載せている。


当時のルーマニア政府は、経済不振に対して徹底的な倹約という政策をとっていた。
だから、国民もめったに肉を食べることができず、耐乏生活を強いられていたという。
そして、輸出できるものは輸出して、なんとかやりくりしていたのである。
国民の生活はひどかったが、借金の額が少なかったおかげで、他の東ヨーロッパ諸国にくらべて、社会主義政権崩壊後の経済復興が比較的スムーズにいったとも聞いている。

メタンガスのバスも耐乏生活の一環だったろうが、今となってみると、最先端の省エネ技術のように思えてくる。

何はともあれ、当時のサツマーレの町を写した人なんて、ほとんどいないだろうから、ちょっと珍しい記録なのではないか。

サツマーレの蒸気機関車

そして、町はずれにある駅の近くにやってくると、ちょうど蒸気機関車が貨車の入れ替えをしていた。
社会主義国では露骨に鉄道施設なんかを撮っていると、警察に連行される恐れがある。
ちょっとビビッたが、これは千載一遇のチャンスである。
「撮らない手はないぞ。なんか言われたら、そのときのこと」と腹をくくって線路に近づいて撮影したのが、上の写真である。

サツマーレの蒸気機関車

撮影をしていたら、近くのスピーカーから、がなり声が聞こえてきた。
「ぎゃっ、見つかったか」と心配しつつも、ここで逃げたりしたら、かえって疑われてしまう。
しばらくそこに立ち尽くしていると、2、3分おきに声が出てくることに気がついた。
どうやら、機関車の入れ替えに対して、いろいろと指示を出していたらしい。
ほっとして、その場をそそくさと離れた私だった。

駅のそばの踏切にくると、荷馬車が、蒸気機関車の通過を待っているのが見えた。
最後の写真である。

その後、1989年にチャウシェスクが死んで新生ルーマニアが誕生。
1999年には、マラムレシュ地方にある木造教会群が世界遺産に指定された。
ルーマニアにやってくる観光客も、ケタ違いに増えただろう。

当時のマラムレシュに行かずに帰ってきたのは残念だが、サツマーレという町で普段着のルーマニアの地方都市の姿を見ることができたのは、いい体験だったと思っている。

2012-02-06

「東京 -昭和の記憶-」がiPhone、iPad用アプリのアドオンに

ホームページ本館の「東京 -昭和の記憶-」が、iPhone、iPad、iPod touch用アプリ「TimeTours」のライブラリに収録されました。

timetoursロゴ

このアプリは、昔の写真と同じ場所で現在の写真を撮影して、両者を比較するもの。
まさに「東京 -昭和の記憶-」と同じ発想のアプリで、制作者のオーバルギアの方々と意気投合しました。

timetours画面イメージ

今回は第一弾として、六本木、神田、渋谷を中心とした山手線南エリア82か所(写真166枚)。
新しい写真は、今回のために新たに撮り直しました(ごく一部を除く)。
アプリ自体は無料ですが、私の写真はアプリ内の「ライブラリ」→「プライムギャラリー」から別途170円でダウンロードするしくみになっています。
無料でないのは申し訳ありませんが、カフェでのコーヒー1杯分と思って、ぜひダウンロードしてみてください。また、私の写真以外にも、無料で見られる古い写真が多数ついています。

私のホームページでも無料で写真を掲載していますが、このアプリでは次のようなメリットがあります。

1.未公開の写真がある
「わずか20~30年でこんなに変わったの?」と好評の六本木、渋谷、神田などのほかに、銀座・有楽町、御茶ノ水などの写真が加わっています。六本木、渋谷、神田についても、未公開の写真を加えています。
2.写真が拡大できる
 iPhoneやiPad上で写真が拡大できるので、店の看板や道端の細かいところに、新しい発見があるかもしれません。
3.撮影場所の地図とリンク
 ネットにつながった状態であれば、Googleマップ上に「撮影地点」と方向が詳細に表示されます。
4.写真の位置合わせが正確
 アプリ制作の方の尽力により、当ホームページよりも厳密に位置合わせをしており、新旧写真がきれいにフェードアウト、フェードインします。
5.画像をダウンロードできる
 「一括ダウンロード」を選択すれば、ネットに接続していない状態でも新旧写真の比較ができます。
 
というわけで、長々と宣伝の書き込みで失礼しました。
購入していない状態でも、サンプルで5枚ほどが見られますので、ぜひ試してみてください!

2012-01-21

鎌倉散歩: 笛田から極楽寺へ(下)

笛田と極楽寺を結ぶ打越トンネルは、20~30mほどの短いもので、初めから向こうの出口が見えていた。
その出口のすぐのところに人家があるから、トンネルからの眺めはどこか奇妙である。

打越トンネル

トンネルを出ると、山の谷間を狭い道が走り、その両側に家々に立ち並ぶという風景がつづく。
田舎のようでもあり、都会の周縁のようでもある。
こんなところに住んでいるのは、根っからの地元の人なのか、それとも趣味人なのか。静かに仕事に打ち込むにはいい環境だ。

打越トンネルの極楽寺側

かろうじて乗用車が通れるような狭い道をうねうねと歩いていくと、ぱっと視界が開けて、下の写真のような畑地に出た。
鎌倉というよりも、千葉か茨城あたりの農村を歩いているような気分である。
写真の左側に椿の花がちらりと見える。

極楽寺北の畑

徐々に道幅が広がっていき、道が分かれたり交差したりするうちに、左右の山がだんだんと離れていった。下の写真のような、立派な家も見かけた。
そして、「江ノ電極楽寺駅へ」という標識を信じて歩き続けるわれわれである。


極楽寺北

すると、道端に小さな祠を見つけた。
この集落の守り神であろうか。周囲には、石仏だか石像だかが何体も立っている。
南天の実の赤が目に鮮やかだったので、柄にもなくこんな写真もパチリ。

石仏と南天の実

そして、打越トンネルから約20分。大仏から約40分の散歩は終わりに近づく。
極楽寺駅北側にある棟割長屋の商店は、うれしいことに健在だった。

棟割長屋の商店

このあと、半年に1回ほど顔を出す喫茶店で一服して、夕食の場所を求めて江ノ電に乗った私たちであった。

2012-01-20

鎌倉散歩: 笛田から極楽寺へ(上)

正月早々から仕事をやっていたものだから、頭の切り替えがうまくいっていない。
松の内でも中途半端な正月気分しか味わえなかった一方で、半月を過ぎてもずるずると正月気分が抜けきらないでいる。
そんなわけで、ブログの更新もサボってしまったが、今回は10日も前に出かけた鎌倉である。

鎌倉大仏前

どこかに連れて行けと家人がうるさいので、お互いの趣味がなんとか折り合う場所として、行先に鎌倉を選んだ。いつものように、行き当たりばったりの散歩である。

鎌倉駅周辺の散策は、人がいっぱいだったので省略。まずは江ノ電に乗って長谷へ向かった。
いつもは、大仏に向かう人びとを横目に、海岸通りをぶらぶらして極楽寺方面に歩いていくのだが、この日は家人が「大仏を見たい」という。

鎌倉大仏

駅から北方向へ徒歩約10分。久しぶりに大仏様を拝んだ。
正面から見る顔はハンサムだと定評があるが、上の写真のように斜め前から見上げると、ちょっとお茶目な表情に見える。
笑いをこらえているように見えないこともない。発見であった。

大仏からまた長谷駅に南下するのでは芸がない。
じつは、駅前の地図で、丘を越えて極楽寺に通じる道があることを発見していた。
初めての道をわくわくしながら、道をさらに北上したのであった。

笛田

大仏から北側は、それまでとはうって変わってほとんど人が通らない。
ごく普通の住宅街が広がっていた。
そして、笛田の家並みが見えてきたところで自動車道を左折。集落の奥に向かって、ひたすら坂道を登っていった我々であった。

そして、家並みが途切れ、目の前に小山が迫ってきたときのこと。
目の前に現れたのは、小さなトンネルであった。

トンネル

これが、笛田と極楽寺を結ぶ、打越トンネルというのだそうだ。
トンネル内側は、まるでトタンのような金属で補強されている。
車がすれちがう幅もないが、ちゃんと歩道がついていた。

(つづく)

2012-01-01

2012年 謹賀新年

明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いいたします。

新金貨物線・新中川橋梁

騒乱の時代こそ腰を落ち着けて、
金のないときこそ派手に、
周囲に元気がないときこそ活発に、
と、今後も時代に寄り添わずにやって参ります。

写真は、葛飾区にある貨物線です。
あえて機関車を外したフレーミングが新鮮な感じ。もちろん、機関車の入った写真もありますが。
貨車に乗ったさまざまなコンテナを見ているうちに、「竹馬や いろはにほへと ちりぢりに」という有名な句が思わず浮かんできた……と、偽インテリっぽくまとめてみました。

«夏の思い出・山形県長井(下)

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