2017-08-07

廃線跡かと思っていたレールの上を……

朝の歩行者天国をぶらぶら散歩して、そろそろホテルに戻ろうとしたときのことである。
背後からかなり大きな警笛が聞こえてきた。
トラックやバスのクラクションにしては少し大きいし、なにより歩行者天国なのでそんな車が来るわけがない。

振り返ってみると、なんと道端を大きな列車がのろのろと進んでくるではないか。
これで前日からの疑問が氷解した。
廃線跡のレールだと思っていたのは、現役の鉄道線路だったのだ。

大通りの併用軌道を走るディーゼルカー

架線がないからディーゼルカーだということはわかるが、意外に新しい外観である。
なにより感動したのは、こんな大通りを路面電車ではない立派な鉄道車両が3両編成で走っていることである。

地元のインドネシア人にも珍しいのか、トップの写真の右側に見えるように、スマホで列車をバックに自撮りしている女性もいた。
2枚目は去っていく列車を後追いで撮ったものである。
写真の左にちらりと見える銅像は、独立戦争の英雄であり、23歳で亡くなったソロ出身のスラメット・リヤディ……という人であることを後で知った。

大通りの併用軌道を走るディーゼルカー

前日にはこの列車を見かけなかったので、日曜だけの運転なのかなと思って、ホテルのフロントの女性に聞いてみると、毎日2往復だか3往復だか走っているという。
ということは、平日の車とバイクの洪水のなかでも、同じように走っているというわけだ。
これにはちょっとビックリ。

だが、驚きはこれでは終わらなかった。
興奮と感激のうちにホテルのチェックアウトを終え、ロビーで一息ついていたときである。
ホテルの外から、再び警笛とも汽笛ともつかない大きな音が聞こえてきた。

「あれ、こんなに早く次の列車が来るのだろうか……」
そう思いつつも、カメラを手に持ってホテルを勢いよく飛び出した。
あまりに真剣な表情だったのだろう、ドアボーイのお兄さんが微笑みながら見送ってくれる。

ジャラダラ列車のお通り!

すると、なんと目の前を蒸気機関車が通り抜けていくではないか。
9時を過ぎて歩行者天国はすでに終わっていたので、行き交う車とバイクをかきわけて車道を横切り、脱兎のごとく列車を追いかけた。
血相を変えて車道を斜めに走っていく東アジア人を見て、車を運転していたインドネシア人たちは、なにごとかと思ったに違いない。

列車は安全を確認しながらのろのろと走るのだが、それでも人間が走るよりは速い。
斜め後ろ45度から撮影するのが精一杯であった。

1Cタンク型の蒸気機関車

あとで調べたところによると、この路線はソロ・パラパン駅隣の本線上にあるプルウォサリ駅から分岐して市内の併用軌道を走り、ソロの中心部近くにあるソロ・コタ駅を経由して郊外のウォノギリまで伸びるもので、休日はたまに貸し切りで蒸気列車が走るらしい。

機関車は、先台車が1軸、動輪が3軸の1C型タンク機関車。ナンバープレートには、C1218と記されていた。戦前に日本式の表記を取り入れたのかもしれない。

蒸気列車の最後尾

それにしても、普段から線路の上では数多の屋台が店を開いているのだから、列車が通るたびに大騒ぎで移動しているのだろう。そんな様子も見たかったが、めったに走らない特別列車を撮影できただけでも幸運だと喜ぼう。

次の写真は、道の上にある標識に注目。

「列車に注意」の看板

「Hati-Hata Kereta Api」と書かれている。「Hati」(ハティ)とは「心」のこと。「Hati Hati」と2つ並ぶと「注意」という意味になるそうだ。
「Kerata Api」(クレタ・アピ)は、インドネシアの車内放送で何度も耳にした。
「Kereta」は「車、車両」、「Api」は「火」。つまり、中国語の「火車」みたいな表現だ。日本語の「汽車」に当たる。現在では、一般に列車の意味で使われているようだ。
この看板にもっと早く気がついていたら、この線路が現役のものだとわかっただろうに。

サトウキビ運搬に活躍したコッペル

ところで、インドネシア人にはずいぶん鉄道好きが多いようで、駅では列車の撮影をしている人を見かけたし、町なかにも車両が保存されているのをよく見た。
この写真は、前夜ソロの市内を散歩したときに見かけた小型の保存蒸気機関車である。
広々とした構内のこの会社は、インドネシアのプランテーションの会社らしく、この機関車はおそらく製糖工場のサトウキビ運搬に使われたのだろう。

ナンバープレートの代わりに「BALETOERI」という名前(?)があったので、それを頼りにネットで調べてみたところ、どうやらドイツのコッペル社製の車両のようだ。
日本でも、土木工事によく使われた蒸気機関車である。そう思ってみると、煙突の形がコッペルっぽい。

2017-08-04

日曜朝のソロ 歩行者天国と不思議な遊具

ソロの話をもう少し。
2日目、カスナナン王宮に行った日曜日の朝のことである。
ホテルで朝食をとり、8時ごろに外に出て驚いた。

前日は、洪水のように目の前を行き来していた車とバイクが1台も走っていないのである。
その代わりに、広い道にはたくさんの人が歩いていた。

ソロの歩行者天国

「歩行者天国だ!」

明け方から、町全体がざわざわしているのが、奥まったホテルの部屋からも感じられたから、みんな早起きをして繰り出してきたのだろう。

歩行者天国の怪しいキティちゃん

ホテルのすぐそばで見たのがこれ。
キティちゃんらしいが、4頭身でかなり違和感がある。

カメラを向けたときに、両手を頬に当てて首をかしげるポーズをするのが、なかなか研究しているなという感じである。

とくに目立ったのが親子連れである。
確かに、町なかでは子どもを遊ばせるところも少ないだろうから、格好の機会だろう。

即席メリーゴーラウンド

あちこちにこうした移動式遊園地ができていた。
これは、移動式メリーゴーラウンド。

いま一つ、子どもたちの表情が固いのは、こうした乗り物に慣れていないからかもしれない。
親の方が喜んでいて、盛んに写真を撮っていたのが微笑ましい。

即席観覧車

こちらは、なんと移動式観覧車。車の荷台に観覧車が積み込まれているのが斬新である。

たいした高さではないが、これで子どもは楽しいのだろうか。
むしろ、外からこの光景を見ている方がユーモラスで楽しい。

重機運転の練習?

そして、もう少し大きくなった子のために、こんな遊びがあった。
リモコンを扱って、重機で土を掘り返す遊びのようである。

少し歩いただけで3カ所ほどで見かけたので、経済発展中のインドネシアで流行しているのかもしれない。
インドネシア版、路上キッザニアか。

日曜の朝食

そして、もっと大きくなったお友だちは、こうして友人たちと屋外で朝ご飯。
カメラを向けたら、女の子がポーズをとってくれた。
気温もまだそれほど高くなく、のどかな日曜日の朝である。

2017-08-01

ソロの路地裏歩き(その2) 王宮近くのひそやかな一角

ソロには1泊2日の滞在だったが、午後2時過ぎの列車に間に合えばいいので、なるべく町を見て歩こうと考えた。

ソロには、カスナナン王宮とマンクヌガラン王宮という2つの王宮がある。1つの町に2つの王宮が存在しているところが、どこか南国っぽくておっとりしている。両方を見ていると町歩きの時間がなくなるので、2つのうち、やや古風に思われるカスナナン王宮を選ぶことにした。

カスナナン王宮への北側の入り口

最初の写真は大通りから王宮に向かう門をくぐったあたり。ホテルの真向かいにあるので、危険な大通りさえ無事に渡れれば、ここまではすぐである。沿道には大木が生い茂り、意外と涼しい。

だが、ここからが遠かった。遮るもののない炎天下の道を歩くこと10分近く、ようやく着いたのが王宮前の広場。塔屋のあるのが王宮の敷地内である。だが、王宮に入るには、さらにぐるりと左側を大回りして数分間歩かなくてはならなかった。

カスナナン王宮北側

王宮内には今も子孫の方々が住んでいて、意外と近代的な部分もある。広い中庭と中央にそびえる大木が印象的で、公開されているさまざまな収蔵物もなかなか見応えがあった。
とはいえ、王宮についてはさまざまな人が写真を撮っているだろうから、ここでは王宮付近の路地裏の様子を紹介しよう。

カスナナン王宮東側の路地

王宮前で客待ちをするペチャのおじさんたちからは、「乗らないか、乗らないか」と声をかけられるのだが、「ジャランジャラン(散歩)をしたい」といって拒み、王宮東側の静かな一帯に歩を進めた。
地味で小さな土産物屋が2軒並んだ先にあったのが、この像。ヒンドゥー教のヴィシュヌ神である。王朝が栄えたころの宗教の名残だろうか。

カスナナン王宮東側の路地

さらに進むと、一軒の家からレインコートをすっぽりかぶったような格好の女性が出てきた。上の写真の左に小さく写っている人である。
ちょうどお昼の礼拝の時間。左奥にある緑色の屋根のモスクに向かう人だった。町の中心の大きなものとは対照的に、近所の人が集まる小さなモスクだった。

カスナナン王宮東側の路地

上の写真は、ほぼ同じ地点から、来た道を振り返ったところ。奥に見えるのが王宮内にある塔屋だ。右の青いものは軽食の屋台である。

日中はあまりに暑過ぎるので、人通りも少ないが、そんななかで見かけたのが下の写真の子。
カメラに向かってポーズをとってくれたわけではないが、こんな格好になってしまった。

カスナナン王宮東側の路地

さて、さらに狭い道を曲がると、そこにはひそやかな下町の路地裏が広がっていた。
我が実家の墨田区にある路地裏をちょっと思わせる。
そんななかにも、小さな小さな雑貨屋があったりして楽しい。夕方にもなれば、もう少し人の行き来もあるのだろうか。

カスナナン王宮東側の路地

そして、もとの道に戻る手前にあったのが、この大きなお屋敷。左にあるアルファベットを翻訳ソフトで調べたが、意味はわからなかった。固有名詞なのかな。

カスナナン王宮東側の路地

門の外からおっかなびっくり写真を撮っていると、2台のペチャが悠然と屋敷の中に入っていった。
誰かが出てくるのかなと思ったが、ペチャの車夫はそのまま玄関のあたりで座り込んで話をはじめた。お客さんが出てくるのを待っているのかもしれない。これまた南国らしい、のどかな光景だった。

2017-07-23

ソロの路地裏歩き(その1) バティック通りとナマズのから揚げ

車とバイクの洪水でカオス状態の大通りに疲れて、脇道に逃げ込むことにした。
ガイドブックに、「バティック工房が多くある一帯」と書かれている。
バティックとは、東南アジアから南アジア一帯で制作されている「ろうけつ(蝋纈)染め」のことで、陽光に映える素敵な模様のシャツやテーブルクロスが魅力的である。

狭い道をバイクがしばしばうなりをあげながら通りすぎていくが、まあ表通りよりははるかにましである。
この写真の右側に写っている人力車おお兄さんは、何か食材を運んでいるところだろうか。
そろそろ日も傾いて、夕食の用意もはじまるころである。

バティック通り

インドネシアでは女性も活発に動いている。
ヒジャブ(ヘジャブ)をかぶっている女性というと、中東のイスラム教徒(とくにサウジアラビアあたり)を思い浮かべて、もっぱら家で静かにしているというイメージがあるのだが、それは偏った見方であることを実感した。

ヒジャブをかぶってさっそうとバイクにまたがっている女性は、なかなかカッコいい。
放し飼いのニワトリがバイクにひかれないか心配だったが、お互いに慣れているんだろう。

バティック通りの放し飼いのニワトリ

しばらく歩いていると、馬車が2台停まっているのが見えてビックリ。
そう、このバティック通りは観光地なのだ!
建物の上に据えられた彫像にも注目。機織りをしている女性の姿か。
浅草・合羽橋交差点にあるニイミ食器のコックさんのハリボテを思い出した。大きさがだいぶ違うけど。

観光地とはいっても、土曜日というのに観光客の姿はなく、馬丁も暇そうである。
まあ、ここはあくまでも制作をする場所なのであって、小売りよりもインドネシア各地に出荷するのがメインなんだろう。

バティック通りの観光馬車

バティックのシャツを買って帰りたいのだが、あまりにも店がありすぎて選ぶだけでも大変そう。
店頭には200円程度のシャツもあったりして、これなら2、3回洗濯してダメになってももったいなくないなんて思うのたが、せっかくだからいいのを選びたい。

あまりにも選択肢が多いと、かえって困ってしまうという真理を地で行くことになってしまい、店には入らなかった。結局、最後に空港でいいシャツ(でも高い)を買うことになる。

遠慮がちに店にカメラを向けたら、赤ん坊を抱えている女性が笑顔で応えてくれたのが下の写真である。

バティック通りの路地裏

そして、交通量の少ない路地裏には、やはりネコの姿が。
このネコは親子なのだろうか。何枚も写真を撮っていたら、「いいかげんにしろ」とばかりに親猫ににらまれた。

歩き回って疲れたところで、妻が目をつけていた「カフェ」に入ることにした。
店には10代から20代と思われる若い男の子が数人働いている。
ところが、「Cafe」と書かれているのだが、コーヒーも紅茶もないという。
英語もほとんど通じないので、やむなく店を出ようとすると、近くで友人と話していた店長らしい年かさ(といっても20代前半)の男性が話しかけてきた。

バティック通りのネコ

「コーヒーはないけれども、ジャワ名物のスペシャルな飲み物がありますよ。いかがですか?」とわかりやすい英語でいう。

じゃあ、それをいただきましょうということで待っていたら、ずいぶん時間をかけてつくってくれた。
しょうがだかウコンだかと、何種類かの薬草(たぶん)をたっぷり煮出した飲み物で、いかにも体によさそうな味がする。
1杯飲んだら汗をびっしょりかいて元気が出てきた。

路地裏の喫茶店かと思ったら

最後に店の男の子に飲み物の名前を聞こうとするのだが、どうにも発音がよく聞き取れない。
そうだ! と思ってスマホを取り出しすと、すっすっと入力してくれた。
その名は、Wedang rempar
今やどこの国でも若い子はスマホが使えるんだね。

この飲み物の材料は、ソロのあとに訪れたジョグジャカルタのスーパーでパックになって売っていたので、妻が大量に買い込んだ。これで今年は夏バテ知らず……になるといいのだが。

ナマズの丸揚げ

ところで、この店の客は若い人が多く、みんな揚げ物とご飯を食べて、さっさと帰っていく。どうやら、ジャワ風ファースト・フード店のようだ。
何の揚げ物かと思ってカウンターで見たら、これだった。
ナマズのから揚げだった。小さなナマズを丸ごと揚げである。せっかくだから、私も1匹だけいただくことにした。

ナマズ鍋は東京のどじょう屋で食べたことがあるが、揚げ物は初めてである。いかにも白身魚らしい淡白な味が結構でした。

店を出ると、すっかり日が暮れていた。

2017-07-14

インドネシアの古都ソロのカオスな表通り

ソロの宿泊は、ジャワ文化が満喫できるというロイヤル・スラカルタ・ヘリテージ・ソロというホテルを予約しておいた。名前からして豪勢なホテルだが、事実、名前負けしない見事なものだった。
部屋はそれなりだが、歴史ある古いホテルなのでしかたがない。

内装をいちいちお見せしていたらきりがないので、ホテルの入口付近からフロントを見たところを1枚。スタッフも訓練が行き届いていて、これで1泊6000円弱だからお値打ちである。

歴史的なホテル

1泊しかしないので、そそくさと部屋を出て町歩きへ。ホテル前がちょうど町の中心部である。

ジャワの古都というから優雅な雰囲気の町を思い浮かべていたが、大通りの車とバイクの洪水は、まさにカオス!
頭のてっぺんに赤道近くの真昼の日射しを受けていることも相まって、私の頭はくらくらしてきた。

交差点で客待ちをするペチャ

しかも、片側3車線もあろうかという広い道なのに横断歩道がない。
ひっきりなしに通る車の隙を狙い、ドライバーの目をしっかと見据えながら向こう側に渡らなくてはならないのである。

屋台が並ぶ通り

メインルートを外れると、両側に簡易な食堂や屋台が軒を連ねる庶民的な道となった。
写真でわかるように、道路にはレールが敷かれている。
「はて、路面電車の廃線跡か」と思ったのだが、その正体は翌日にわかる。

簡易な食堂が並ぶ

ごみごみした露店街の背後には城砦が広がっていた。門が空いていたので入ってみると、なんと城砦の内側の更地でコンサートの準備をしているではないか。

近寄ってよくみると、土曜日であるこの日の夜に、ガムランの演奏会が開かれるようである。さすが古都ソロである。
バックのビジョンには、たぶん名演奏家なのだろう、顔が大写しになっていた。

ガムラン音楽祭準備中

大通りに戻ってぶらぶらしていたら、いろいろなものを見つけた。
下の写真はバス停である。歩道を嵩上げして乗り場としている。
なるほど、これなら段差なしで乗ることができる。バスを低床化するのではなく、こういう方法もあるのかと思った。東京の都電方式である。

大通りのバス停

次の写真は、ご想像がつくだろうが花輪屋である。右の花輪は、結婚式のものらしく、新郎新婦の名前と披露宴会場のホテルの名前が記されていた。

ベニヤ板に飾りつけをしているのかと思ったら、なんと段ボールであった。
だから、このようにペチャ(三輪の人力車)で運ぶことができるわけだ。

花輪づくりの店

最後の写真は銀行の看板。
この国の共通語であるインドネシア語はラテン文字なのだが、この看板の上側にはジャワ語が書かれている。
王家があり、伝統文化の栄えたジャワ島で話されてきたジャワ語(今も話されている)は、日本語以上に敬語表現が発達していて難しいという。
文字は南インド由来らしく、確かにタミール文字に似ている。

ジャワ文字の看板

意味がわかるかどうかはともかく、読めない……というか発音できない文字が世の中にあるのは悔しいものである。
そう思って、これまでアラビア文字、ギリシャ文字、キリル文字、ハングルは、なんとかそれらしく発音だけはできるようになったが、インド、東南アジア系はまだまだ。
アルメニア文字やエチオピアのアムハラ文字も知りたいが、日々の塵労に追われて時間がとれないのが残念である。

2017-06-22

ジャワ島横断 鉄道の旅2 スラバヤ~ソロ

スラバヤから乗った「ランガージャーティー号」でも、やはり一番高いエグゼクティブクラスを購入した。
「日本円にすればたいした違いがないから、一番高いのにすれば間違いないですよ」というのはラジャアンパット在住の知人の話である。

エクセクティフクラスの車両

さて、この列車の始発駅スラバヤと終点のチルボンは、どちらもジャワ島の北海岸にある都市だが、この列車は海岸沿いを走るわけではない。
ジャワ島中央部を東から西に斜めに南下して、中央部にある古都ジョグジャカルタを経由すると、今度は北上してチルボンに向かうという遠回りのルートをとるのである。

スラバヤ~ソロの車窓

島の中央部を通るというので、さぞかし山また山の車窓が見られるかと思ったら、意外にもずっと平坦であった。
ちょっと拍子抜けしたが、車窓の田園風景には心が休らぐ。

スラバヤ~ソロの車窓

発車してしばらくすると、車内販売がまわってきた。
バニュワンギ~スラバヤでの食いはぐれ事件かあったので、1回目の巡回で弁当を確保しようと、まさに販売員に声をかけようとしたところで、妻から「待った」がかかった。

朝食をしこたま食べたので、たぶん昼になってもお腹が空かないだろうという。
確かに、スラバヤの新しいホテルはバイキング方式のメニューがどれも美味だったので、朝っぱらから満腹になっていたのであった。

車内の巡回サービス

今度の車内販売のお姉さんは、写真のように髪をすっぽりと覆ったヘジャブ風の制服(制帽?)をつけている。
せっかくだから、コーヒーを注文した。インドネシアでコーヒーを頼むと、「カプチーノ? ブラックコーヒー?」と聞かれる。

ブラックコーヒーというから砂糖なしなのかと思うと、そうではなくてミルクコーヒーでないやつは全部ブラックコーヒー(コピ・ヒタム)と呼ぶようだ。

スラバヤ~ソロの車窓

あとはコーヒーを飲みながらのんびりと車窓を楽しむだけなのだが、この列車の窓ガラスは汚れていて(あるいは傷だらけで)、残念ながら撮影欲はあまり刺激されなかった。
といいながら、それでも何枚か撮ったのが今回の車窓写真である。

ソロ・バラパン駅

この日の宿泊地は、ジョグジャカルタの手前にあるソロという町。
ソロ出身の音楽家グサンによるクロンチョンの名曲「ブンガワン・ソロ」は、この町を流れるソロ川を歌ったものだ。

ソロ・バラパン駅

ガイドブックによれば、ジョグジャカルタを京都とすれば、ソロは奈良に当たるという。
「ソロは落ち着いたいい町ですよ!」
ラジャアンパットの知人のすすめもあって、ジャカルタでの宿泊を省略してソロに泊まることにした私たちである。

彼のアドバイスの前半は必ずしも正しくはなかったが、後半は間違いではなかった。
いや、彼が何年も前に訪れたときは、もっと車もオートバイもなくて落ち着いた町だったに違いない。

ソロ・バラパン駅

ちなみに、ソロの現在の正式名称はスラカルタだそうだが、今でも旧称で親しまれているようだ。
ソロの中央駅にあたるソロ・バラパン駅には、定刻の13時25分に到着した。

2017-06-17

インドネシアで鉄道の切符を手に入れるまで

インドネシアでは、鉄道の切符を買うまでが一苦労だった。
一番簡単なのは、出発直前に駅の窓口で買う方法だが、スラバヤのような大きな駅だと、窓口に長~い行列ができていて、切符を手に入れるまで1時間もかかることが珍しくないという。

それでは困るので、事前に予約することになるのだが、そこにもまた問題が。
事前予約の方法はいくつかある。
1. ネットの予約サイトを利用する。
2. 駅の切符予約機を利用する。
3. コンビニの情報端末を利用する。
4. 旅行代理店を利用する。

スラバヤ駅の窓口の行列

まず、日本国内で1を試してみた。
だが、インドネシア国鉄のサイトではすべてインドネシア語表示だったので断念。
次に、ガイドブックやネットでも紹介されているTiket.comというサイトにアクセス。英語もあるので無事に列車も決めて、さあクレジットカードで支払い……という段になって受け付けてくれない。
何度やってもだめなのだ。

いろいろと調べてみると、どうやら最近になってインドネシア国内で発行されたクレジットカードでなくてはだめになったようだ。同じVisaカードでもインドネシア国外発行のものは使えない。

この時点で、最初のバニュワンギ~スラバヤだけは、ラジャアンパットの知人にお願いして予約しておいてもらった。

駅の切符予約機

そして、スラバヤ以降の切符を買おうと思って、バニュワンギ市内のコンビニの情報端末を使ってみたのだが、なぜかここも最後の最後で受け付けてくれなかった。
やむなく、スラバヤ駅に着いてすぐインフォメーション窓口で予約をお願いしようと思ったら、セルフサービスの切符予約機を使えという。
そうしてたどりついたのが、上の写真の予約機である。

ちなみに、インドネシアの長距離列車の切符は実名制だ。これは、ダフ屋を排除するための措置なのだという。
おかげで、パスポート番号(インドネシア人ならばIDカード番号)やら携帯電話番号も入力しなければならない。

ところがである。パスポート番号を入れようとしても、冒頭のアルファベットを受け付けてくれないのだ。
──これは困ったぞ。
インドネシア人のIDカードは数字だけだからいいが、日本のパスポートはアルファベットではじまるのだ。

──どうすりゃいいんだ!
と、困り果てたところで、ピンとひらめいた。
──そうか、ダフ屋を防ぐための制度なんだから、本人だとわかればいいだけのこと。どうせ改札では写真入りのパスポートを見せんだし、ここでは数字の部分だけ入力すれば十分だろう。

駅のチェックイン機

セキュリティが目的の空港での厳密なチェックとは違うのだから、確かにその程度でいいのだった。
しかも、このときは私の後ろに何人もの人が並んでいて、あせって名前の「Takashi」を「Taashi」と入力したことをあとで気づいた。でも、何も問題はなかった。

予約機の横には、写真のように係員がたいていついているので、困ったときには英語で相談できる。
それでも、クレジットカードが使えないのは参った。
2人で何十万ルピア(実は何千円)という金額のために、5万ルピア紙幣を延々と投入しなければならなかったのである。
(しかもお釣りが出てこないので、ある程度細かい紙幣も持っていないともったいない)

スラバヤ駅の時刻表

すべて受け付けられると、最後にぬるぬると長いレシートが出てきた。
それが予約票である。
(この予約票だけでは乗れないので要注意)

当日になって、駅のチェックイン機(3枚目の写真)に、セルフサービスで予約票のQRコードをかざすか、印刷されている予約番号を入力することで、晴れて乗車券が印刷されてくるのである。
これを持って、パスポートとともに改札の係員に提示すればいい。

コンピニの端末で「i-tiket」を選べば、同じように予約票が購入できる。
やはり、パスポート番号のアルファベットを入れないのがコツということもわかった。
画面はインドネシア語しか出てこないが、インドネシアの若いコンビニ店員さんはみな親切なので、手伝ってくれるはずだ。
コンビニならばクレジットカードも使える。

ここに書くと、まずまずスムーズに進んだように見えるが、あっちに聞いたりこっちに聞いたり、ああしたりこうしたり、いやはや大変な試行錯誤の連続だったのである。

待合室のライブ音楽

スラバヤ駅は大混雑かもしれないからと、発車時刻である9時15分の1時間も前に駅に着いたものの、チェックインも改札も拍子抜けするほどスムーズ。
あとは待合室で延々と時間を過ごすこととなった。

上の写真は、改札内の待合室で朝っぱらからやっていた、キーボードのライブ演奏。
ヘジャブをかぶった白装束の女性が奏でる音楽ということ、何やら宗教っぽい音楽かと思うかもしれないが、日本のニューミュージックのような軽やかなメロディに、明るく張りのある声で歌っていた。

無料足マッサージ機

この写真は、改札外の待合室に設置されていた足マッサージ機!
なんと無料で使える。
おばさんたちが気持ちよさそうに居眠りをしていた。

そして、発車時刻が近づくと案内放送があって、三々五々ホームへと歩きだす。
まあ、全車指定なので、あせって急ぐ人もいない。

待合室からホームへ

通路のかたわらには、乗り場と列車名が記されたボードが置かれていた。
乗るのは5番線の「ランガージャーティー号」。スラバヤ発ジョグジャカルタ経由チルボン行きである。
この列車に乗って、古都のソロまで4時間あまりの旅が始まる。

2017-06-09

スラバヤでの怒濤の一夜

スラバヤの中央駅であるスラバヤ・グベン駅は、東側がローカル線、西側が長距離優等列車が発着するホームになっている。
ガイドブックによると、インドネシア国鉄では、大きくて重い荷物をもった乗客がスリや置き引きにあわないように、停車駅や出口を分けて保護してくれているのだそうだ。
その配慮はありがたいが、おかげでクラシックな駅舎の東口を撮影する時間がなくなってしまったのは残念である。

スラバヤのホテルからの眺め

スラバヤについたのはもう夕方。東口からホテルまでは、荷物がなければ歩いていける距離だが、西口からだと大回りになるのでタクシーに乗って、できたばかりの近代的なホテルにたどり着いた。

翌日は朝9時15分の列車に乗らなくてはならないので、町をゆっくり見物する時間がないのがこれまた残念である。
それでも、ネットでおいしいという評判の鶏肉料理店を目指し、都心ではない方角に向かって夜のスラバヤに繰り出した。

夜のメインストリート

大通りは、車とバイクが途切れることなく走り抜け、その音と排気ガスでくらくらしてくる。
「脇道を通って行こう。ちょっとした商店街があるようだし」
私の提案にしたがって脇道に入ってしばらく歩いたところで、一天にわかにかき曇り、音を立てて大粒の雨が降ってきた。

「しまった~! 油断して傘を持ってこなかった……」
だが、後の祭り、先のフェスタである。
たまたま大きな中華料理店があったので、その軒先でしばらく雨宿りをすることにした。

露店

散歩時間を30分も無駄にしてしまったが、ほぼ雨がやんだところで行軍を再開。
「その角を左に曲がれば、賑やかな商店街があるはずだけど……」

確かに商店街らしきものはあった。
だが、日本のそれとはだいぶ趣が違って、なにより街灯が少なくて薄暗い。
歩道らしきところには店が張り出していて歩けないから、車道を歩くしかないが、車道の道幅はせいぜい3mほど。
一応舗装はされているが、ひび割れと穴ぼこだらけなので、さきほどのにわか雨であちこに水たまりができている。
しかも、そこをバイクと車がひっきりなしにガーガー通り抜けていくものだから、あれこれと注意を払わなくてはならず、緊張状態の連続。

雨の商店街

写真にするとすっきりと見えるが、いやはや大変な道中だった。
30分ほど歩いてようやく広い道に出たと思ったら、やはり歩道があちこちで崩れていて、ただ歩くのも危ない。
時折雨が思い出したように降ってくるなか、車に気をつけながら、薄暗いなか、歩道と車道を行ったりしながら、ようやく目指す鶏肉料理の店にやってきた。

踏切の標識

それは立派な店だったが、残念ながらメニューにビールがなかった。
確かに店の雰囲気からして、経営者は華人ではなくてイスラム教徒であることがうかがえた。

で、お味はというと、どの料理も味つけがとっても甘かった。
「この店が人気店ということは、地元の人にはこういう味が好まれるのか……」

帰りは、まずまずまともな歩道がある大通りを、とぼとぼと歩いてホテルに帰還。
ロビーで飲んだビールが全身にしみわたった夜であった。

2017-06-07

ジャワ島横断 鉄道の旅1 バニュワンギ~スラバヤ

インドネシアの朝は早い。私もつられて早起きになった。
といえば聞こえはいいが、その理由は朝4時から町じゅうに響くアザーンの声である。
しかも、1つのモスクだけでなく、町のあちこちから大音量で別々の声でコーランを詠唱するものだから、寝ていられないのだ。
十数年前に旅行したエジプトでもアザーンはあったが、5時とか6時だったような覚えがある。

バニュワンギ・バルー駅

さて、5月5日は、バニュワンギ・バルー駅から朝9時発の列車に乗車する。
実は、ここからが今回の旅のメインイベント。ジャワ島横断鉄道の旅なのだ。
4回に分けてジャカルタに向かう列車の旅で、この日は6時間あまりをかけて東ジャワの中心都市であるスラバヤに向かう。

始発駅のバニュワンギ・バルー駅は、町の中心部から北へ10キロ近く。バリ島からのフェリーが発着する港の近くに位置している。
クラシックな駅を想像していたら、意外にもなかなか近代的な駅舎であった。

バニュワンギ・バルー駅構内

ここを発車する列車は日に10本ほどで、うち3往復が、私たちの乗るスラバヤ行きのムティアラ・ティムール号。「東の真珠」という意味だ。2本が昼行で1本が夜行である。
数えていなかったが、全部で10両ほどの編成で、1等車というべきエクセクティフ(エグゼクティブ)クラスと、2等車のビスネス(ビジネス)クラスだけの高級列車だ。ちなみに3等車はエコノミーである。

編成が長いので、私たちが指定されたエクセクティフの1号車は、ホームからはみ出していた。
まだ発車時間まで間があるのをいいことに、ホームから降りて線路際を歩いて撮ったのが下の写真である。

発車を待つ「ムティアラ・ティムール号」

バニュワンギ・バルー駅を発車して町を出ると、右側の車窓には美しい山並みが目を楽しませてくれる。
窓は開かないが、車内が空いていたので、私は右に左に座席を移動して、しばらく写真を撮っていたのであった。

すると、町なかの駅に1つか2つ停まったのち、田園地帯の小さな村のはずれで列車は急停車。
しばらく停まっていたので何事かと思ったら、どうも自転車かバイクの接触事故があったらしい。どうなることかと思ったが、周囲の様子を見る限り、人命にかかわるような重大事故ではなかったようで、約15分後にゆるゆると発車した。

車窓の風景

その後、沿線はずっと田んぼが広がって、田植えの人の姿も見える。ときに小さな村や町が見えて、踏み切りを通過するときは、バイクの列や下の写真のような小学生の姿を見ることもできる。
この小学生は制服を着ているようだが、カラフルな配色が熱帯の日射しに映える。

始発駅では1両に3、4人しか乗客がいなかったが、停まるたびに乗客が増え、10時ごろから11時ごろにかけての山越え区間の前後で8割ほどの席が埋まった。

車窓の風景

弁当や飲み物の車内ワゴン販売は、10時すぎに1回目がまわってきたが、まだ腹が減っていなかったのでスルーしてしまった。
実は、これが大きな間違いだったとあとで知ることになる。

やがて、昼どきになって再び車内販売がやってきた。女性は宮崎あおいに似た、笑顔がかわいい子である。
今度は弁当のワゴンがなく、希望者から注文をとっていた。どうやら、食堂車でつくってくるらしい。
私たちもナシゴレンを注文。どんなものが来るかわくわくして待っていたのである。

昼食を前に食事の注文

ところがである。30分過ぎても40分過ぎても食事がこない。
いいかげん空腹が限界に近づいた1時間後、さきほどの男女がやってきた。
──さあ、食うぞ!
そう思ったが、彼らの手元には何もない。
ちょっと嫌な予感がした。

「すみません、売り切れです」
「ご飯がなくなってしまったんです」
下手な英語ですまなそうに言うのだが、妻は激怒。
「なんでなの!? 1時間も前に注文したでしょう!」と問い詰めるが、複雑な英語は通じないのか、相手はすまなそうな顔をして、「返金しましょうか、それとも麺にしますか?」と言うだけ。
さすがに近くのインドネシア人も憤然として、返金を求めていたっけ。

山間の小さな村

私たちは仕方がないので麺を頼んだら、15分ほどしてカップ麺に牛肉のつみれ(これはオリジナル品)をいくつか載せたものが出てきた。
しかも、お湯がぬるくて少なくてマズかった。

食い物の恨みは恐ろしいものである。妻はこの日の夕方まで機嫌が悪かった。
私はといえば、腹が減ったのは困ったが、「まあ、ここはインドネシアだし、こんなもんだろう」という感じで、がっかりはしたが怒る気にはならなかった。

スラバヤ到着
そんなハプニングもあったが、終点のスラバヤには約15分遅れの15時40分に無事に到着。結局、事故の停車分が最後まで響いたわけだが、逆にいえば遅れが広がらなかったわけで、ずいぶん運行は正確だと感じた。

ここスラバヤで1泊。今回の旅で初めての大都会である。ちょっとドキドキ。

2017-05-30

ジャワ島東端 夕刻のバニュワンギで味わった幸福感

マカッサルでは名物の牛煮込みスープ「チョト・マカッサル」を食べることもなく、翌日早朝にあわただしくスラバヤに向けて出発。
空港のゲートからバスに乗ってプロペラ機に搭乗し、座席につこうと思ったら、なんと先客がいる。
チケットを見せて、ここは自分たちの席であることを主張したところ、彼もチケットを見せてここは自分の席だと言っているようである。

バニュワンギの市場通り

すぐにCAの女性が駆けつけてチェック。数秒して、私たちに向かい、
「あなたがた、スラバヤ?」と尋ねる。
うなずくと、
「これはスラバヤ行きじゃないわ!」

突如、周囲が大騒ぎとなった。乗務員たちがあちこちに無線で連絡をはじめ、私たちは閉まりかけた飛行機のドアに一目散に駆けつける。
たまたま、飛行機のそばに停まっていた業務用の車(たぶん)に便乗して、ほぼ空港の反対側に停まっていたスラバヤ行きに横付け。
インドネシア人乗客の注目を浴びながら(たぶん)、席に着いた。
「これが日本だったら、白い目でお出迎えされるところだったね」と言いつつ。

バニュワンギの市場通り

それにしても、同じゲートから、ほぼ同じ時刻にガルーダ・インドネシア航空の国内線が出発するのが間違いのもとである。
私たちがゲートでチケットを見せたとき、その場にいた係員が何か話し合っていたように見えたのだが、なぜそこでしっかりと確認してくれなかったのだろう。

チケットはマカッサル~スラバヤとスラバヤ~バニュワンギ行きの2枚重ねで、すでに1枚目のチケットは半分切ってあるのでわかりにくかったのだろうか?
それにしても、2枚目のチケットがスラバヤ~バニュワンギならば、ちょっと考えれば見当がつきそうなものである。

もっとも、タカをくくって搭乗時間に遅れて来たわれわれもいけなかった。
バスでの搭乗だったので、もっと時間にぴったりに着いておくべきだったのである。

と、心の中で反省はしてみたが、なかなか得難い体験ができて、わくわくしたというのが正直なところである。

バニュワンギの市場通り

そんなハプニングもあったが、昼頃にはジャワ島の東端にある町、バニュワンギに無事到着。
観光地としては、あまり知られていないが、対岸には大きくバリ島が見えている。
ガイドブックには、「バリ島からのフェリーの到着地であり、イジェン山への夜行登山が有名」とある。夜には噴出するガスが青く見えるのだそうだ。

東京で今年の春まで日本語を教えていた介護士候補生インドネシア人グループの一人が、このバニュワンギ出身であった。
彼女によれば、「イジェン山では、毎年毒ガスで死ぬ人がいるんですよ」とのこと。どうやら硫化水素ガスのようである。日本でも草津白根山で以前何度か事故があったっけ。

バニュワンギの大通りにて

私はバリ島のリゾートも夜行登山もあまり興味がないので(妻は夜行登山に興味を示していたが……)、一休みしたのち、町のぶらぶら散歩を楽しんだ。
最初に尋ねたのは、ホテルの近くにある市場通り。
大昔の上野アメ横の道幅を広くした感じで、なかなか雰囲気がよい。
最初の3枚の写真である。
もう3時過ぎだったためか、人通りはあまりなく、リヤカーならぬフロントカー式の人力車「ペチャ」の車夫のおじさんたちも暇そうであった。

空港からホテルまでのタクシーでは、中心部に大きなショッピングモールがあるのが見えた。
あちらは若い人を中心に賑わっていたことから、最近では日用品や食料品は、市場通りよりもショッピングモールで買う人が多いのではないかと想像する。

バニュワンギの大通りにて

バニュワンギは大通り(街道といったほうが正確か)に沿って、断続的に数キロも市街地が続いている。
だから、どこが都心だかよくわからないのだが、一応、ショッピングモールと市場通りの間あたりが商店も多く、人通りも多い。

バイクや車もずいぶん多かったが、このあとに見ることになるインドネシアの大都会とくらべて、田舎臭いところがよい。その一方で、活気もあるのが好ましく思えた。

バニュワンギの路地裏散歩

大通りを行ったり来たりしているうちに、そこから脇に入っていく細い路地が気になってきた。
だが、いかにもごく普通の民家が建ち並んでいるだけで、しかも夕涼みに人が出ているものだから、ちょっと入りにくい。

そんな路地の1本を大通りから撮っていたら、上の写真のような風呂上がり(?)の上半身裸のおじさんと目が合って、にこやかな表情で大きく手を振ってくれるではないか。

バニュワンギの路地裏散歩

「これは行ける」と私は判断した。

まあ、ここでおじさんのところに突撃するのも恥ずかしいので、もう1本先の路地から探索することにした。

まず目に入ったのは、狭い路地に置いた机に向かって、石をコツコツと叩いている男性。よく見ると、会社のネームプレートを彫っている職人さんのようである。
NHKでやっていた世界なんとか街歩きのディレクター気分で、しばし(といっても20秒ほどだが)間近で作業を見学させてもらった。

見事な腕前をほめたいのだが、「ほー」とか「ふーん」とかしか言えないのがもどかしい。
英語で「ベリー・グッド」なんて言ったが、やはり地元のことばで話しかけたいものである。

バニュワンギの路地裏散歩

そこで、せめて「こんばんは」だけは口にできるようにしようと、「地球の歩き方」を開いた。
朝のあいさつ「Semalat pagi」(スマラッ・パギ)だけは覚えていたが、あとの昼のあいさつ、夕方のあいさつ、夜のあいさつは、まだ頭に入っていなかったのだ。
夕方のあいさつが「Semalat sore」(スマラッ・ソレ)だと知って百人力。

さらに路地裏を奥へたどっていくと、ちょっとおしゃれな家が続くかと思うと、古めかしい家もあったりするところは、東京の下町と変わらない。
かと思うと、放し飼いのニワトリが道端でうろうろしているのは、こちらならではの風景である

道がカーブしたあたりに、家の前で夕涼みをしていた中年男女4人と遭遇。近所の人なのだろう。

にこやかに微笑んで「スマラッ・ソレ」と言うと、穏やかな表情で「スマラッ・ソレ」と返してくれた。

バニュワンギの路地裏散歩

さらに進むと、なんと川が流れているではないか。
かなり汚い川であるが、風景だけは上等である。
遠くのほうをよく見ると、川のなかに子どもが2人、向こうむきで座り込んでいた。
何をしているのかと見ていたら、立ち上がったその下半身は裸であった。
「トイレ代わりか!」

日本語にもトイレのことを「かわや(厠)」というが、その語源は「川屋」のようであるからして、川で用便をしてもまあ不思議ではない。

バニュワンギの路地裏散歩

汚い川沿いを歩いていたら、3m幅くらいの少し広い道に出た。
道沿いには瓦葺きの民家が建ち並び、ゴム草履またははだしの子どもたちが凧をあげて遊んでいた。
空を見ると、いくつかの凧が上空で小さく舞っている。すると、どこにこんなにいたのだろうという子どもたちがやってきて、空を見上げながら、あっちに走り、こっちに走りしていくのだ。
そんな道を、時折バイクに乗ったおばさんが走り抜けていく。

地元の人と視線が合うたびに「スマラッ・ソレ」を連発。
おかげで、たくさんの微笑みに出合うことができた。

バニュワンギの路地裏散歩

バニュワンギでは、夜の民族舞踊ショーも見ず、夜行登山にも行かなかったが、夕刻にこの路地裏に居合わせただけで、もう十分に幸福だった。

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