2022-09-11

「伝統的なサルデーニャ」の中心都市ヌーオロ

サルデーニャ島というと、世界のセレブが集まるリゾートのイメージが強いかもしれないが、それは海岸沿い──とくに北東部のコスタ・ズメラルダ(エメラルド海岸)が中心だ。
有史以来、あまたの民族がやってきたこの島では、海岸沿いは異民族が襲ってくる危険な場所という認識だった。だから、昔からこの島に住む人たちは、海岸から離れた山岳地帯に逃れて暮らしてきたのだそうだ。
だから、島の中央部のバルバジア地方には、そんな人たちの子孫がずっと住んでおり、伝統的な風習や言語が残っている。
そのバルバジア地方の中心都市がヌーオロだ。

旅行者用のアパート

上の写真は、3泊した旅行者用のアパートの素敵な中庭。
アパートの部屋は3つか4つの部屋に分かれていて広々としている。

ヌーオロ旧市街グラツィーア・デレッダ通り

50代の主人は、部屋の案内もそこそこに、なぜか近所に住むおばさんの家まで連れていってくれた。私たちがイタリア文化に興味を持っていることを喜んでくれて、紹介してくれたようだ。
80歳前後と見えるおばさん2人が共同で生活しているという。
「あら、カリアリからはバス? え、あのオンボロ列車に乗ってきたの!?」と驚かれてしまった。

昔ながらの旧市街の家だったが、内部はきれいにリフォームされていて、台所の壁には昔ながらの調理器具が所狭しとぶら下がっていたのが印象的だった。

上の写真は、宿の近くにあるノーベル賞作家グラツィーア・デレッダの名前を冠した小径。

グラツィーア・デレッダ記念館

そして、宿のすぐ近くには、グラツィーア・デレッダが過ごした家をそのまま保存している博物館があった。
彼女は、この町が生んだ自慢の作家である。宿の主人は、私がデレッダの名前を知っていることに感激したようだが、実をいうとたまたま前回の訪問で名前を知っていただけなのである。文学部出身でイタリア好きでありながら、残念ながらその作品を読んだことはない。

若者で賑わうカフェ

ヌーオロには1990年に訪問したが、なんとなく沈んだ雰囲気で、昼間から酒を飲んでバールでクダを巻いている若者もいた。
経済的にも遅れていて失業率が高いことがひと目でわかったものだった。
今回の旅でも、カリアリの宿の若い主人は「ヌーオロのあたりは閉鎖的だから気をつけたほうがいいですよ」と教えてくれた。

そんな先入観があったから、ヌーオロの町を歩いて驚いた。
中心部にあるバール・ヌオーボは若者でいっぱいで楽しそう。その斜向かいにある昔ながらの雰囲気のバールには、親爺軍団がいっぱいで賑わっていた。

旧市街の目抜き通り

そして、この写真は旧市街の目抜き通り。
何の変哲もない狭い道だが、両側にはおしゃれなブティックをはじめ、さまざまな商店が並び、夕方になると多くの人が行き来する。
しかも、この狭い道を大型の路線バスが通るのである。

町の東端からの眺め

旧市街の東側は崖になっており、パノラマが広がっている。
夕方になると、車でここまでやってきてのんびりとしている人も多かった。

クラフトビールのレストラン

そして、この日の夜は、友人に教えてもらったクラフトビールのレストランへ。
ヌーオロの東端にある旧市街から、ヌーオロ駅前、新市街を通り過ぎ、住宅地の間にある店まで30分以上も歩いてたどりついた。
若者3人ではじめたという醸造場で、上の写真の壁に飾ってある絵に、その3人が描かれている。
右側には醸造用の大きなタンクが見える。

クラフトビールのレストラン

入店したのは夜10時近かったが、店はがらがら。
こんなんでやっていけるのだろうかと人ごとながら心配したが、10時を過ぎるとあっというまに満席になった。
地元でも評判の店というくらいだから、ビールはもちろん、食べ物も絶品。
ビールは種類を変えて3種類を制覇。おつまみは、周囲の人がみな注文しているキノコのフリットを頼んだところ、やはりうまい。牛肉のタリアータも大満足。
12時をまわった真夜中の市内を、ほろよい加減で宿までまた歩いて帰ったのだった。

2022-09-05

サルデーニャ鉄道に乗ってヌーオロへ

カリアリに3泊したあとは、サルデーニャ島の古い文化が残る中央部のヌーオロ(Nuoro)へ。
直通の高速バスではなく、あえてイタリア鉄道と私鉄のサルデーニャ鉄道の乗り継ぎを選択した。

カリアリから乗り換え駅のマコメールまでは、イタリア鉄道の軽快なディーゼルカー「ミヌエット」が島のメイン街道を2時間で走破。
カリアリ出発直後はほぼ満員だったものの、なんとか座席にありつけた。

イタリア鉄道マコメール駅

上の写真はイタリア鉄道のマコメール駅。広場をはさんで、サルデーニャ鉄道の駅が相対している。
1990年に来たときは、イタリア鉄道が当たり前のように30分以上も遅れたけれど、今回はほぼ定刻に到着した。
15分ほどしかない乗り換え時間が心配だったけれども、杞憂に終わった。

サルデーニャ鉄道マコメール駅

サルデーニャ鉄道の駅で待っていたのは、先日カリアリ-イージリ線で乗ったのと同じ旧型ディーゼルカーだ。
上の写真では、左の柱の陰に隠れてしまった。
構内には、客車や貨車が留置されているが、グラフィティという名の落書きだらけなのが残念。

サルデーニャ鉄道マコメール駅

駅の背後には車庫があって、ここにもディーゼルカーと貨車が置かれていた。
最近になって導入されたという新型車は見えなかったが、あとになって営業運転中だと知った。

サルデーニャ鉄道マコメール駅

駅のホームには、こんな年代物の転轍機が。
これが信号と連動してポイント(分岐器)を操作するわけだ。

サルデーニャ鉄道マコメール駅

結局、乗客は私たちを除いて5人ほど。29年前はほぼ満席で出発したのに……。
ホームには駅員や乗務員が、これまた5人ほど、発車に向けてあちこち動き回っていた。

サルデーニャ鉄道マコメール駅

側面のサボ(行き先表示板)には、行き先の「Nuoro」の上に、サルデーニャ鉄道の略称である「FdS」が記されている。
一方、ドアの左側には、現在の運行主体である公共企業体「arst」のロゴが書かれている。

こうして隅から隅まで写真を撮っているうちに、発車時刻の14時45分になった。
ここから、ヌーオロまでの約58km、1時間20分の小旅行のはじまりだ。
私たちは運転席かぶりつきの場所に座り、さらに側面の窓を開け放って車窓を楽しむことにした。

サルデーニャ鉄道の車窓

写真でわかるように、線路はきっちりと整備されている様子。
公営のarst社に移管された2010年に一時営業を停止して、2年かけて曲線改良と線路強化をしたという。

サルデーニャ鉄道の車窓

車窓には、茫漠とした乾いた大地が続き、オリーブ畑があちこちに見られる。
サルデーニャ島独特の石積みの遺跡ヌラーゲも見ることができた。

ステッドラー社製の新型車

途中で対向列車と2回交換したのだが、どちらも新型車両がやってきた。
2016年に営業開始したスイス・ステッドラー社製の電気式ディーゼルカーとのことである。
エアコンもあって乗り心地はよさそうだが、こちらの旧型車は窓が開くのが何よりも素晴らしい。

サルデーニャ鉄道の車窓

サルデーニャ島では、人の数よりも多いといわれる羊。
車窓からも放牧している様子を見ることができた。

ヌーオロの遠景

終点に近づくと、急勾配を登り、山腹のすさまじい崖上を走る。
土砂崩れでもあったら谷底にまっさかさまだ。雨の日には乗りたくないな……なんて思っているうちに、ヌーオロの町が見えてきた。

サルデーニャ鉄道ヌーオロ駅

終点のヌーオロに定刻の16時5分に到着。
到着したホームの横(写真の左側)では、新しいホームが工事中のよう。
日本に帰ってきてネットで調べたら、新しいホームに停まっている車両の写真が掲載されていた。

この日から旅行者用のアパートに3泊する。がらんとしたコンコースを抜けた先で、アパートの管理人がクルマで迎えにきてくれていた。
私たちが写真撮影に時間を食っていたので、本当に乗ってやってきたのか心配になっていたようだった。

2022-09-02

鉱山で栄えた町イグレジアス

ポルト・フラーヴィアからマズーアのバス停まではあまりに遠いので、結局行きに乗ったタクシーを電話で呼んだ。
イグレジアスの町なかも見たいので、旧市街で降ろしてもらうことにした。
「ここから坂道を登ると眺めがいい場所に出るよ。帰りはこの方向に15分くらい歩くと駅に出る」
50代後半と見える運転手は、親切に案内してくれた。

イグレジアス旧市街

Iglesiasとは、スペイン語だと「教会」という意味だ。
「この町は教会が多いんだ」と運転手が言っていたが、はたしてそれが語源なのか。
ただ、調べてもスペイン語起源のような記述はなく、運転手も否定気味だ。
ネットではラテン語が起源だと書かれていたがわからない。

ちなみに、スペイン語だと濁らずに「イグレシアス」だが、イタリア語だと「イグレジアス」になる。さらにいえば、「レー」にアクセントを置いて、「イグレージアス」とイタリア人は発音していた。

イグレジアス旧市街

旧市街を歩いていると、単なる田舎町とは思えない立派な町並みが続き、かつての鉱山町の賑わいを偲ばせる。
日本で鉱山町というと、閉山とともに寂れていくのが相場だが、ここはそこそこ人口もあって昔の面影を残しているのが興味深い。
マズーア海岸の観光で多少はうるおっているのだろうか。

イグレジアス旧市街

上の写真は、イグレジアス旧市街の中心にあるサンタ・キアラ教会。正面のデザインが現代的だ。
広場にはカフェテラスが設けられていたが、中途半端な時間だったためか人影はほとんどなかった。

イグレジアス旧市街

確かに、町の至るところで大小の教会や教会跡を見ることができた。
また、昔の鉱山学校だった立派な建物は鉱山博物館に変わっていた。

イグレジアス旧市街

このカラフルな建物は、マドンナ・デッレ・グラツィエ教会。
どこまでが教会で、どこからが民家なのか、不思議な建物だ。通りの反対側もカラフルな建物が続く。
広場でビールを飲んでから駅に戻ると、駅前に見慣れたタクシーが客待ちをしているではないか。
「おう、どうだった? 楽しめた? 鉱山博物館は立派だったろう」
 やはり、この町には1台しかタクシーがないようである。朝うまく捕まえることができたのは幸運だった。

イグレジアス駅

イグレジアス駅で待っていたのは、ディーゼルカーATR365。サルデーニャ島向けにスペインCAF社が製造したものだ。2015年末から使用が開始されたというから、ほぼ新車といっていい。
カーブを高速で通過できるよう、振り子装置を搭載しているとのことで、曲線の多いサルデーニャに適しているのだろう。
座席にはテーブルが設けられているほか、普通列車とは思えないほど座り心地のいいクロスシートの座席に腰を落ち着けると、この日の疲れがどっとでたのか、動き出したとたんに眠ってしまったようだ。

2022-09-01

ポルト・フラーヴィアの鉱山跡めぐり

廃鉱山ツアーは所要1時間で、坑道を歩きながら説明を受ける。
しばらく歩くと、下の写真のような鉱石運搬用のレールが現れた。

ポルト・フラーヴィアの鉱山跡

ここでは、亜鉛と鉛、そして少々の銀が採れていたという。
どちらも近代工業の発達に欠かせないもので、この鉱山は重要なものだったが、大変な環境で長時間働く鉱山労働者には健康被害が続出した……というくらいは聞きとることができた。

ちなみに、鉱山の名前のフラーヴィアは、  鉱山関係者の娘の名前なんだとか。

ポルト・フラーヴィアの鉱山跡

しばらくすると、突然目の前に海を望む絶景が開けた。
ここでレールはヘアピンカーブを描き、別のトンネルを通って戻っていく。
このカーブの内側に、下の階のサイロへ鉱石を落とす場所があり、そこから鉱石が積み出されて行ったのだそうだ。

当時は、サルデーニャ島内に精錬する施設がなかったために、船を使って別の島や国に鉱石のままで運んで行ったという。

ポルト・フラーヴィアの鉱山跡

ここがツアーのクライマックスで、しばし記念撮影の時間に。

パン・ディ・ズッケロ

向こうに見える不思議な形の島は「パン・ディ・ズッケロ」

まあ、日本の足尾銅山のような工夫を凝らしたツアーにくらべたら、シンプルこのうえないものだったが、十分に楽しむことはできた。
ただ、もう一つ、ここで見ておかなくてはならないものがあった。そのために、私たちはすぐそばのマズーア海岸に向かったのである。
9月半ばだが、日曜日のマズーア海岸はイタリア人の海水浴客で賑わっていた。

マズーア海岸

見たいものとは、鉱石の積み出し口である。さきほどは内側からたどりついたが、それを外から見ようというわけである。

ネット情報では、ボートツアーに参加すれば積み出し口を見ることができるというので、さっそく加わることにした。
「次のが満員でね。2時間後になるんだけど……」
海の家のような案内所のお姉さんにいわれ、ビールを飲んだり、あちこちぶらぶらしたりして待つ。

洞窟めぐりツアー

ツアーボートというから、近くの小さな桟橋から漁船のような船に乗り込むのかと思っていたが、なんと10人乗りのゴムボートだった。
しかも、海水浴場の砂浜から乗るのだ! 岸から10mほど歩かなくてはならず、長ズボンはびちゃびちゃ。

「普段着でも問題ないけど、荷物は置いて靴は脱いでいくといいよ」といわれた理由がわかった。
私たち以外の参加者は、みな水着だったのは言うまでもない。

鉱石の積み出し口

そんな苦労をしてでも見たかったのがこれ!
2年くらい前に、ネットで写真を見て驚いた。岩肌をくり抜いて建造物が建っている様子は、ヨルダンのペトラ遺跡を連想させる。
さきほどの鉱山ツアーでは、この「建物」の上から外を見たわけだ。
下の大きなアーチ状の穴から、鉱石を船に運び出したのだろう。どうやって積み込んだのかは知らないが……。穴の上には「FLAVIA」という文字が刻まれている。

洞窟めぐりツアー

私としては、ここですぐに戻ってもいいのだが、「洞窟めぐりツアー」はここからが本番だった。いくつもの洞窟をめぐり、参加者は潜ったり泳いだり写真を撮ったり。
普段着の私たちは、暇そうにそれを見ているだけであった。

ところで、鉱山跡ツアーのガイドのお姉さんは、さすがに訓練されているのか、きれいな発音ではっきりと話してくれたのだが、ボートの船長のイタリア語はなまりが強く、半分もわからなかった。冗談ばかりいっているようなのだが、私たちだけ笑えないのは寂しかった。

2022-08-30

鉱山跡が残る西海岸のポルト・フラーヴィアへ

カリアリ滞在3日目は、西海岸に面した知る人ぞ知る、知らない人はまったく知らない観光スポット、ポルト・フラーヴィアへ。
そこで催されている1時間ほどの廃鉱山めぐりツアーに参加するためである。
ツアーは10時から1時間おきに催されていて、10時の回を日本から2週間ほど前にネットで予約した。11時の回はすでに30名の定員が満員だった。

まずは、イタリア鉄道でイグレジアスという町に向かう。カリアリ駅構内には、29年前と同じように蒸気機関車が保存・展示されていた。

カリアリ駅

テンダー付きの744型3号機で、軸配置は1D(つまり動輪の数が片側4つ)日本でいえば9600と同じコンソリデーションだ。
でも、レール幅が標準軌なので、車体はとても大きく感じられる。

カリアリ駅

日曜日の朝だけあってコンコースはがらんとしていたが、そこには昔のサルデーニャの田舎の家を模した興味深い展示があった。
「Pani, casu e binu a rasu」というのはサルデーニャ語で、「パン、チーズ、グラス(山盛り1杯)のワイン(があればいい)」という意味で、島の酔っぱらいのよくあるせりふである……と、上のほうに標準イタリア語で説明がある。

カリアリ駅

行き止まりのホームの端には、カルボニア行きのディーゼルカーが停まっていた。
サルデーニャ島の南西には、カルボニアとイグレジアスという2つの大きな都市があって、どちらにもイタリア鉄道線が通じている。
日中はカリアリから直通列車が交互に1時間おきに運転されていて、分岐駅のヴィッラマッサルジャ-ドムスノヴァスでは別方向の列車が待っていてくれている。

イグレジアス駅

終点イグレジアスから目的地ポルト・フラーヴィアへは20kmほどの道のりだ。
ポルト・フラーヴィアの入口にあたるマズーアの町までは路線バスがあるのだが、本数が少なくて午前10時開始のツアーには間に合わない。

がらんとした駅前のタクシー乗り場で5分ほど待っていると、タクシーがやってきて人を降ろした。
「ポルト・フラーヴィア? いいよ、でも予約の人がいるから、その人を先に運んでから戻ってくるよ。15分くらいかかるけど待っていてくれる?」
50歳くらいの運転手はそう言って去っていった。

イグレジアス駅

しばらくして戻ってきたタクシーの助手席には、女性が座っていた。
「同じ方向だから、親戚の人を途中まで乗せていくね」
こんなところがいかにも田舎町らしい。あとで知ったのだが、この日稼働していたのはこのタクシー1台だけだったようだ。

町から出ると、沿道には廃鉱の跡があちこらに見えた。
「イグレジアスは鉱山で栄えたんだ。今でも町には鉱山博物館があるから、帰りに見ていくといいよ」
いろいろと会話を交わしながら、やってきたのがポルト・フラーヴィアの駐車場だった。時刻は9時半だったので余裕で間に合うはずである。
「タクシーはここまでしか入れないんだ。鉱山ツアーには海岸沿いにまっすぐいけばいいよ」

はあ、そうですか。と降りたのだが、崖沿いの道が入り組んでいて、どの道を行くとどこに通じるのかもわからない。
さんざん迷いに迷った末、ようやく狭い1本道のカーブのはるかかなたに入口の建物を見つけたのだが、そのときすでに9時50分!
集合時間とされる15分前を過ぎており、目的地まではまだ10分ほどかかりそうである。

「こりゃ、もうダメだ! 12時の回に空きがあることを祈るしかない」

ポルト・フラーヴィアの鉱山入口

あきらめかけた直後、後ろから1台の自家用車が私たちに迫ってきた。
恥をしのんで大きく手を振ると、10mほど行き過ぎたところで車が止まった。

「ありがとう! この先で鉱山ツアーが10時からはじまるんです」
私がいうと、車を運転していた30歳くらいの女性はこういった。
「わかってるわ、私がそのツアーガイドだから」
「……」

ポルト・フラーヴィアの鉱山入口

運がよかった。
それにしても、15分前に集合のはずのツアーのガイドが、10分前にこんなところにいるとは……。
そわそわしている私たちを見て、「大丈夫、私が行かないとツアーははじまらないから」
そりゃそうだ。

集合場所に着くと、彼女は係の人に遅刻を冷やかされているし、私たちはといえば、同じツアーの参加者からは「おお、間に合ったか」と笑われる。どうやら、車で私たちを追い抜いていった人たちらしい。それならば、必死の形相で急ぐわれわれを乗せてくれてもよかったのに……。

まあ、ともかくも、ツアーは10時5分にはじまった。
総員20名のほとんどはイタリア人。外国人はスペイン人2人と私たち日本人2人だけだった。

2022-08-27

ごく普通の町ドリアノーヴァを散歩

ドリアノーヴァの駅前を見わたしても、ごく普通の住宅が広がるだけ。
さあ、次の列車までの1時間をどうしようかと思い、スマホでGoogle先生に相談。
すると、歩いて10分ほどのところに聖パンタレオ聖堂という立派な教会があるらしい。

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だらだらと登り坂をいくと、なかなか立派な教会が目の前に現れた。
しかも、結婚式のようで、人が集まっているではないか。なにやら高そうなクルマも停まっている。

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しばらくすると、別のクルマがやってきて、ウェディングドレスに身を包んだ女性が、父親とともに教会に入っていった。
ほかにも、小さな教会を眺めたり、広場にたむろする親爺軍団と微笑みを交わしたりしながら、列車待ちの時間を有意義に過ごすことができた。

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さて、このサルデーニャ鉄道の路線だが、公共企業体arstに統合されて公的資金が投入されたためか、ご覧のようにレールも枕木もしっかりしている。曲線も改良されているようで、車窓からも取り残された古い線路跡をあちこちで見ることができた。
これだけ投資しているなら、廃止されることはないだろうと一安心した私であった。

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さて、乗った列車はゴッタルドから2つ手前のセッティモ・サンピエトロ止まり。ここでカリアリ行きに乗り換えろということであった。
前にも書いたように、カリアリからゴッタルドを経由してこの駅までは電化されており、トラムタイプの新型車が乗り入れている。

ホームで待っていると、やってきたのは新型のスペインCAF社製車両だった。いかにもサルデーニャという茫漠とした風景のなかで、都会風のトラムタイプの車両を見るのはちょっと不思議な感じである。

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新型車両は、行きの車両とは違って座席も多かった。

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ここで、1990年の同じ路線の写真を貼っておこう。
このときは、カリアリから終点のイージリまで通して乗ることができた。
返す返すも残念なのは、途中のマンダスから山脈を越えて東岸のアルバタックスまでの路線に乗らなかったことだ。
「世界でもっとも美しい車窓」ともいわれているその路線は、今も観光シーズンに特別列車が走っているので、ぜひ乗りにいきたいものである。

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最後の写真は、イージリに到着した列車である。Googleストリートビューを見ると、今でもほとんど変わらない姿で残っていることがわかる。
またぜひ終点まで乗ってみたいものだ。

2022-08-25

サルデーニャ鉄道の旧型車に乗車

サルデーニャ鉄道の旧型ディーゼルカーは、戦前に開発された軽量気動車「リットリーナ」の流れを汲む車両で、イタリア国内でも現役で走っているのは、もうここくらいになってしまった。線路の幅は950mmの狭軌だ。

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ゴッタルド駅を出たときには満員だった車両も、駅に止まるたびに客が減っていった。
トラムタイプの新型車両は、ゴッタルドから2つめのセッティモ・サンピエトロ(Settimo San Pietro)駅まで乗り入れており、そこまでは電化されているが、そこから先、終点のイージリ(Isili)まで60kmあまりは非電化区間となる。

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ところで、サルデーニャ島を走るバス、トラムなどは2008年に発足した公共企業体arst社(州政府が株主)に統合され、この路線を運営していたサルデーニャ鉄道(Ferrovie della Sardegna)も、2011年までに完全に統合されたそうだ。

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ゴッタルド駅を発車してしばらくすると家並みが途切れ、いかにもサルデーニャ内陸を感じさせる荒涼とした大地が車窓に広がる。
これは、牧草地とオリーブ畑。

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隣のボックスには、スケートボードを抱えたアメリカ人らしき若い男性が乗り込んでいた。
途中の小さな駅で降りていったのだが、何をしているのだろうか。

スケートボードの合宿か英語の先生か、勝手な想像をめぐらす私であった。

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乗った車両は途中のドリアノーヴァ(Dolianova)止まり。
ドリアノーヴァ駅まではほぼ1時間おきに走っているが、その先は3時間に1本ほど。今回は時間の関係で、そこから引き返すことにした。
イージリまでは1990年に乗ったことがあるし、今回は妻という同行者がいるので自重した。

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左が私たちの乗ってきたリットリーナ。
奥地からやってきたのが右側のディーゼルカー。こちらもグラフィティと呼ばれるペイントだらけだった。
緑深いドリアノーヴァ駅での交換風景である。
次の上り列車までは1時間ほど。それまでドリアノーヴァの町をぶらぶらすることにした。

2022-08-24

ローカル私鉄が軽快なトラムに変身

カリアリ滞在中には新装なったトラムに乗ってみた。始発駅は、中心部から500m以上離れたレプッブリカ(共和国)広場に面したビルの1階にあるレブップリカ駅だ。
1990年に訪れたときは、前回の記事で書いたように、私鉄サルデーニャ鉄道のディーゼルカーが1~2時間に1本ほど発車するだけだったが、2008年に途中駅までがライトレール化されて10分おきに発着している。

シュコダ社製車両

いかにも大都市郊外という平凡な沿線を約20分走って、上の写真のゴッタルド駅に到着した。
この車両は、2008年の開業当初から使われているチェコ・シュコダ社製車両である。
電車はここから写真奥の急勾配を越えて、2駅先のポリクリニコ駅に向かうが、大多数の乗客はここで下車。その一部は、昔ながらのローカル線に乗り換えて島の中部に向かうことになる。

トラムの路線図

これが車内に掲示されているカリアリのトラムの路線図。駅(停留所)間の所要時間も書かれているのが、昔のイタリアでは想像できない親切さだ。
赤で示されているのが1号線、青が2号線で、両者の乗り換え駅なっているのがゴッタルド駅。右から2つめだ。
右端がポリクリニコ駅で、この2駅間が2008年に新設された。それ以外の路線は、以前からあったサルデーニャ鉄道の路線である。

シュコダ社製車両の車内

開業当時から走るシュコダ社製車両の車内。座席が異様に少ない。
全車両が横向きシートだが、ロングシートではなくて個別の座席になっている。

CAF社製車両

ゴッタルド駅をぶらぶらしていたら入線してきた最新のスペインCAF社製車両。
実は、このゴッタルド駅近くには、かつての車両基地を転用したサルデーニャ島鉄道博物館があって、蒸気機関車を含む歴史的車両が保存されている。以前から訪問を楽しみにしていたのだが、何年も前から改装中のようなのだ。駅員に尋ねたが、やはりまだ開館していなかった。

旧型ディーゼルカー

博物館に行けなかった代わりに、時刻表を確認して、ライトレール化されていないローカル線に途中まで乗ってみることにした。
すでに16時をまわっていたので、通学の中高生がかなり乗り込んできた。
いざ、落書きだらけの旧型ディーゼルカーで島の中部へ出発である。

2022-08-23

1990-2019年 カリアリ定点写真

サルデーニャ島自体は10年ほど前に訪れていたが、カリアリは29年ぶり。そこで、例によって定点比較をしてみた。
1990年当時はイタリアの経済が大きく成長した時期で、カリアリも変化をはじめたころである。
それぞれ、上が1990年、下が2019年である。

1990年のコスティトゥツィオーネ広場

2019年のコスティトゥツィオーネ広場

まずは、先日紹介した城砦バスティオーネ・ディ・セイント・レミーの正面にあるコスティトゥツィオーネ(憲法)広場の定点比較から。
昔の写真のフィアットが懐かしい。前の車がフィアット・パンダ、後ろがフィアット126のようだ。

2019年になると、歩道が広くなって正面の道への車の進入が制限されていた。

1990年のコスティトゥツィオーネ広場

2019年のコスティトゥツィオーネ広場

そのコスティトゥツィオーネ(憲法)広場をバスティオーネ・ディ・セイント・レミーの上から見たところ。
トップの写真は、この左下にあたる。
街路樹は大きく成長したけれど、建物も道もそれほど変わっていないのは、ヨーロッパらしいところである

1990年のローマ通り

2019年のローマ通り

駅や港に近いローマ通り。デパートやカフェが建ち並ぶカリアリの表玄関である。
テーブルクロスも椅子も赤で統一されていたのが印象的だった。

2019年になると、シックな黒っぽい色に統一されていた。左の店は「カフェ・トリノ」という看板が掲げられている。やはりカフェといえばトリノが本場なんだと納得。

1990年のサトゥルニーノ大聖堂

2019年のサトゥルニーノ大聖堂

これは、6世紀に建設がはじまったというBasilica di San Saturnino(サトゥルニーノ大聖堂)。
歴史的、文化的に重要な教会であるが、第二次世界大戦中に爆撃されて損傷を受けたという。イタリアのガイドブックに書かれていたので訪ねてみたが、修復も進んでおらず、観光スポットという感じではなかった。周囲に車が雑然と停められている。
2019年に訪ねてみると、周囲も含めてきれいに整備されていた。

1990年のサルデーニャ鉄道カリアリ駅

2019年のカリアリ・レプッブリカ駅

最後の写真は、カリアリ市内で一番変わったと思われる場所。
中心部から離れたレプッブリカ広場の片隅にサルデーニャ鉄道のカリアリ駅があり、1990年当時は、島の中央部に向けてディーゼルカーが1~2時間に1本しか運転されていなかった。

その後、イタリア鉄道を除く島内の公共交通は公共企業体arstに統合され、カリアリの近郊区間はトラム(ライトレール)に姿を変えた。
スマートな車両が、なんと10分おきに発着していた。現在、かつての線路を復活させてカリアリの中心部(鉄道駅や港)に向けた路線が建設中である。

2022-08-22

週末のカリアリで晩メシ難民に

カリアリを甘く見ていた。晩メシの場所に苦労するとは思ってもみなかった。
もっとも、日本ではあまり知られていない町ではあるが、れっきとしたサルデーニャ州の州都であり、観光スポットも数多い。
コロナ禍の前の土曜日、夜の中心部は観光客と地元の人であふれていた。

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妻のイタリア人知人から、おいしい店の情報を何軒か得ていたが、とても予約なしでは入れない。
路地から路地へと30分ほどさまよい、何軒もの店に断られたのちに目に入ったのが、ムール貝のイラストを描いた店。
「La Cozzeria della Marina」(ラ・コッツェリーア・デッラ・マリーナ)と記されていた。cozzeはムール貝のこと。ムール貝専門店らしい。こざっぱりしておしゃれな店だった。
ダメでもともとと聞いてみると、外のテーブルが空いたからすぐに片づけるという。

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こうして晩メシにようやくありつくことができた。
ムール貝は好物なのだが、隣のテーブルを見て驚いた。大きなフライパンのような容器に、ムール貝が山のように盛られている。
しかも、その下に恐るべきほどのスバゲッティがある! メニューを見ると500gと書かれていた。
バケツに入った山盛りのムール貝はベルギーで見たことがあったけれど、それにパスタが加わる恐怖の一皿である。
「こりゃ、とてもじゃないけど2人がかりでも食えない!」

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そんなわけで、パスタ抜きのムール貝を2人でシェアしたわれわれであった。飲み物は白ワイン。
「それだけじゃ申し訳ないような気がするなあ」とタコのフリットを注文したのだが、これがまたデカい足であった。
例のスパゲッティ入りムール貝は、さすがのイタリア人も難儀しているようで、上の写真の男性も残していたほどだった。

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そんな店に閉店近くまで粘っていたら、やはりムール貝と格闘していた隣席の女性2人と仲よくなった。
とくに中央の女性がおもしろい人で、今はどこかの企業の秘書をしているが、少し前まで修道女をしていたのだという。
どんな会話を交わしたかよく覚えていないが、ずっと笑っていた記憶だけはある。イタリア語を習っていてよかったと思うのは、こんな瞬間だ。
彼女とはFacebookの友だちとなって現在に至っている。

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翌日は、前夜の失敗を反省して、早めに店の予約を入れることにした。
魚料理がうまいという「Su Cumbidu Mare」(ス・クンビドゥ・マーレ)という店である。ちなみに、Suはサルデーニャ語の定冠詞だ。

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翌日からは内陸に向かうので、2日連続だが海の幸を満喫。前菜、パスタも食べて、メインの皿がこれ。
上のほうにある魚はスズキだったかな。中央のステーキはマグロ。
焼き具合はレアで味付けもさっぱりめで絶品! こんなうまいマグロのステーキは日本でも食べたことがなかった。
そして、アルト・アディジェ(南チロル)から来たという隣席のご夫婦と、この日も盛り上がってしまった。

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店の外に看板があったので、外で食べている人といっしょに記念撮影。

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最後の写真は、地元サルデーニャでつくられているビール「Ichnusa」(イクヌーザ)。サルデーニャでは、こればかり飲んでいた。
左が通常の製品で、右は無濾過と書かれている。好き好きだろうけど、無濾過のほうが味が濃くて好みだった。
ラベルのデザインは、サルデーニャの旗をベースにしている。

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