2016-06-18

埼玉県 上尾の町並み

最近は忙しくなって、なかなかぶらぶら歩きができず、仕事で出かけたついでの散歩くらいしかできないでいる。
そんないきさつで訪れた町の一つが埼玉県の上尾である。

上尾というと、首都圏の人間にとってはベッドタウンというイメージしかないかもしれないが、かつては中山道の宿場町でもあったから、味わい深い一角でも残っているかもしれない。
そんなことを妄想しつつ、上尾で所用を済ませたのち、まだ日が出ていることもあって、駅の周辺から中山道まで歩いてみたのである。予習もなにもしていない、まさに行き当たりばったりのぶらぶら歩きだ。

上尾駅北側

駅のまわりはすっかり新しくなっているが、東口を出て100mほど北に歩くと、看板建築の商家が並ぶ、昔ながらの商店街があった。
踏切も健在で、高崎方面に向かうE233系電車が通りすぎていった。

上尾駅北側

最初の写真から90度左方向を写したのがこの写真。電柱には上尾1-1と記されている。
右側の道を100mほど歩くと駅にたどりつく。
角の店は「有限会社 文栄堂」で、事務用品店らしい。店頭には印鑑の陳列塔というべきものが据えられている。
左の高橋理髪店とは棟割長屋になっているようだ。

中山道上尾宿あたり

次に旧中山道に出てから駅を横目に見ながら南下。
上尾宿の案内板もあったのだが、どうやら何度かの大火に加えて、ベッドタウン化によって昔の面影はほとんどなくなってしまったらしい。
それでも、ぶらぶら歩いていると、まずまず古い家が目に入ってきた。

中山道上尾宿あたり


はたしていつの時代まで遡ることができるかわからないが、中山道沿いでこうした家を3、4軒見かけた。

そして、おそらく昔は町外れだっただろう場所にあったのが、下の愛宕神社。
新しい住宅が並ぶなかに、忽然として現れる。
柵もなく、開放的なところが気持ちいい。
境内には1722年建立という小さな庚申塔があった。

中山道上尾宿あたり


このあたりまで歩くと、戻るのも億劫なので、約10分おきに走っている大宮駅行きのバスに乗車した。
そのまま大宮まで乗っていればよいものを、宮原を過ぎたあたりで大宮まで走っているニューシャトルの駅が見えてきたので、発作的に下車。帰宅ラッシュのニューシャトルに乗ったことを後悔しながら、帰途についたのであった。

2016-05-22

大阪 1980年の南海平野線と現在の今昔比較写真(2)

前回の最後の写真の道を抜けると、平野線の軌道跡は遊歩道になる。
道にはレールと枕木をイメージさせる模様がついていて、なかなかニクい演出だ。
密集した住宅の間を、ゆるやかなカーブを描いて走るのだが、周囲には木々の緑が濃く、晩春の夕方の散歩にはうってつけである。

途中には小さな広場があり、平野線の電車が描かれていたり、平野線の歴史を記した看板が立てられていたりして、廃止から35年以上たっても周辺の人たちには忘れられない存在なのだろうか。

平野線のイラスト

広場にあった小さな丸いベンチの屋根は、平野駅舎の8角形の屋根を形どっていて、マニア度も高い。

そして、まもなく平野駅跡へ。
1979年に来たときに見た平野駅は実にユニークだった。

1980年の平野駅1番線

恵美須町行きと天王寺行きは別のホームから発車するのだが、この2つの乗り場がほぼ縦に並んでいた。これは、恵美須町行きの1番線ホームを平野駅舎側から見たところ。
天王寺行きは、この左側にある線路を通って駅舎に近い2番線ホームに入る。狭い土地を有効利用して、こういう形になったのだろうか。

現在は、下の写真のような感じ。

2016年の平野駅跡

そして次は1番線ホームから2番線と駅舎を見たところ。駅舎はネコの額ほどで、そこを通り抜けるとすぐに商店街に出る。
まさにこの駅舎の屋根が8角形でユニークだったのだが、写真に取り損ねてしまった。
当時、私が持っていたレンズでは、駅前の道を精一杯下がっても全体を写し込めなかったのだ。
今思えば、それでも一応撮っておけばよかった。すべて後の祭りである。

1980年の平野駅ホーム

そして、同じ場所(たぶん)から撮ったのが下の写真。
古いレールを組んだ柱が見えるので、もしや昔のホームの柱を保存しているのかとも思ったが、古い写真と見比べてみると、そうでないことがわかる。
となると、このためにわざわざ作ったのか。これまたニクい演出である。
ちなみに、歩道に描かれたレールと枕木の模様では、到着ホームに2つ乗り場があったように見えるが、これはご愛嬌である。

2016年の平野駅ホーム

遊歩道を出てJR平野駅まで歩いていこうと思ったが、ちょっと距離がありそうなので、地下鉄の平野駅へ。
途中にある商店街は、なかなか味わい深かった。
街並みの写真も何枚か撮ったのだが、これはそのうちの1枚である。

平野の商店街


これで、このときの旅の写真はひとまず完。

2016-05-15

大阪 1980年の南海平野線と現在の今昔比較写真(1)

天王寺で阪堺電車の今昔写真を撮り終えたが、まだ時間がたっぷり残っていたので、かつて平野線が走っていた平野終点あたりまで足を伸ばしてみようと思いついた。

昔の写真はスキャンしてデジタル化し、クラウドに保存してあるので、いつでも呼び出して比較できるのである。
当時は想像もできなかった技術の進歩だ。

北田辺駅前

天王寺から地下鉄に乗ればすぐなのだが、それではおもしろくないので、バスで向かうことにした。
ところが、道路は混んでいるし、ずいぶん遠回りをしているようなので、途中から近鉄南大阪線に乗り換えて平野近くまで行くことにした。

北田辺駅前

おかげで、こんなときでもなければ歩くことはないだろう東住吉区のぶらぶら散歩を体験できた。
上2枚の写真は、北田辺駅前。このあたりには、なかなか趣深い商家があった。
古い家屋と商家の組み合わせというと、東京では看板建築が圧倒的なのだが、こちらではなんとも表現しがたい複雑な加工がほどこされていた。

その後も、あっちへ行ったりこっちへ来たりと、気ままに迷いつつ、ようやく日が暮れる前に平野にたどりついた。

西平野停留場1980年


上の写真は、廃止直前の1980年8月に撮影した西平野停留場。車両は239号車。味わい深い光景で、気に入っている写真の1枚だ。
どの停留場で撮ったのか、ずっとわからなかったのだが、グーグルストリートビューで探していたある日、左に写っている今村電化のビルが当時のままで今でも営業していることを見つけた。

西平野停留場跡の公園

今では公園になっており、時あたかも桜が満開の時期。夕暮れの温かい風のなかで、地元の人がのんびりと桜をめでていた。
今村電化のビルは桜の陰になっているが、看板にあるパナソニックの青いロゴがちらりと見えている。
公園のコンクリートの塀には、かつてここに平野線が走っていたことが記されていた。

西平野停留場跡の公園

次の写真もまた、どこで撮ったのかわからなかったが、去年かおととしになって西平野~平野間であると判明した。恵美須町からやってきた245号車が、まもなく平野終点に到着するところだ。

写真を拡大してみると、車掌が後ろの窓から顔を出して私のほうを見ていることがわかる。
それにしても、大阪市内とは思えない牧歌的な情景!

西平野~平野1980年


現在、軌道敷はカラオケ・ビッグエコーのビル(手前)やアパート(奥)に変わっていたが、この道の突き当たりにあるお宅が健在であった。

西平野~平野の現在


平野駅付近の探訪はまた次回。

2016-05-06

大阪 天王寺と阪堺電車の今昔比較写真(2)

前回の続き。
天王寺からあべの筋を南下して、最初の大きな交差点が阿倍野交差点。
ここで、かつては平野線(1980年廃止)と上町線が交差していた。

阿倍野交差点1979年

この写真は、1979年3月に交差点から西側を撮ったもの。写真の右側が、天王寺駅方面である。
正面に見える電車(249号車)は、恵美須町からやってきて平野に向かう系統。
手前の電車は、平野から来て、阿倍野交差点で右折して天王寺に向かう系統である。

阪堺電車というと、やっぱりこの色がいいなあ。
古い車両にはこの重厚な緑色が似合う。ドアと窓枠が茶色なのもおしゃれ。

阿倍野交差点2016年

現在、上町線は元気に走っているが、平野線はこれを撮った翌年に廃止になってしまった。

次の写真は、阿倍野交差点から100mほど西に行ったあたり。
これも同じく1979年3月に撮った平野線の電車(151号車)。
バックの低層の商店が時代を感じさせる。

阿倍野交差点付近1979年

そして、上の写真から37年。周辺はすっかり変わってしまったが、阪神高速(14号線)だけは昔のまま上を走っている。

阿倍野交差点付近2016年

次の写真は、天王寺駅前に到着寸前の電車(122号車)。方向幕は、すでに折り返し後の「住吉公園」に変わっている。
これを撮ったのは1980年1月。大学3年生の冬である。就職はしないことに決めていたので、のんきに南紀をめぐっていた。

天王寺駅前1980年

そして、これが同じ場所の2016年。道路が手前側に拡幅されたので、まったく同じ場所で撮ろうとすると車に轢かれること必定である。
背景中央の緑色の建物が、あべのハルカス。

天王寺駅前2016年

最後にもう1枚おまけ。天王寺駅に隣接する近鉄南大阪線阿部野橋駅の1979年の姿である。
バックの近鉄百貨店阿倍野本店が、現在のあべのハルカスがある場所。

近鉄阿部野橋駅1979年


当時は、駅を出たすぐのこんなところに踏切があった。
今回は、せめて近い場所で写真を撮れないかとうろうろしたが無理だった。電車内から撮ればいいのかもしれない。

2016-05-03

大阪 天王寺と阪堺電車の今昔比較写真(1)

大阪に来ると、いつも立ち寄っていたのが天王寺界隈である。
東京・下町に生まれ育った人間にとって、このあたりは居心地がよく、ぶらぶら散歩するのが楽しかった。

ところが、ここ数年の天王寺付近の変貌はあまりにも激しい。
きれいな建物ができて喜んでいる人も多いだろうが、昔の情緒ある町並みが懐かしい。

あべのハルカスと阪堺電車

あえてよかった点を挙げれば、阪堺電車(阪堺電気軌道)の乗り場への移動が楽になったことと、道路拡幅にともなって阪堺電車の線路が移設される予定で、おそらく乗り心地もよくなるだろうということか。
上の写真は、阿倍野交差点から天王寺駅方面を見たところ。あべのハルカスをバックにして、阪堺電車の旧型電車を撮ることができた。

あべのハルカスから見た阪堺電車

そして、これはその逆。つまり、あべのハルカスからあべの筋を見下ろしている。よーく見ると電車が走っているのが見える。
最初の写真を撮ったのは、高速道路の下にある交差点の右上角あたり。


この辺りでは、昔にも写真を撮っているので、例によって定点写真を撮影を敢行。
まずは、1979年の山陰旅行の帰りに立ち寄ったときの写真から。
この写真の右手前が、阪堺電車(当時は南海電鉄の軌道線)天王寺停留場(終点)を経て国鉄天王寺駅に至る。

1979年の天王寺

現在は、道幅が約2倍に拡幅されており、しかも向こう側(西側)に拡幅されているので、この写真に写っている建物の面影はまったくない。

2016年の天王寺

もう1枚は、2006年に撮影したあべの銀座の様子。
阪堺電車天王寺停留所の西側にあった商店街である。
場末感漂う素晴らしい雰囲気だったのだが、残念ながら再開発によって跡形もなくなってしまった。

2006年のあべの銀座

もっとも、昔からあった店のいくつかは、再開発後に建てられたビルにも入居しているようだ。
ずっと行きそびれているグリルまるよしも、新しい店舗で営業していた。

2016年のあべの銀座跡

次回も、天王寺付近の今昔写真をお届けします。

2016-05-02

大阪 鶴橋駅周辺をぶらぶら歩く

多忙のため、しばらくごぶさたしてしまいました。
4カ月にわたって全力を尽くして連載していたシベリア鉄道横断記も無事に終わり、しばらくシベロスに陥っていたのに加えて、たまっていた仕事を片づけるのに時間がかかってしまいました。

世の中はすでに大型連休に入っていますが、ブログ再開のリハビリとして、4月上旬に訪問した大阪での話から。

鶴橋駅改札口付近

新大阪駅のすぐ北にある江坂あたりで仕事があったのは4月5日のこと。
昼過ぎに仕事は終わったのだが、日帰りするのももったいないので、自腹で宿をとって大阪散歩。
こんなことができるのは、フリーランスの特典である。

鶴橋駅改札口付近

まず向かったのが、鶴橋。
同じ大阪環状線の駅でも、京橋や天王寺周辺が垢抜けしてしまったのにくらべて、ここはまだまだディープな雰囲気が楽しめる。
なにより駅の改札を出ると、どの方向に行くにも薄暗い高架下を歩かなくてはならないのが不気味でおもしろい。
東京付近で現在これに匹敵するのは、かなり規模は小さいけれど、鶴見線の国道駅くらいか。

鶴橋駅前の商店街

駅前広場という概念を打ち破る狭苦しい場所には、売店、立ち食いうどん・そば屋、本屋、喫茶店などが軒を連ねている。
そこから、一番賑やかそうな方向にあるのが、アーケードの「鶴橋商店街」。狭い道の両側には、主に朝鮮・韓国食材の店が建ちならんでいる。

鶴橋駅前の商店街

東京の上野にもコリアンストリートのようなものはあるが、比較にならない賑わいである。
それに東京では日韓、日朝の微妙な関係といったうっとうしいことを意識してしまいがちだが、ここ鶴橋は少なくとも旅行者の無責任な目からは、とってもおおらかなので救われる。

鶴橋駅付近

これまでの訪問と違って、今回は欧米系の観光客が目立った。
商店街をぶらぶら歩いていたり、ベンチに座ってソフトクリームなんかを食べていたりして、ちょっとした国際的な観光地である。
彼らにとっては、私が南イタリアに行ってアルバニア人やギリシャ人の末裔が住んでいる村を見て喜んでいるような感じなのかもしれない。

鶴橋駅付近

日が出ているうちにもう少しまわりたいので、カウンター式の焼肉屋に入りたいのを我慢して、私は再び大阪環状線の客になるのであった。

2016-01-04

2016年 明けましておめでとうございます

新年、明けましておめでとうございます。

去年は意外な展開がいろいろと起こって、突然の多忙に陥り、更新もままならずに申し訳ありませんでした。
今年は、なんとか少しずつでもアップしていこうとと思っています。

シベリア鉄道の車窓

写真は、なんとかの一つ覚えですが、昨年9月に乗ったシベリア鉄道の車窓です。
「日経ビジネスオンライン」の連載ももう少し続きますので、お時間のあるときにご笑覧ください。

2015-11-30

「30年の時を超える 大人のシベリア鉄道横断記」連載開始

前回の書き込みでお知らせしたように、「日経ビジネスオンライン」のサイトにおいて、9月に行ったシベリア鉄道旅行記の連載がはじまりました。

全体のタイトルは、「30年の時を超える大人の シベリア鉄道横断記」。
第1回の今回は、「ウラジオストク発、9288キロの旅へ」です。

ハバロフスク~イルクーツクの車窓

週1回くらいのペースで10回あまり続く予定です。
シベリア鉄道の車内・沿線の様子のほか、下車した町の様子(30、34年前との定点比較写真あり)も紹介していますので、お時間のあるときにご覧ください。

「日経ビジネスオンライン」は、掲載直後は誰でも見られます。
会員登録は無料。一定期間が過ぎると、2ページ以降は会員しか見られなくなリます。

2015-10-05

シベリア鉄道に乗ってきました

また更新が滞ってしまいました。
昨年のシチリア旅行の公開途中でしたが、2015年9月13日から28日まで、妻とともにシベリア鉄道に乗ってロシアをめぐってきました。私にとっては30年ぶり、3回目の乗車です。
仕事も多少からんでいて、旅行記はとあるサイトで公開する予定です。公開の際には改めてお知らせします。
また、公開後には、ブログで詳しい旅行記を書くつもりでいますので、しばらくお待ちください。
取り急ぎ、ご報告まで。

ウラジオストク駅

ウラジオストク駅。軍港だったために、かつては外国人が入れなったウラジオストク。
いまでは、駅で写真の撮り放題というのも時代の流れかなと。
成田からたったの2時間の場所に、こんなヨーロッパのような町があるのは感動的でした。

シベリア鉄道の車窓から

ハバロフスクからイルクーツクへ向かう車窓で。
こんな小さなシベリアの駅にも停車。

シベリア鉄道の車窓から

ハバロフスクからイルクーツクへは、最後尾に近い車両だったので、カーブがあると前方の車両を見ることができました。

イルクーツク中心部

イルクーツクでは30年ぶりに町のなかを散歩。
当たり前だけど、ソ連時代とはずいぶん変わっていました。
これは、イルクーツクの銀座通りともいえるカルラ・マルクサ通り。

ピロシキの車内販売

食堂車でつくったピロシキを、朝昼に車内販売してくれるお姉さん。
さすがに、今回はウラジオストクからモスクワまでの直行は避けて、ハバロフスク、イルクーツク、ノヴォシビルスクで途中下車してきました。

1等車コンパートメント

今回の旅では、2人部屋の1等車も、2段ベッド4人部屋の2等車も乗車。
1等車はのんびりできたし、2等車は同室の人たちとやりとりできたし、それぞれ意味がありました。
これは1等車の車内。
ちなみに、ウラジオストク~ハバロフスクは1等車で11時間、ハバロフスクで1泊、ハバロフスク~イルクーツクが2等車で60時間、イルクーツクで2泊、イルクーツク~ノヴォシビルスクが2等車で32時間、ノヴォシビルスクで1泊、ノヴォシビルスク~モスクワが48時間という旅でした。

シベリア鉄道の車窓

ネットで見ると、シベリア鉄道の車窓は単調で飽きるという人がいますが、まったく飽きることがありません。
森林の様子も変化があり、ときどき現れる村や町に目を奪われていました。

赤の広場

そして、モスクワは30年前とは大変化。
パリやローマにも勝るとも劣らない美しさと賑わいに満ちた町となっていたのです。
深夜の赤の広場が、これほどライトアップされて、人で賑わっているなんて。

2015-09-07

趣深いシチリア南岸のバスの車窓

旅から帰ってきて印象に残っている光景というのは、目をこらしながらじっくり歩いた町の様子や、町のバールやレストランで出会った人びととの交流はもちろんなのだが、一つの町から次の町までの移動の間に、車窓から見えた名前も知らない町の風景だったりする。

とはいえ、バスの窓から見えるのは一瞬だから、旅から帰って時間が経つと、だんだんと記憶が薄れていくのが普通である。
だが、それがなんとなく惜しいと思い、最近ではバスの先頭に陣取って、印象的な町の風景を撮るようになったのだ。
今回は、そんな写真のいくつかを紹介したい。

パルマ・ディ・モンテキアーロ

2014年9月19日は、アグリジェントからモディカ(Modica)まで、100km以上の移動となった。
まずは、アグリジェント11時発、SAL社のバスでリカータ(Licata)へ。
その途中にあったのが、パルマ・ディ・モンテキアーロ(Palma di Montechiaro)という丘上の町。
上から順に3枚の写真がそれである。

ちなみに、生ハムやチーズで有名なエミリア・ロマーニャ州のパルマとは関係がない。あちらの綴りは、Parmaだが、こちらは「手のひら」と同じPalmaである。

パルマ・ディ・モンテキアーロ

国道を左折するとまもなく、バスは急坂を登る。そして、とても大型バスが通るとは思えないような狭い道を、右に左に曲がると、いきなり目の前に上の写真のようなシチリア・バロック洋式の見事な教会が現れた。

帰国してから調べてみると、聖母教会(キエーザ・マードレ)とのことで、現在は手前の部分が工事中だが、本来は教会前に階段があって、それはそれは素敵な空間のようだ。

パルマ・ディ・モンテキアーロ

そして、再び狭い道を左右に曲がった末にバスが停車したのが、この小さな広場。
これもあとから調べたのだが、この町の人口は約2万4000人というから、結構な規模である。

でも、本当に狭い道ばかり。そして、中心のバス停が、この味わい深い小さな広場というのが興味深かった。次回は、ぜひ途中下車して再訪したい町である。

リカータ

アグリジェントから1時間、ちょうど12時に到着したのがリカータの町。こちらは、街道が町を貫いているので交通量の多い広い道もあり、もちろんバスターミナルもある。
とくに観光地があるわけではないが、港もあってそこそこ町は賑わっている。
こんな町にマフィアが多いんじゃないかな、とふと思った。もっとも、それはあくまでも私の想像なので、軽々に信用しないように。

さて、ここから鉄道に乗れば、ジェーラ(Gela)乗り換えで、今日の目的地のモディカ(Modica)まで行けるはずなのだが、駅に行ってみるとやはり列車はバス代行になっていた。
必死になって貼り紙を解読すると、代行バスの停車場は駅近くの表通りにあるというのだが、はたしていったいどこにあるのか。

リカータのバスターミナル

あっちのバールで聞き、さっきのバスターミナルに戻って聞いたのだが、どうも要領を得ない。
もっとも、代行バスじゃなくて、通常の路線バスもジェーラ行きがあるので問題はないのだが、この代行バスに乗れば、ジェーラで確実にモディカ行きに接続できるのだ。
路線バスのジェーラ行きは、ジェーラでの接続時間が15分しかないので、イタリアでは非常に不安なのである。

どうやら、駅にたたずんでいた南インド系と思われる青年も、この代行バスに乗るらしいことを突き止めて、奇跡的に代行バスを見つけることができた。
それは、言われなくては絶対に気づかないミニバス……というよりもワゴン車であった。確かに、小さく代行バスの貼り紙がしてあったが……。

ミニバスの乗客は、結局われわれ2人とそのお兄さんの3人。そこに、運転手1人と車掌役1人がいて、総勢5人。狭い車内に大きな荷物を持ち込んで身動きがとれなかったので、残念ながら写真を撮る余裕がなかった。
でも、茫漠とした野原を、イタリア人の運転手と車掌、南インド系の青年、日本人夫婦を乗せたミニバスが疾走していく様子は、今も瞼の裏にしっかりと残っている。

コミゾ

さて、ジェーラに着いたら一安心。ここからは、7年前にバスでモディカまで乗ったことがある。
前回は工事のために代行バスになってしまったが、今は列車が走っているので、今回こそはラグーザ~モディカの雄大な車窓が眺められるぞ……と期待していた。

ところがである。何の因果か、私たちの乗る14時24分発の列車は、またもや代行バスになってしまった。
なぜか、また工事のためらしい。どうやら、列車に確実に乗るには、朝夕の通勤通学の時間に来るのが正解のようだ。
ちなみに、乗換時間がないために避けたリカータ発の路線バスだが、きちんと時刻通りにジェーラに着いたようで驚いた。
まあ、いいか。ミニバスでおもしろい体験ができたし、ジェーラ駅の構内のバールでゆったりとワインを飲むことができたから。

モディカ


というわけで、残念ながらまたバスなのだが、まあこれはこれでおもしろい。
代行バスの運転手は、国道で一直線にラグーザやモディカに行く道は知っていても、いちいち途中駅の駅前に立ち寄るルートは不案内らしい。
国鉄(イタリア鉄道)の社員らしきおじさんがそばについて、「次の道を左」だとか「駅に客が待っているかもしれないから、クラクションを鳴らしてみて」とアドバイスしている。

どこかの町だったか、とうとうそのおじさんも道に迷ってしまったようで、旧市街の狭い道で立ち往生。近くにいた車の運転手や地元の人に道を聞いていた。急がない旅なので、こんなのを見ているのもおもしろい。

モディカ


ジェーラ出発時には20人近くいた乗客も、一人降り、二人降りして、コミゾを過ぎるともう私たち2人だけ。
ラグーザからモディカに向かう雄大な景色を、のんびりと眺めることができた。

終点のモディカ駅は町外れ。田舎の路線バスならば、たいていどこでも途中で降ろしてくれるのだが、国鉄代行バスはそうはいかない。その日に泊まる宿の前をすーっと通りすぎて、坂下に位置する駅に16時20分すぎに到着した。

最後の写真は、モディカ駅前でバスの運転手をパチリ。お疲れさまでした。

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