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2015-02-18

長良川鉄道 美濃市駅

先週末は、岐阜県の美濃市へ。
名古屋からは、高速バスなら乗り換えなしだが、高山本線の特急「ひだ」に乗って美濃太田乗り換え、長良川鉄道を利用すれば、接続のいい便を選ぶと高速バスよりもかなり速い。

美濃市訪問は以前にも書いたことがあるが、今回も小坂酒造の蔵開き訪問をメインにした旅である。

美濃市駅のホーム

美濃市の様子を紹介する前に、欠かせないのが長良川鉄道の美濃市駅である。
長良川鉄道は、かつて国鉄の越美南線(えつみなんせん)だったが、赤字ローカル線廃止の対象となってしまい、第三セクターの鉄道として再出発した。

美濃市駅のホーム

越美というのは、越前と美濃を結ぶ路線という意味。
だが、岐阜側にある越美南線と、福井側にある越美北線はついにつながることはなく終わってしまった。
昔は、越美北線の終点である九頭竜湖と越美南線の終点である北濃を結ぶバスが通っていたが、いつのまにか廃止になってしまったようだ。

昔ながらの美濃市駅出札口と改札口

私は、1982年に福井駅から越美北線、バス、越美南線と乗り継いで、ここ美濃市駅で降りた……はずなのだが、記憶がかなりあやふやである。
なにしろ、例によって夜行続きの強行軍の旅だったもので、半分寝ている状態だったに違いない。

美濃市駅前

今の長良川鉄道は、もちろん車両も国鉄時代とはことなり、駅もずいぶん改良されている。
だが、ここ美濃市駅は昔のまま……だと思う。あまり記憶にないのだが。

木造のホームの出入口、改札口に続く通路、昔ながらの駅舎などなど、今ではどれも珍しい存在だ。
しかも、有人駅である。きちんと手入れされているところがよい。
そして、駅員さん(当然駅長さんだろうが)が出札口で発行してくれる切符は硬券だった!

名鉄美濃駅跡


美濃市といえば、1999年までは名鉄美濃町線が通じていた。
長良川鉄道の美濃市駅から、名鉄の美濃駅までは歩いて5分ほど。
1982年の旅では、ここで乗り換えたことになっている。
確かに、名鉄の駅舎はクラシックでいい雰囲気だったのは、かすかに記憶にあるが、あとは駅に停まっていた電車の写真を1枚撮っただけなのが残念である。

名鉄美濃駅跡


でも、廃止後もうれしいことに、駅舎が保存され、駅の跡には車両もきれいに保存されている。
左端の電車(旧・札幌市電→名鉄美濃町線)は、正面部分だけのカットなのだが、連接車のために車体が長すぎてホーム跡には収まらなかったのかもしれない。

2015-02-12

見事な蔵造りの町並み: 宮城県村田町

2月2日の月曜日に、岩手県北上市で仕事があったので、せっかくだからと前日の日曜日から東北入りをすることにした。
同行の人たちは東京から日帰りなのだが、それじゃもったいない。
しかも、2日まではJR東日本の「大人の休日倶楽部パス」の有効期間に入っている。
交通費も安くなるわけで、仕事を依頼してくれた人にも偉そうにできるというわけだ。

宿泊地として決めたのは仙台。どうせ乗り放題の切符なのだから、青森か盛岡まで行きたかったのだが、翌日に雪で鉄道がストップしたら目もあてられない。というわけで、北上より東京側にある仙台に決めた。

村田町の蔵造りの町並み

せっかく1日まるまる空いているのだから、仙台市内から少し足を伸ばしてみようと思って選んだのが、20kmほど南東にある宮城県柴田郡の村田町。
蔵造りの町並みがあるというので、仙台駅前から約1時間おきに出ている高速バスに乗った。

バスは東北自動車道経由で約30分ほど。村田町役場のバス停で下車すると、広い県道に並行して、1本入ったところに蔵の町並みがあった。
村田町の蔵造りの町並み「田島屋酒店」

まったく知らなかったのだが、この町並みは、昨年秋に宮城県初の「重要伝統的建造物群保存地区」に指定されたのだそうだ。だが、真冬のためなのか、日曜日なのに観光客の姿は見えない。
日陰の凍りついた道を慎重に歩きながら、なまこ壁を配した見事な蔵づくりの商家の数々を写真に収めた。
トップの写真は、乾坤一(けんこんいち)で知られている(らしい)、造り酒屋「田島屋酒店」の建物である。

東北地方には、現在の東北本線にほぼ並行する奥州街道と、奥羽本線にほぼ並行する羽州街道という2本の大きな街道があるのだが、この村田町はその2本を結ぶ街道沿いに発達し、交通の要衝として栄えたのである。完全な受け売りだけど。

村田町の蔵造りの町並み

ところが、明治以降の村田町は鉄道の線路から外れてしまったために、よくも悪くも昔の姿を残したまま、いままで残ったというわけである。

でも、あと20年くらい前に来ていれば、さらに町並みも見事だったんだろうなあ。
今では、あちこちに櫛の歯が抜けたように更地が残っているのが痛々しい。
商店街だったようなのだが、ほとんど歩いている人を見かけなかったのも寂しいところである。
とはいえ、蔵造り以外の商店にも、町歩き好きの人間には興味深い建物が並んでいて楽しかった。

村田町


中心部のメインストリートは1km弱なのだが、そのうち蔵づくりが集中しているのは500mほどか。
私が勝手に名付けた、この「村田シャンゼリゼ」を1往復半ほどぶらぶらして、町並みめぐりは終えることにした。

近所に有名なお寺もあるらしいのだが、風が冷たくて体がすっかり冷えてしまった。
しかも、歩道がない道の端は凍結しているうえに、車が次々にやってくるのだから、のんきに写真なんぞを撮っているつもりでも、ときに身の危険を感じる。

村田町


本来だと、町並みを探訪するときは、必ず喫茶店か食堂か資料館に入って、地元でカネを使うことを旨としているのだが、開いている店もほとんどなく、次の帰りのバスの時刻が迫っていたので、申し訳ないけれど、写真だけ撮って仙台に戻ることにした。
その代わりといってはなんだが、こうしてブログで取り上げて、多少なりとも宣伝をしたつもりでいる。

ところで、町への交通は、仙台からの高速バスのほか、東北本線大河原駅と結ぶバスの便もある。
本当はこれに乗って帰りたかったのだが、日曜日は本数が少ないので断念した。

2015-02-11

トークショー御礼

2月8日、秋葉原の書泉ブックタワーにて、『鉄道黄金時代 1970's』のトークショー(トークイベント)をやってきました。
小雨降るなか、約40人の方に来ていただきました。
私のホームページ、ブログを読んでいらっしゃった方もあり、感謝いたします。
恥ずかしながら、そのときの写真も掲載。ただし、小さく。

トークショー

東京の古い町、イタリアの小さな町(2人)はやったことがあるのですが、鉄道関係ははじめて。
みなさんが、あまりにも真剣に聞いてくれるので、最初のうちはかえって緊張してしまいました。

当日は、たくさんの写真を見せようとするあまり、いろいろと用意したエピソードを明かすのを忘れていました。
急行八甲田や十和田に乗ると、盛岡を過ぎたあたりで青函連絡船の乗船名簿が配られたとかなんとか。
もっとも、予期せぬところで笑いが出たりして、いろいろと勉強になりました。

最後に、偉そうにサイン会まで。

トークショーサイン会

当日は、編集者、営業担当がいる前で、続編を期待する声が多く出たのは有意義でした。

そうそう、会場には、本にも登場する中学鉄道研究会の1年先輩(高崎第一機関区に連れていってくれた人)が来てくれました。卒業以来、なんと40年ぶり!
昔のことがいろいろと思い出されて、しみじみとしたひとときでもありました。

2015-01-20

鉄道本トークショーのお知らせ

恥ずかしながら、昨年末に出した鉄道本『鉄道黄金時代 1970's ディスカバー・ジャパン・メモリーズ』についてのトークショーをすることになりました。

日時:2月8日(日)15時~
場所:書泉ブックタワー(東京・秋葉原)
https://www.shosen.co.jp/event/8930/

参加はもちろん無料です。定員は50人ほど。
まだまだ席は残っているそうなので、お時間のある方は暇つぶしにどうぞ。

名寄本線沙留付近

何を話すかはまだ決まっていませんが、スライドを使い、本に掲載しなかった写真も含めて、撮影裏話、当時の昔話をすることになると思います。
お聞きになりたいという奇特な方は、上記リンクから書泉に予約をしてくださいませ。

2015-01-01

明けましておめでとうございます

新年明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いいたします。

大分・杵築

昨年後半は、新しい本の出版などで多忙となってしまい、なかなか更新できずに失礼しました。
イタリア旅行記も途中で、しかも昨年行った四国や九州の写真も紹介できていない状況ですが、気長にお付き合いくださいませ。

写真は、昨年訪れた大分県の杵築市です。

2014-12-20

『鉄道黄金時代 1970's』発売!!

イタリア旅行の報告の途中ですが、新刊のお知らせをいたします。
12月19日、拙著『鉄道黄金時代 1970's ディスカバー・ジャパン・メモリーズ』が発売になりました。

『鉄道黄金時代 1970's』表紙

────────
1970年。
大阪で万国博覧会が開催され、
それに続いて国鉄のキャンペーン「ディスカバー・ジャパン」が始まった。
駅には人びとを旅へ誘う新鮮なイメージのポスターが飾られ、
テレビでは「遠くへ行きたい」という番組が人気となった。

あのころ、私たちは何を見ていたのか。
本書は、まだ見ぬ「美しい日本と鉄道」を求めて日本中をさまよい歩いた鉄道探検記。
蒸気機関車を追い、ローカル線を乗りつぶし、森林鉄道やトロッコを発見。
当時の雰囲気をありのままに切り取った写真とともに、さまざまなエピソードか語られ、
過酷だけど楽しかった当時の旅が、いきいきとよみがえる。
ディスカバー・ジャパン時代の鉄道風景を1冊に。

いつでも撮れそうで、結局、撮り損なってしまった光景が、ここにあります。
模型にしたくなるような車両と駅の写真も豊富。

●目次
序章 鉄道趣味人の1970年代
第1章 国鉄
第2章 私鉄ローカル線
第3章 路面電車
第4章 森林鉄道・トロッコ・専用鉄道
終章 あの向こうには何があるんだろう?
────────
288ページの分厚い本に、数百枚もの写真と当時のエピソードをつづる文章があれこれ。
鉄道本に名を借りた一人の少年の成長物語でもあり、写真論でもあり、もしかすると思想書でもある、と本人は真剣に思っています。

安くはないのですが、重さは600グラム近くあるので、読後はダンベル代わりになります。
ぜひ、お手にとってご覧ください。

『鉄道黄金時代 1970's』カバー

発売を記念して、「日経ビジネスオンライン」に関連コラムを短期連載しています。
タイトルは、「高倉健の名作×鉄道マニア」。
健さんの映画を4本取り上げて、そこに出てくる鉄道の話題について書いています。
周囲の固い記事のなかにあって、完全に異彩を放っています。
合わせてごらんください。

第1回は「『駅 STATION』 衝撃のラストシーン
ラストシーンが衝撃だと感じるのは、一部の鉄道マニアだけかもしれませんが……。

2014-12-09

アオスタ: フェニスの古城と不思議なフランス語表記

また、間が空いてしまったけれど、イタリア旅行の続き。
でも今回は、前の記事でバールの城砦を紹介したついでに、2012年に訪ねたフェニス(Fènis)の城の話。
フェニスはアオスタから東へ10km強の距離にあり、アオスタとバールの中間くらいに位置している。

ここには14~15世紀ごろに原型ができたという城がある。
古い城の原型を保っているために、観光客にも人気が高い。

フェニスの城

アオスタとトリノを結ぶ鉄道からは少し外れているが、アオスタのバスターミナルからは直通のバスが走っている。
ここは、とくに地理的にも近いフランスからの観光客が多く、私が訪ねた2012年6月には、フランス人の団体客と遭遇した。

フェニスの城

写真でもわかるように、まるでおとぎの国にでも来たような外観が楽しい。
フェニスの村自体は、新しい家が建ち並んでいるだけの、なんの変哲もないところだが、そのなかにあって、ここだけが異次元の空間のように見える。

フェニスの城

残念ながら城の内部は撮影禁止だったのだが、予想に反して質素なものだった。
きらびやかなお城のイメージはまったくなく、どの部屋も素朴な感じで、ヨーロッパの田舎の庄屋さんの家という印象であった。
もっとも、昔はもう少し意匠を凝らした家具や絵画などが置かれていたのかもしれないが。
城のいわれについて、そのときにいろいろ学んだのだが、2年もたったら忘れてしまった……。

フェニスの教会

城は小さいので30分もあれば十分に回れる。
あとは、ぶらぶらと村のなかを散歩。すると、こんな教会があった。外面に壁画が大胆に描かれている。

フェニスで見た看板

そして、なによりも印象に残ったのがこれ。
村の施設を記した看板なのだが、この地方では当然のようにイタリア語とフランス語が併記されている。
ところが、なかにはどう見てもフランス語とは思えないものが交じっている。
下から3つ目、「area attrezzata」というイタリア語はあまり見たことがなかったが、「テラスのある区域」ということで、キャンプ場のことなのか。
それに対して、「tsantè de bouva」とは、全然フランス語っぽくない。

フェニスからヌスへ

いくら時間をつぶしても、次の帰りのバスまでには1時間以上あるので、鉄道駅のあるヌス(Nus)の町まで歩くことにした。
直線距離で1kmあまりだと思って、「軽いぜ」と思っていたら、遠回りの道しかなく、結局2km以上を歩くことに。
しかも、真夏の日差しが真上から照りつける時間帯だったので、かなり体力を消耗してしまった。

Nusは、イタリア語風に「ヌス」と発音するのも聞いたし、フランス語風に「ニュ」と発音するのも聞いた。
どちらにしても、地名にしては短すぎるので、文章のなかで埋もれてしまって聞き取りにくそうである。

駅は、前回のバールと同じく普通列車も半数以上が通過。
結局、いい列車がなく、30分おきに国道を走るバスに乗ってアオスタに帰って来た。

ヌスの町のなか

最後の写真は、ヌスの町で見かけた街路の標識である。
少なくとも、イタリア語でも標準フランス語でもなさそう。
アオスタのフランス語は、南フランスのオック語系(プロバンス語系)のものだと聞いたが、それなのだろうか。
語頭に「L」が重なるのは、バルセロナ近辺のカタルーニャ語やイギリスのウェールズ語で見たことはあったが、ここにもあるとは知らなかった。「Hopeutaill」は病院なのだろうか。
こんな発見もあるから、ぶらぶら旅は楽しい。

2014-11-22

フォトジェニックなバールの城砦

アオスタには9月11日から2泊。2日目は目いっぱい使えるので、まずはかねてから行きたかったバールの城砦(Forte di Bard/Fort de Bard)に。
Bardだからバルドと発音するのかと思っていたら、もう完璧にフランス語でバールと呼んでいた。
バールはトリノに向かう街道沿いにある。アオスタのバスターミナルから30分おきに出ているポン・サンマルタン(Pont Saint Martin)行きのバスで1時間10分ほど。

「ほら、あれだよ」
目の前に現れた見事な城砦を指さして、運転手はバスを停めた。

バールの城砦

この城砦を知ったのは、1990年代にイタリアで買った「Bell'Italia」という旅雑誌であった。
この雑誌は、毎号イタリア各地の知られざる町や観光スポットをいくつか取り上げてくれるので、イタリアに行くたびに買っていた。
もっとも、最近はさすがにネタ切れのようで、今回はぱらぱらとめくってみて、あまり興味を引くスポットがなかったので、初めて買わずに帰ってしまった。

バールの城砦

雑誌の特集を見る限り、かなりの高低差があるようで、頂上まで登るのはかなりの覚悟が必要だと思っていた。
ところが、である。
現地に行ってみると、なんと斜行エレベーター(簡単なケーブルカーのようなもの)ができているではないか!
入口にある案内所のおじさんによると、これを4本乗り継いでいくと頂上までいけるという。
心のなかでは登山を覚悟していたので、ちょっと拍子抜けである。

バールの村

これが、斜行エレベーターから見たバールの村。
中世からあった集落とのことで、狭い道の両側に古めかしい建物が建っていた。
ちなみに、エレベーターは無料。頂上まで行って帰ってくるだけならば、一銭も、いや1ユーロもかからないのである。

城砦の上からの眺め

これが城砦の上からの眺め。なかなかのものである。
左側に高速道路が見えるが、私たちの乗ったバスは、右の川沿いをくねくねとやってきた。
川の左側には鉄道の線路が見える。これが、トリノとアオスタを結ぶ路線である。
そして、黄色く見える建物が駅。
じゃあ、なんで列車で来なかったのかというと、その理由はのちほど。

駅名はバール・オーヌ(Bard-hone)。川の右側(この写真では見えないが)がバール、左側(この写真に写っている地域)がオーヌの町である。

城砦の中

この城砦であるが、もともとはこの小山の頂上に古くからあったものである。
ほかの地域の城砦と同様に、山の上にぽつんと建っていたらしい。
そこへの通路を整備して、通路に屋根を付け、さらに何百という部屋をつくったという。
サヴォイア王国の時代である。
1800年、この城がナポレオン軍の進軍を止めた……とかなんとか、そしてイタリア統一に力を尽くしたカブールも一時はここに幽閉(?)されていた……とかなんとか、金を払って見学した博物館にはそう書いてあった。

そして、19世紀にさらに手を加えて今のような形になったそうで、だから内側を見ると意外に近代的なのであった。

バールからオーヌへ

さて、城砦から下界に降りて、橋を渡ってオーヌの町をぶらぶら……と思ったところで難題が発生した。
実は、うまい具合にアオスタに戻る列車がやってくる時刻だったのである。
この区間は普通列車のみが1日に20往復ほどしているのだが、この駅に停まるのは、そのうちの半分以下。
その列車が、20分後と1時間後にやってくる。その次に停まるのは、3時間ほど先。

だが、1時間以内でオーヌの中心部まで行って戻ってくるのは少し厳しい。
列車に乗り遅れても、バスで帰ればいいのだが、またあのくねくね道を1時間以上かけるのはつらい。
ということで、軟弱にもそのまま鉄道駅に直行して、20分後の列車に乗ることにした。

ところが、駅に行ってまたびっくり。無人駅なのは当然だろうが、切符の自販機もなく、駅前には切符を売っていそうなバールすら1軒もない。
やむなく、やってきた列車に無券で乗ることにした。
でも、その前に城砦をバックに撮影。

バールの城砦をバックに

列車は、城砦の真下をトンネルでくぐってやってくる。
「そうだったか」と私はしみじみ納得。
というのも、2年前にここを列車で通りかかったとき、城砦が見えるはずだと、懸命になって左右の車窓を眺めていたのである。
そのときは「おかしいなあ。なぜ見えないんだろう」と思っていたのだが、真上にあったんじゃあ、見えないはずである。

さて、問題の切符だが、乗車してすぐに車掌に言ったら、罰金なしで切符を切ってくれた。
どうやら、ほかの無人駅で乗った人もそうしているようで、ここではそれが当たり前のようである。
45分ほどでアオスタに帰り着いた。

2014-11-13

アオスタで見た不思議なものいろいろ

アオスタ市内の歴史的な観光地というと、ローマ遺跡やアウグストゥス門が有名だが、サントルソ(聖オルソ)教会とその修道院は必見である。
とくに修道院は、建物や回廊のデザインが特徴あって目を引く。

サントルソ修道院の正面

狭い路地の奥にあって、知らないでいると見逃してしまいそうな場所にある。
そんなひそやかな場所に、こんな手の込んだ建物が建っているのだ。
そして、下のほうはこんな感じ。

サントルソ修道院の正面

専門的にはなんというのは知らないが、アーチの下のもたっとした大根足のような装飾がかわいい。
ガイドブックでは12世紀に建てられたのだそうだ。

そして、修道院の回廊に入ってみたかったのだが、今回は時間が合わずに残念。
2年前に訪れたときの写真を貼っておこう。

サントルソ修道院の回廊

回廊は15世紀のものらしい。
こうした修道院の回廊は、イタリアのどこに行っても見られるが、ここのものは、おそらく天井が低くてアーチの間隔が狭いためか、薄暗いのが古さを感じさせる。

そして柱にあったこの彫刻が素晴らしい。

サントルソ修道院の回廊

土俗感あふれる表情と肢体がいきいきとしていて最高! アフリカの遺跡から発掘されたと言われたら信じてしまいそうだ。
思わず、「キリスト教伝来前の文化が色濃く残っていて……うんぬん」とウンチクを語りたくなる。

さて、固い話になったので、ここで気分転換。
アオスタ駅構内のバールで飲んだモレッティのレモンビールである。

モレッティのレモンビール

「レモンビールはほかのメーカーからも出ているけれど、モレッティのほうがうまいよ」と、カウンターの隣にいたおじさんが説明してくれた。
イタリアでは、こういうお節介な親爺さんがいるから楽しい。そういえば、アルバの白トリュフのときもそうだったっけ。
レモンビールのウンチクも東京で披露することができました。

それにしても、今回は25日もイタリアにいながら、結局モレッティのレモンビールを見たのはこのときだけ。
これを見つけた妻の目ざとさには感心せざるをえない。
そうそう、味は……さわやかで、微妙な甘みと苦みが交じっていて、非常にうまかった!

サンマルタン-サヨナラ バス停

最後の写真は、次の停留所に注目。
「Via St. Martin Sayonara」とある。
「サンマルタン通りサヨナラ」
車内放送を聞いていたら、突然日本語らしき単語が出てきて、びっくりして電光掲示板を見て、あわててカメラを取り出してかろうじて撮影に成功!

バスはサンマルタン通りをずっと走っていたので、「サンマルタン通り○○」という名前の停留所が続いていた。
そして、その途中に出てきたのがこれである。
「サヨナラ」はどうやら交差点の名前らしいのだが、何に由来しているのかまだわからない。
かつては、この近くに「ホテル・サヨナラ」というのがあったらしいことまではわかったが……。

ちなみに、「ホテル・サヨナラ」はイタリアのほかの町にも現存するようだ。
なかには、「ホテル・ニューサヨナラ」があって笑ってしまった。
日本に例えてみれば、「ペンション・チャオ」「お宿、アリベデルチ」というイメージかな。

2014-11-12

アオスタで肉三昧

トリノから列車で約2時間、フランス国境に近いヴァッレ・ダオスタ州の州都、アオスタに到着した。ここで2泊。
2年前にもアオスタには来たのだが、妻は初めてなので例によってツアコンである。

アオスタは標高が高いから涼しいんと思っていたら、30度近い暑さにびっくり。
タクシーの運転手によれば、「いやあ、涼しいときもあったけど、ここ2、3日は暑くて」ということだった。

ホテルからの眺め

予約したホテルはアオスタ駅から4kmほどのところにある「ホテル・パノラミーク」。
名前にたがわず眺めのいいホテルだった。上の写真はベランダからアオスタの市街地の方向を撮ったもの。

ホテルのフロントのおばさまは、私たちが公共交通機関でやってきたことにビックリした様子であった。
とはいえ、駅前にはタクシーが止まっているし、バスも30分おきに出ている。
もっとも、急斜面に建っているものだから、バス停からは急坂をひいこら言って登ってこなくてはならない。

シャノー広場

この日は昼過ぎまでトリノでうろうろしていたものだから、アオスタに着いたのは夕方近く。
もう無理はしないで、夕食まで市内をぶらつくことにした。

アオスタは、州都というよりも、州町あるいは州村といったほうが似合う小さな町である。
町の中央に、市庁舎のあるシャノー広場があり、そこから四方に道が伸びる。

サンタンセルモ通り

そのうちで、東にあるアウグスタ門に向かうポルタ・プレトリア通り、それに続くサンタンセルモ通りが目抜き通りといった感じで、飲食店や土産物屋が並んでいる。

そんな市の中心部からも、万年雪をかぶった山々が見渡せて、すがすがしい気分である。

シャノー広場

うれしい思い違いだったのは、トリノやアオスタの人たちの気質。もっとツンツンしているのかと思ったら、ずいぶん観光客にはやさしい。むしろ、何かと気が利いて、親切な人が多かったのは意外であった。

しかも、少なくとも私が歩き回った限りでは、夜でも町にあまり緊張感がない。
事実、どちらの町とも(とくにアオスタは)治安がよいということなので、肌で感じたイメージは間違いないのだろう。

1日目の晩飯は、中心部の路地裏にあるトラットリーア「La Trattoria degli Artisti Pam Pam」。
「芸術家パムパムのトラットリーア」といった意味か。
観光客も大勢いたが、地元料理が中心のまったく気どらない店である。

前菜をサラミとハムの盛り合わせにしたら、予想にたがわず山ほど出てきた。
下の写真はもちろん1皿が1人分である。
パスタはパスして、メインに牛肉のタッリャータを注文。まさに肉三昧である。

前菜盛り合わせ

帰りは10時近くになってしまったが、まだ駅前からホテル下まで市内バスがある時刻。

それを信じて、駅まで歩いてひと気のないバス停で待っていたのだが、いつまでたってもやって来ない。
終電は終わって駅に人はいないし、タクシー乗り場にタクシーはいないし、近くの店はすべて閉まっている。かといって、知らない夜道を1時間も歩けない。
市内バスの時刻表を信じた私を、妻が責める。
「これはマズい。どうするか?」
進退窮まったところで、タクシーが1台やってきた。まあ、なるようになるものである。

サンタンセルモ通りのワインバー

2日目の晩飯は、前日から妻が目をつけていたワインバー。
穴蔵風の店内が大変よろしかった。食べるものは、チーズとサラミ・ハムとパンしかないのだが、黙っていると次々に盛り合わせが出てくるというしくみ。
地ビールも飲み、ワインもおすすめの地元のものをたらふく飲んでご機嫌になったのであった。
そうそう、前日の失敗に懲りて、店の人にタクシーを呼んでもらったのは言うまでもない。

«トリノ・スペルガの登山電車

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