2020年7月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31  

著書

  • 『定点写真でめぐる東京と日本の町並み』(青春出版社)
  • 『ひたすら眺めていたシベリア鉄道』(私家版)
  • 『日本懐かし駅舎大全』(辰巳出版)
  • 『鉄道黄金時代 1970s──ディスカバージャパン・メモリーズ』(日経BP社)
  • 『国鉄風景の30年―写真で比べる昭和と今』(技報堂出版)
  • 『全国フシギ乗り物ツアー』(山海堂)

2020-07-05

17人乗りのプロペラ機で秘境ムスタンへ

ネパールの奥にかつてムスタン王国という国があって、チベットとネパール・インドとの交易で栄えたという話を、何年か前にテレビで見たことがある。
そこに映し出されたのは、ヒマラヤの山深くに、小さな村が点在しているという様子で、とてもではないが簡単にいけるとは思えなかった。

ところが、カトマンドゥのM氏に聞くと「行けるよ。許可証が必要だから、明日の朝、証明写真を撮ってきて。旅行社の人を紹介するから」とのこと。急な話にもかかわらず、ポカラからムスタンの入口であるジョムソンまでの飛行機がなんとかとれ、宿も手配してもらった。

ポカラ空港

ムスタンについてはまったく予習をしていなかったので、ツアコンの経験も豊かなM氏が同行してくれるのはありがたい。

ポカラの空港私たちを待っていたのは、タラ航空のこの小さなプロペラ機である。
搭乗前に調べてみたところ、この航路は事故が多いというではないか。わざわざ調べなけりゃよかったと後悔したが、5年に1回は墜落しているようで、ただでさえ飛行機が苦手な私にとって、口から心臓が出てきそうである。

バスより狭い

機内は、なんとバスより狭くて、ざっと勘定したら20人弱。そんな小さな機内でもCAさんのサービスがあって、キャンディーと綿の耳栓が配られた。

私と妻とM氏は、一番前の列に陣取ったところ、なんとコックピットが丸見え!
大丈夫かと一瞬心配になったが、これもサービスの一環として味わうことにした。

操縦席が丸見え

ポカラからジョムソンまでは、わずか20分のフライト。
眼下には、こんな段々畑が見える。
「恐くない、恐くない。こんなに眺めがいいんだし」と必死に自己暗示をかける私。

眼下に見える段々畑

やがて、右側にダウラギリ、ニルギリなど、ヒマラヤの峰々が見えてくる。
最初は西に向かって飛ぶが、10分以上たったところで右に旋回。谷間に沿って北上する。
「恐くない、恐くない。眺めがいいし……」と口のなかで唱える。

ヒマラヤの峰々

そして、山のすれすれを右に左に旋回して、あっけなくジョムソン空港に着陸。「なんだ、もう少し乗っていたかったな」と勝手な感想を口にする私であった。

私たちが降りきるのを、ポカラに向かう乗客がタラップの下で待ち構えていた。
そして、全員が乗ったとたんに離陸! まさにバスである。
というのも、この空港は午後は風が強くなるので午前中しか運行できない。
1便20人ほどを通常は5往復ほどのピストン輸送で運んでいるのである。ちなみに、私たちが乗ってきたのがこの日の最終便であった。
確かに、風が強くなって欠航にもなったら大変である。乗客が目を血走らせて乗り込んだのも理解できる。

ジョムソン空港

そんなあわただしさをよそに、私たちもネパール人のおばちゃんたちも記念撮影。
早く空港を閉鎖したがっている職員たちに追い立てられ、パスターミナルよりも小さな空港を後にした。

ジョムソンの中心部

空港を出てすぐのところに、こんな風景が広がる。
観光客が増えているのだろう、あちこちでホテルが建設中だった。

ジョムソンの中心部

そして、しばらく町をぶらぶら。これがジョムソンのいわば新市街であり、空港はこの左側すぐのところにある。
このあと、宿に荷物を起き、さらにヒマラヤ・ムスタンのぶらぶら町歩きをすることに。
時期は乾季の終わり近く。飛行機もスムーズに飛べてよかった。雨期が近づいてくると、山々に雲がかかったりして飛行機の運航に支障があるとのこと。事故もそんな時期に起こるようだ。
それにしても、時間がたつにつれてどんどん風が強くなってくる。なるほど、これじゃプロペラ機は飛べないわけだと納得した。

2020-06-22

涼しいボカラで一息

2019年春の大型連休ネパールの旅の続きである。
当初はカトマンドゥに10日ほど連泊してぶらぶらするはずだったが、せっかくだからということで、カトマンドゥのホテルに大荷物を置いて、ヒマラヤの玄関口であるポカラに向かった。航空会社はブッダ航空!

カトマンドゥ空港からポカラへ

ポカラはネパール第2の都市であるが、大都市カトマンドゥにくらべるとこぢんまりとして、どこか穏やかである。
しかも、山に近いだけあって涼しいのがいい。
若い女性がこんなふうにのんびりと散歩しているのは、カトマンドゥではついぞみかけなかった。

湖畔の散歩道

実は、この日から数日の間、カトマンドゥで出会ったレストランの経営者であるネパール人のM氏が同行している。
M氏は日本に絵画の勉強で留学していたこともあり、日本語がペラペラでカトマンドゥのガイドブックには必ずどこかに出てくる有名人である。
われわれがカトマンドゥに着いた翌日の晩、なにか情報でも得ようと思って訪れたレストランで顔を合わせ、意気投合してしまった。
もちろんポカラだけなら、私と妻の二人で旅を続けられるのだが、入境許可証が必要な場所に入ることになり、彼のサポートが必要になったというわけだ。

湖畔の散歩道

翌日からのハードな旅に備えて、この日はのんびりと市内を散歩。
ペワ湖の沖に見える小島には、パラヒ寺院という有名なお寺がある。手こぎの船に乗り、まずは島までいくことにした。
島に上陸すると、狭い場所なのに軍人だか警察官だかが10人ほどもいて警備がものものしい。
ここネパールでも、宗教上の対立が激しいのかと思ってM氏に尋ねてみた。

「あそこに男性がいるでしょ。あの人は警察の偉い人で、きょうはお母さんを連れてお参りに来たんですよ」
なんと親孝行のお出かけに同行して警備をしているのであった。

ポカラの大通り

ツアコンの経験も豊富なM氏であるから、ポカラの市内をあちこち連れていってくれる。
車を運転しているのは、ポカラの空港で彼がスカウトしたタクシーの運転手である。
「誠実そうな人を選ぶのが大切ですよね」とのことで、空港でなにやら話し込んでいる様子を見たときは、昔からの知り合いかと思ったほどである。

日本山妙法寺参道

日本山妙法寺というのは、その名の通り、丘の上に日本人が建てたお寺で、今では観光名所となって外国人旅行者もよく訪れる。
お寺の写真は調べればすぐに出てくるのでここでは省略して、興味深かったのはそこに至る参道である。
上の写真の建物は、レストランというか休憩所なのであるが、日本ではありえない危なっかしさである。
ネパールでも地震があるはずなので、ちょっぴり心配になってくる。

日本山妙法寺参道のコーヒー店

そして、参道の途中には日本人が経営する喫茶店があった!
「Life is beautiful」という店で、この看板の人がオーナーである。もとはネパールでウインドサーフィンの仕事をしていたという。

ここのコーヒーは、ネパールでとれる豆を使った本格的な味である。完璧を求める日本人らしさが、コーヒーのひと口めから感じとることができた。
店の雰囲気も眺めも、ネパール人店員のサービスもよく、みんなでおしゃべりをしながら小一時間ほどのんびりしてしまった。
帰ってきてからグーグルストリートビューで見たところ、素晴らしい評価だったのもうなずける。

オールド・バザール

この日の最後に訪れたのは、現在の町の中心から少し離れたところにあるオールド・バザール。
名前の通り、昔はここに商店が軒を連ねていたのだろうが、今では何軒かの商店と古い大きな建物がその名残をとどめている。
上の写真などは、カトマンドゥやパタンで見た王宮のようであるが、住んでいるのは一般の人。

オールド・バザール

おばさんたちは、おしゃべりに余念がなかった。

ホテルは、ヒマラヤが間近に見える丘の上に予約していた。
まさか翌日からそのヒマラヤの山中に分け入ることになるとは、日本で予約していたときには思ってもいなかったのである。

2020-06-08

夕刻の古都パタン訪問

昨年(2019年)大型連休でネパールに行った話の続き。

ボダナートからカトマンドゥに帰ったのが午後4時ごろ。そこから、また別のボロ路線ミニバスに乗り継いで、カトマンドゥ南にある古都パタンへ向かった。
実はこの「パタン」の発音が難しくて、バスを探しているときになかなか通じない。
どうやら、「パターン」に近いようなのだが、「パ」も「タ」も日本語のそれとは、少し響きが違うようなのだ。

夕涼みの人で賑わうクリシュナ寺院「チャヤシンデガ」

どうやら私たちの乗ったバスはパタンの中心に向かうのではなく、町の周囲をぐるりとまわって別の町に行く系統のようである。
近くにいた女の子3人に、「えっ、これはパタンに行かないよ」と言われたけれど、Google先生の地図があれば問題なし。
一番近いバス停から7、8分歩いただけで旧王宮のあるダルバール広場にたどり着いた。

2019年のパタン・ダルバール広場

1989年のパタン・ダルバール広場

上の2枚の写真は、例によって定点比較写真。下は1989年に撮ったものだ。
ここでも、地震でいくつかの建物が崩れたり傾いたりしており、修復中だった。

旧王宮のパタン博物館

これはパタンの旧王宮。カトマンドゥやパクタプルのそれと似たつくりになっている。内部は博物館になっていて、さまざまな美しい美術品を見ることができた。

時間が時間だけに、古い建物が残る地域は、夕方の散歩に出てきた地元の人でいっぱい。そして、ここでも南イタリアで見たようなオヤジ軍団をあちこちに見かけたのであった。

夕涼みするオヤジ軍団

日が暮れる前に町を見ておかなくてはと、小さな中心部をひたすら歩き回る私たち。
さすがに疲れたので、最後に建物の3階にあるカフェでひと休み。ここは涼しくて眺めがよかった。

カフェテラスからの俯瞰

のんびりとジュースを飲んでいると、いきなり黒い影がテラスの縁に現れてビックリ。
なんと野生のサルではないか。食べ物が欲しいのだろうか。

若い店員が追っ払おうとするのだが、歯をむいて威嚇する。
5分ほどのにらみ合いののち、ようやくサルが去ることになった。

夜の旧市街

サルの出没を除いては、あまりにも居心地のいいテラスだったので、気がついたときには周囲は真っ暗。
あせって旧市街の外にあるバス停まで急ぎ足でやってきたのだが、バスの姿はない。
やがて到着したバスの運転手に聞くと、もうカトマンドゥ行きのバスは終わったというではないか。

でも、「あれに乗れ」と指さされた方向を見るとタクシーが1台停まっていた。
もちろんバスよりは高いのだが、日本のタクシーよりずっとずっと安く、10kmほどの道のりをたどって戻ることができた。

2020-05-27

『サンデー毎日』6月7日号に記事掲載

 昨年(2019年)春のネパール旅行の途中ですが、お知らせを一つ。

 5月26日発売の『サンデー毎日』6月7日号に、私の記事が掲載されました。
題して「脳と体を活性化する今昔写真の底力」。

“コロナ緊急事態解除へ 「健康」を取り戻す”という大特集のなかの4ページ(2見開き)で、今昔写真(定点写真)を3カ所(東京:京島・西台、大阪:新世界)取り上げて、その推理小説的な楽しみ方を解説すると同時に、運動不足解消と認知症予防にもなるという自画自賛、我田引水の話です。

ちなみに、昔のことについて思い出したり、語り合ったりすることは、「回想法」として認知症予防の効果があると、内外の専門家の間でも認められています。記事では、仕事で顔見知りの認知症予防の専門家の先生にコメントをいただいています。

興味のある方はぜひご覧ください。今号は税込450円です。

サンデー毎日6月7日号記事

2020-05-24

ミニバスで巨大仏塔のあるボダナートへ

パクタプルを訪れた翌日も、カトマンドゥからミニバスで近郊めぐり。
まず向かったのは、カトマンドゥ中心部から小一時間のボダナート。巨大なストゥーパ(仏塔)で有名な町だ。

ボダナート行きのミニバス乗り場は、パクタプル行きとはまた違うバスターミナルにある。
バスの行き先はネパール語でしか書かれておらず、外国人には難易度が高い。だが、30年前と同じく、バスの前で若い車掌が「ボーダボダボダ、ボーダボダボダ」と客を呼んでいたのですぐわかった。

カトマンドゥのバスターミナル

ミニバスの車内はこんな感じ。
もちろんエアコンなどは付いていないが、窓が全開なので走り出せば十分に涼しい。
なんといっても、地元の人たちが利用する乗合バスに同乗することで、旅に出たという気分も盛り上がる。

ミニバスの車内

30年前のボダナートのバス停の記憶はまったくないのだが、たぶん交通量は格段に増大したのだろう。
それに対する道路の整備が追いつかず、道は埃でもうもうとしており、100m向こうが霞んでいる。

同じバス停で降りた人の流れに従っていったところ、すぐにストゥーパの入口にたどり着いた。

ストゥーパの入口

ここのストゥーパは世界遺産に指定されているが、周囲は江ノ島か浅草のような庶民的な雰囲気で、円形のストゥーパを取り囲むように、周囲360度を、レストラン、喫茶店、土産物屋などが取り囲んでいる。
下の動画は、そんな喫茶店の一つの屋上テラスから眺めた景色。
豆粒みたいな人間の大きさを見れば、その巨大さがわかるだろう。

ストゥーパの途中まで登ったあとは、周囲を時計回りに一周。
たくさんの人びとが訪れており、境内には赤い袈裟を着たチベット仏教のお坊さんたちも数多く見かけた。

境内の風景

観光客や参拝客がうろうろしているのは、ストゥーパ周囲と付近の半径300mくらいか。
境内の外にも多くの土産物屋があった。

ところで、この町には中国のチベット併合から逃れてきた難民も多く、日本人に近い顔の人が数多く見られる。

参道の風景

昔読んだガイドブックには、チベット動乱で逃げてきたチベット人は、中国人をひどく嫌っていると書かれていた。
事実、30年前に入った土産物屋では、応対してくれたチベット人の中年女性が、「あそこに中国人の団体が来ているのよ」とものすごく嫌なものをみるような顔をしていたのが印象的だった。
最近では、ここネパールでも中国人は上客らしく、あちこちに中国語の看板を目にしたが、はたして人びとの心も変わったのだろうか。

下の写真は、参道で岩塩を売っている店。ピンク色や黒い塩がある。黒い塩は硫黄分を含んでおり、風呂に入れると温泉気分にひたれる。

1989年のボダナートのストゥーパの上から

下の2枚は、1989年にボダナートに来たときの写真。
当時は、ストゥーパの上のほうまで登ることができた。

1989年のボダナートのストゥーパの上から

今では上まで登ることができないので、山を遠望できないのが残念である。

200524h

2020-05-21

パクタプル30年の定点写真(中心部編)

1989年と2019年のパクタプルの比較の続き。
激変した周辺部にくらべて、町の中心部はそれほど大きく変化しているわけではない。
とはいえ、世界遺産に指定されている遺跡や広場は別として、まわりの建物や道ゆく人びとの格好は、かなり近代化されていた。

まずは、ニャタポーラ寺院の東側に延びる繁華街の比較。
上(1989年)の写真では、インドの偉大な歌姫ラター・マンゲーシュカルによるコンサートの横断幕が見える。
下(2019年)の写真を見ると、沿道はすっかり土産物屋ばかりになっていることがわかる。

1989年のバクタプル繁華街

2019年のバクタプル繁華街

賑やかだった道も、ずっと東に進んでいくとだんだんと人通りが少なくなっていった。
ペプシコーラの看板が印象的。まるで西部劇に出てきそうな光景だ。
現在では、ここまで来ても人通りは絶えない。

1989年のバクタプル繁華街東端

2019年のバクタプル繁華街東端

以前のダッタトラヤ寺院は、内も外も暇そうなおじさんたちが、座り込んでおしゃべりをしていた。
2019年には、そんなおじさんの数は激減して、学生たちやおしゃれな男女が行き交っていた。

1989年のダッタトラヤ寺院前

2019年のダッタトラヤ寺院前

王宮のあるダルバート広場の東側。広場の建物のいくつかは地震で崩壊してしまった。
修復工事を待っている様子だったが、どれだけ時間がかかるだろうか。

1989年のダルバート広場東側

2019年のダルバート広場東側

最後の写真は、ニャタポーラ寺院のあるタウマディ広場に戻る。
右奥にちらりとニャタポーラ寺院が見えている。
中央の建物は、当時から外国人に人気だった喫茶店。看板には、カフェ・ニャタポーラと書かれている。
現在も喫茶店として営業していた。

1989年のタウマディ広場

2019年のタウマディ広場

 

2020-05-15

パクタプル30年の定点写真(町外れ編)

カトマンドゥ中心部を見る限り、30年経っても意外と昔の面影を残していたのは意外だった。確かに郊外には新しいビルが建っていたが、中心部の世界遺産地区とその周辺は変わりようがないのだろう。

驚いたのはバクタプルの町外れである。前回はカトマンドゥから下の写真のトロリーバスに乗ってやってきた。
畑の広がる田舎道をトロリーバスが走るというのも不思議だったが、排気ガスを出さないのは環境にもいいのだろうと感じていた。
ところが、そのトロリーバスは廃止され、パクタプルにはミニバスで行くしかなくなっていた。

まずは、パクタプルのトロリーバス終点の昔(上)と今(下)である。
現在の写真で、壁が鏡面になっているビルあたりにトロリーバスの終点があったと聞いた。
あまりの変わりように呆然とするしかない。

200515a

200515b

そして、トロリーバスの終点から町の中心部を見たのがこれ。
奥のほうに薄く白く見えるのはヒマラヤの峰々である。また、中央やや左にはニャタポーラ寺院の塔がくっきりと見える。

カトマンドゥのレストランの主人で、日本語が堪能なM氏はこのパクタプル出身。
私がこれらの写真を見せると、懐かしそうに眺めながら、こう言った。
「町へ行く道はびっしり家が建って、昔の風景は想像できませんよ」
その言葉がなかったら、本当に場所を間違えたと思っただろう。
現在ではヒマラヤどころか町の中心部も見えなくなっていた。
たとえ建物がなくても、大気汚染でヒマラヤは見えないことだろう。

200515c

200515d

町へ向かう一本道。30年前はフィルムカメラだったので、ご苦労にもカラーポジ用の一眼レフ(ミノルタXD)とモノクロネガ用のセミ判カメラ(フジカGS645)の2台を持っていった。
太陽の光が強いのでカラーポジではコントラストが強すぎて、うまく再現できないが、モノクロフィルムのほうは人の顔までよくわかる。
そこで驚いたのがM氏。下の写真の天秤棒をかついでいる中年男性は、なんと知り合いだったというのだ。
「この人は、トロリーバスの運転手でした。つい最近亡くなりましたよ」
不思議なこともあるものだ。もっとも、当時はそんな人口が多くなかったし、M氏の家はこの町の名士だったそうだから、知り合いが写っていてもおかしくはないだろう。

200515e

200515f

町の入口近くまで歩いて、振り返ったのが次の写真。
中央左の電柱のすぐ右遠くに、小さくトロリーバスが写っている。
それにしても、のどかな風景である。当時は、さえぎるものもなくて、ただ暑かった記憶があるのみだが。
現在の写真では、わずかに山の稜線が見えている。

200515g

200515h

そして、やってきた町の入口の橋。天秤棒をかついだおじさんが、不審そうにこちらを振り返っている。
これも同じ場所とは思えないが、欄干の上に置かれた2体のライオンの像は、確かに昔のままだった!

200515i

200515k

 

2020-05-12

ミニバスに乗って古都バクタプルへ

2019年大型連休を利用したネパールの旅の続き。
4月28日は、カトマンドゥからミニバスで10kmほどのところにあるパクタプルへ。

ミニバスは、行き先によってターミナルが違っているし、行き先も書いていないのがほとんどだが、車掌役(たいてい普段着の若い男性)の兄ちゃんが献身的に働いてくれるし、そこそこ英語も通じるので問題ない。

公道上のバス乗り場

途中の停留所に近づくと、バスから身を乗り出して、バス停にいる人に大声で経由地や行き先を告げている。
乗り降りする人がいるときは、バスの車体を大きくガンと叩いて運転手に停車を指示。いないときは、ガンガンと2回叩く。
騒がしいという人もいるかもしれないが、なかなか元気で活気があって楽しい。

のんびりしたバクタプルの町外れ

こうして、カトマンドゥの市内から東へ15kmほど。大混雑の道を小一時間かけてやってきたのが、バクタプルの町である。
ネパール盆地にある古都の一つで、ここには30年前にも訪れたことがある。
当時はトロリーバスでやってきたのだが、それについては次回詳しく説明したい。

観光客相手の土産物屋も並ぶ

前日とこの日の午前中は、カトマンドゥ中心部の喧騒ぶりに驚いたが、それにくらべてパクタプルはおっとりとした感じ。
バスを降りた場所が、町外れにあるナガルコットに向かう道だったので、よけいにそんな印象が強かった。

町随一の商店街
それでも、世界遺産になったためだろう、30年前にくらべて観光客の姿が増えていた。
もっとも、カトマンドゥが何十倍もなった印象なのにくらべて、こちらは何倍かというイメージである。

まず目指したのが、バクタプルのシンボル、ニャタポーラ寺院。これはネパール版五重の塔である。

ニャタポーラ寺院

町に来たら、まず高いところに登るのが原則なので、妻と基壇まで登頂した。

この動画は、基壇の上から撮った約180度のパノラマである。左に見える建物は、地震でかなり傷んだために修復しているらしい。

ダルバール広場の入口
パクタプルは、もちろん建物も興味深いのだが、町歩きが楽しい。
中心部にはあまりクルマが入ってこないので、のびのびと歩けるところがいい。
そして街角には、南イタリアを思い出させるこんな親爺軍団が!

ネパールの親爺軍団

もともとは宗教的な行事をするスペースだったのか。街角に、こうした場所があってくつろげるようになっている。
そして、下の写真は、ひしゃげた山車らしきもの。なんでこんなものが道のまん真ん中にあるのか不思議だったが、あとでカトマンドゥに帰って聞いたところによると、直前のお祭りで使った山車なのだそうだ。1回しか使わないものだというが、このあとはどうするのだろうか。
まあ、このおかけでクルマが中心部に入ってこない効果はあるかもしれない。

お祭りで使われた使用済みの山車

炎天下で歩き疲れたら、王宮広場にある喫茶店でビール。酒が飲める宗教はいいものである。
iPadミニに保存してある30年前のバクタプルの写真を見せると、店員のお姉さんやおばさんたちがおおいに盛り上がった。
現在との定点写真も撮影したので、それは次回お目にかけたい。

夕日に染まるタチュパル広場のダッタトラヤ寺院

2020-05-09

丘上のスワヤンブナート仏塔への散歩

2019年大型連休に訪れたネパールの話のつづき。
カトマンドゥ中心部のダルバール広場をあとにして向かったのは、町の西部にあるスワヤンブナート仏塔である。

下の写真の左にある丘の上にあるのがその仏塔で、ガイドブックによれば、カトマンドゥ市民の憩いの場だという。
ちなみに、この写真は1989年に王宮の上層階から撮ったもの。現在は地震の修復作業中なので王宮には入れない。

王宮からスワンヤブナート仏塔を遠望
ダルバール広場から丘のふもとまでは歩いて30分あまりだとGoogle先生が教えてくれたので、晩飯前の腹ごなしを兼ねて歩いていくことにした。
広場や大通りからそれると、とたんに外国人観光客の姿が見えなくなり、地元の人の生活感あふれる界隈となった。
下の写真の中央上に見えるのが仏塔である。
仏塔の丘のふもとから
ふもとまでたどり着くと、夕方の散歩に訪れた地元の人でごったがえしているではないか。
かなり棒になった足に鞭打って、急な階段をひいこら上がっていく私たちであった。

仏塔の丘への階段
そして、ようやく見えてきた仏塔の先端。
もっとも、仏塔自体は翌々日に向かったボダナートのほうが、はるかに巨大であった。

仏塔の丘への階段
蒸し暑くて埃っぽいカトマンドゥであったが、さすがにここまで登ると涼しい風が吹き抜ける。
境内には野生のサルがいて、人びとの目を楽しませていた。

下の写真の家族(たぶん)は、知り合いというわけではなく、彼らの記念写真に便乗して勝手に撮ってみたものである。
町をバックにしてなかなかいい感じではないかと思う。

仏塔の丘の上
大きな仏塔の周囲には小さな仏塔やらマニ車やらがあって、さすが聖地という感じ。
とはいえ、敬虔なヒンドゥー教徒らしき人は多くないようで、まるで浅草の観音様を狭くしたような雰囲気であった。

仏塔の丘の上
結局、行きも帰りも歩きづめだったが、おかげでガイドブックにはないような地元の息づかいを味わうことができたのは楽しかった。
やっぱり、旅は歩かなくちゃ……疲れはしたけれど、そう思える1日であった。

カトマンドゥの日常風景
晩飯は、タメル地区にある「ムスタン・タカリキッチン」という店に目星をつけておいた。
店主が日本語堪能ということを知り、旅のいい情報でも仕入れられないかという妻の作戦というか下心である。

そばがきの入ったダルバート
あとで知ったのだが、ここは山奥にある旧ムスタン王国地区に住むタカリ族の料理が得意な店とのこと。
店のネーミングはそれに由来するわけだ。店主の奥さんがそちらの出身だそうである。
この料理は、ネパールでおなじみのダルバールだが、米の代わりにそばがき(!)を使っているところが特徴。
ムスタンは寒冷な高山地域なので、米がとれないのだろう。

そして、この店で主人のM氏と意気投合したことで、旅は思いがけない方向に進むことになる。

2020-05-06

カトマンドゥ定点写真──30年前と地震後

カトマンドゥというと、2015年4月に起きた地震が記憶に新しい。
とはいえ、空港から町にやってくるまでは、地震の被害を感じさせるものはなかった。
町なかでも、一般の住宅には被害がほとんが見られなかったのだが、旧王宮を中心とする世界遺産のダルバール広場には、地震の爪痕がくっきりと残っていたのである。

そこで、せっかく30年前に写真を撮っていたので、1989年と2019年のカトマンドゥ定点写真にチャレンジしてみた。
ネパールではGoogleストリートビューがほとんどなく、旅行前に事前に場所をチェックできなかったため、広場をうろうろしながら撮影場所を探すハメになった。

1組目の写真の右側に写っているシヴァ・パールヴァーティー寺院は、傷んでいるものの健在。
だが、左側の3層の建物が倒壊してしまった。

1989年のシヴァ・パールヴァーティー寺院

2019年のシヴァ・パールヴァーティー寺院

2組目の写真。左側の9段の基壇の上に建つのがシヴァ寺院だが地震で倒壊。
右奥の建物の姿もない。

1989年のシヴァ寺院前

2019年のシヴァ寺院前

3組目。左にあるヴィシュヌ神を祀るナラヤン寺院は倒壊。
ただ、ヴィシュヌの乗り物であるガルーダの像が残った……とは帰ってから知った。

1989年のナラヤン寺院前

2019年のナラヤン寺院前

最後は、王宮の中庭。当時はビレンドラ国王が健在で、この建物の中も見学ができた。上層部から見た町の風景が印象的だったのだが……。再び登れる日を期待したい。
王宮も地震の被害から修復中で、日本(JICA)と中国が分担して修復している。
ただ、中国のほうが宣伝上手で、どれだけ中国が貢献しているのかが、嫌というほどパネルで紹介されていた。日本は謙虚すぎる。

1989年の王宮

2019年の王宮

«30年ぶりのネパール訪問から1年がたって

フォト
サイト内検索
ココログ最強検索 by 暴想

広告


訪問者数(重複なし)


  • 累計
    今日
    昨日