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著書

  • 『ひたすら眺めていたシベリア鉄道』(私家版)
  • 『日本懐かし駅舎大全』(辰巳出版)
  • 『鉄道黄金時代 1970s──ディスカバージャパン・メモリーズ』(日経BP社)
  • 『国鉄風景の30年―写真で比べる昭和と今』(技報堂出版)
  • 『全国フシギ乗り物ツアー』(山海堂)

2018-08-11

中国山地ローカル線乗り歩き 木次線(4) 出雲坂根~備後落合

無人駅の出雲坂根駅での20分停車の間は、さすがに持て余した。
後ろから前から、そして右から左から列車と駅の写真を撮ったら、構内に引き込んである「延命水」をたっぷりと飲
んで、あとは構内にあるスイッチバックのジオラマを眺めるくらくいである。

出雲坂根駅

1988年にここを訪れたときは、すれ違い列車との交換があったが、現在のダイヤではなくなってしまったようだ。
下の写真は、当時の交換風景。
このときも、たっぷりある時間を利用して、延命水を飲みながら待っていた記憶がある。

手前が乗車していた急行「ちどり」。向こうからやってきたのは、スイッチバックを降りてきた普通列車である。

1988年の出雲坂根駅

さて,13時50分に出雲坂根駅を発車して、2段目のスイッチバックに入る。
駅からずっと動画で撮ろうと思ったら、意外と長い。
途中でスマホが過熱して停止してしまったので、中央が切れているけれど、まずは車両の最後部から撮った1分44秒の動画。

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さらに、折り返して37秒の動画。
もちろん、スイッチバックしたから、今度は車両の先頭になる。

.

周囲はまるで森林鉄道の路線のよう。
廃止になったら、5年もしないうちに自然に戻ってしまうことだろう。

出雲坂根~三井野原

スイッチバックを越えても、かなりの上り勾配がしばらく続く。
右手に、国道314号線の「おろちループ」の立派な橋が見えるが、木次線の質素な線路とは対照的である。
この国道が木次線に並行して開通したことが、木次線の乗客が激減した大きな原因の一つなのだろう。

出雲坂根~三井野原

そして、これまたまるで森林鉄道のようなトンネルをくぐる。
知らない人が初めて乗ったら、いったいどこに連れて行かれるのだろうと不安になるに違いないころ、再び国道が並行してくる。
周囲に何軒かの建物が見えてくると゛三井野原(みいのはら)駅である。

三井野原駅

車内放送によると、この駅はJR西日本の最高地点にあるのだとか。
標高は727m。だから冬には雪も降り、駅のすぐ近くにはスキー場がある。

備後落合駅到着

そして、14時33分の定刻に備後落合駅に到着。
木次線を全線乗ったという喜びよりも、座り心地が悪いキハ120での3時間以上の乗車に疲れたという感想が先に出てくる。

それにしても、いくら雰囲気がいいとはいえ、2日連続でこの山中の駅に降り立つというのも、われながら酔狂なものである。でも、芸備線と木次線の両方を1回の旅行で全線乗ろうとすると、そうするしかほかない。
そしてまた、前日と同様、ここから新見に向かうのである。

2018-08-08

中国山地ローカル線乗り歩き 木次線(3) 出雲横田~出雲坂根

先月(2018年7月)はじめに西日本を襲った大水害によって、この木次線では出雲横田~備後落合が不通となっていたが、8月8日、つまり今日から運行が再開された。
災害を受けて、そのまま廃線になる例も少なくないため、木次線もどうなるかと心配されたが、まずはめでたい限りである。

出雲横田駅

さて、これは5月29日のこと。
出雲横田駅には12時51分着。この駅では、上下の列車が交換できるだけでなく、車両を留置しておく側線もある。このときは、写真のように赤い車体のキハ120がとまっていた。

右側のクリーム色のキハ120が、宍道から乗ってきた列車である。
この駅では18分も停車するので、車両を降りて駅をくまなく徘徊……じゃなくて見学。
新しいトイレも利用した。

出雲横田駅の駅舎

駅舎は出雲大社をイメージしているのか、寺社つくりを思わせる立派な建物である。
駅舎の入口には注連縄が張られていた。

駅前には奥出雲交通と記されたミニバスがとまっていて、列車を降りた老婦人が乗り込むと、まもなく発車していった。
こんなバスを見ると発作的に乗りたくなるのだが、そんなことをすると晩に泊まるところがなくなるので自粛した。

出雲横田で後ろの1両を切り離し。
その1両は、折り返しの宍道行きとなって、先に発車していった。

八川駅

出雲横田から備後落合方面はぐっと本数が減って、平日3往復になる。
ちなみに、宍道方面は平日10本が設定されているのだが、そのうち3本は途中の木次駅止まりなのが珍しい。
つまり、山陰本線の接続駅である宍道駅まで行かず、ローカル線の途中駅発途中駅着というわけなのだ。

出雲横田を発車すると、列車はやや開けた盆地を走っていき、数分で次の八川駅へ。
Wikipediaによると、この駅の1日平均利用客数は2004年度以降2人以下。2014年度以降はゼロである。
1日平均がゼロということは、通学客もいないということだろう。
1994年度は34人、1984年度は42人だったとのことで、その変化が寂しい。

八川~出雲坂根

と、センチメンタルな気分にひたっているうちに列車は森を縫って走り、やがて左手に別の線路が寄り添ってきた。

これはほかの路線ではなく、出雲坂根でスイッチバックする線路である。
これが本日のメイン・イベントなのだ。

出雲坂根駅に到着

出雲坂根でも20分の停車をするので、列車から降りて無人の駅を端から端まで徘徊。
すでにこのとき、列車の客は私を含めて3人になっていた。

出雲坂根駅

ほかの2人は、年のころは40~50代か。地元の人ではなくて、列車に乗るために来たようである。
とくにあいさつをするわけでもなく、でもお互いになんとなく気を使いながら、あっちへ行ったり、こっちへ来たりとうろうろしながら、コンパクトカメラで写真を撮っていたのである。

2018-07-27

中国山地ローカル線乗り歩き 木次線(2) 木次~出雲横田

木次駅を出ると、乗客は10人以下に減っていた。
車窓はといえば、次の日登(ひのぼり)駅を発車すると、一転して山の中の風景に変わっていく。
私は、空いた先頭の座席に移って、子どものように前方を眺めていたのである。

日登~下久野

トンネルを抜けたと思うとまたトンネル、そして橋、またトンネルの連続。
とうとう我慢できなくて、気に入った風景が前方に出現すると、恥をしのんで立ち上がって前方のガラスにかぶりつき、写真を撮ることにしたのである。

日登~下久野

こんなとき、キハ120のようなワンマン仕様の車両は都合がいい。
運転台が片隅にあるので、運転台のない側に立てば、運転の邪魔になることなく前方の景色が、まるまる見えるのである。

下久野駅

上の写真は下久野駅。
ここから次の出雲八代までは、沿線に家屋もなく、並行する道路もなく、まさに深山幽谷を突っ切っていく。
見渡す限りの緑色の世界であった。

出雲三成駅

そして、そろそろ山の中の風景に飽きてきた12時31分、出雲三成(いずもみなり)駅に到着した。
ここは、上下の列車がすれ違いできる駅で、久しぶりに町らしき町を目にしたという印象である。

1988年の出雲三成駅

出雲三成駅で1988年に列車の窓から撮ったのが、この写真。ほぼ同じアングルのはずである。
上下の急行「ちどり」が交換する場面で、乗っていた広島行きが停車しているところに、松江方面行きの列車が入ってきたところ。向こう側のホームには、タブレットを持った駅長か助役が立っている。

いかにも味わいのある国鉄駅だったが、現在ではその上の写真のようにホームも短くなり、やけにさっぱりしてしまった印象である。

亀嵩駅

出雲三成駅の次が、この亀嵩(かめだけ)駅。
松本清張の小説『砂の器』では、重要な舞台となる駅だ。
私は、丹波哲郎、加藤剛、緒方拳、森田健作らが出演した映画を見ただけだが、やはり亀嵩駅は深く印象に残っている。

亀嵩駅では、ベレー帽をかぶった中年の男性が下車していった。
地元の人なのか、それとも『砂の器』の聖地めぐりをしている人なのか。
さきほどの日登駅では、60代くらいの夫婦が、地元の知り合いらしき人に出迎えられて降りている。
残りは5人ほどになった。

亀嵩~出雲横田

いったん人里に降りてきたと思われた線路だが、亀嵩駅を出ると再び深山幽谷となった。
しかも、線路の正面に山が立ちふさがり、その下をトンネルで抜けるという風景が何回か続いた。

そして、不思議なことに、トンネルの入口付近には、この写真のように白い煙のようなものが充満しているのである。
温かい水でも湧いているのか、あるいは木々のフィトンチッドが低い場所にたまっているのか。
いずれにしても、トンネルの入口だけに充満しているのが不思議だった。
周囲の景色もおどろおどろしく、妖怪の仕業のようにも思えてきた。

出雲横田駅

そして、12時51分に出雲横田駅に到着。
ここはかなり規模の大きな町であり、駅も立派である。

2018-07-23

中国山地ローカル線乗り歩き 木次線(1) 宍道~木次

前日は芸備線を全線乗車して松江で1泊。旧友とも再会して、翌5月29日は木次線全線乗車である。

10時40分松江発の特急「やくも」に乗り、木次線の始発駅である宍道駅に到着。
新幹線も在来線特急も乗れるJR西日本の「おとなびパス」だから、近距離でも特急を使わねばもったいないという貧乏性である。

宍道駅

さて、宍道駅のホームは木の柱に山型の屋根という、昔ながらの趣のあるホームを持つ駅だった。
木次線自体は、ちょうど30年前の1988年に乗ったのだが、松江発の直通急行だったので、宍道駅をじっくり見るのははじめてである。
11時18分発の備後落合行きの発車まで20分ほど、なめるように駅の撮影をした。

宍道駅

しばらくして入線してきた木次線の列車は、前日に乗った芸備線の閑散区間と同じキハ120。
違う点は、2両編成であったこと。1両でも十分な乗客と思われるのだが、それでも十数人の乗客が降りてきた。
もっとも、地元の利用者はそのうちの2、3人と思われ、それ以外の人は、いかにも「おとなびパス」でやってきたという中高年の単独客やグループである。

2両編成のまま折り返すのだが、2両目は締め切られ、1両目にしか乗せてもらえない。その理由はあとでわかる。
もっとも、全部で十数人の乗客だから、それでもまったく問題はない。

木次線の車内

木次駅を発車してしばらくは狭い道路と並行して走るのだが、驚いたのは10分もすると雑木林というか、まるで森の中を進んでいくことである。

全国有数の山岳路線ということは知っていたが、山陰本線と分かれたとたんに山中に分け入っていくとは思わなかった。
もっとも、それも2つ目の加茂中駅あたりまでで、ここからはしばらく盆地を縫って走るイメージである。

木次駅到着

木次までは沿線に住宅も多く、かつては地元の人たちがよく利用していたのだろうと想像がつく。
今でも、朝夕には中高生の利用はあるのだろう。

木次駅2番線に11時53分に到着。反対側の1番線ホームには宍道行きの列車が待っていた。
この駅で数人の乗客が降りていった。

1988年の木次駅

上の写真は、1988年に乗った急行「ちどり」の窓から撮った木次駅。
駅のホームには「出雲そば」の看板を掲げたスタンドそば屋が見える。

このとき停まったのは、2番線とは島式ホームの反対側にある3番線なのだろう。
写真のホームの右側の乗り場が2番線のはずである。
現在、3番線はすでに使われていないそうなので、同じアングルからの写真は撮れなかった。
もちろん、そば屋はすでにない。

木次駅

さて、興味深いのがこの木次駅の駅名票。「木♡」と書いて「きすき」と読ませている。
閑散線に似合わない遊び心と思ったが、よく考えると週末には観光列車も走っているのだったっけ。
そうそう、現在の木次線は超ローカル線というイメージではあったが、宍道~木次は1日に10往復ほど走っている。

2018-07-17

趣深い松江の街並み

例によって、仕事に追われて5月末の中国地方の旅のアップが進まないうちに、7月6日から9日にかけて、記録的な豪雨とそれにともなう災害「平成30年7月豪雨」が起きてしまいました。
前回まで紹介した芸備線も全線ストップして、復旧まで何カ月もかかりそうとのこと。
1日も早い復旧を望むとともに、相変わらずこの記事も牛歩で進めていきます。

新大橋からの大橋川の眺め

さて、新見からは伯備線の特急「やくも」に乗車。
米子に泊まるか松江に泊まるか迷ったのだが、池袋のベルギービール屋で知り合った知人が故郷の松江に帰っていることを思い出し、その日の午後に松江のホテルを予約しておいた。

昨年故郷に帰った知人は、すでに町の飲み屋で知られた存在になっているようで、郷土料理のおいしい「やまいち」と宍道湖が見渡せる素敵なバー「プエンテ」(カフェ・プエンテ)に連れていってくれた。

東本町の街並み 米田酒造

松江の町は、1979年、1988年に続いて3度めの訪問である。
印象に残ったのは、町のすぐそば……というより、町のまんなかに雄大な宍道湖があること。
湖の水は大橋川となって町の中央を横切っていく。

大橋川沿いの家並み

前回は、あまりゆっくりと町歩きする時間がなかったのだが、今回改めて見てみると、大橋川の北側にある東本町の通りには、実に趣のある家々が並んでいる。

大橋川沿いの家並み

「豊の秋」で知られる造り酒屋の米田酒造のような豪壮で風格ある建物がいいのはもちろんだが、昔の木造家屋を補強して飲み屋にしている雰囲気も悪くない。
そして、川沿いには昭和モダニズムともいえる味わい深い建物も見ることができた。

松江大橋と宍道湖


結局、今回も夕方に着いて翌朝に発つという急ぎ足になってしまったが、次回こそは端から端まで、この町を味わいつくしたい。

2018-06-26

中国山地ローカル線乗り歩き 芸備線(4) 備後落合~新見

備後落合駅の中を15分ほどぶらぶらしたのち、14時37分発の芸備線の新見行き列車に乗車。
厳密にいうと、備中神代までは芸備線で、そこから新見までの最後の2駅間は伯備線である。

備後落合から途中の東城までは、なんと1日に3往復しかない。これを逃すと次は6時間後の最終列車。一方、これの前は、8時間前に出る6時台の一番列車である。

備後落合駅

広島からやってきたおばちゃんのグループは木次線に乗り換えた。
逆に、木次線から乗ってきた男性が3、4人、同じ列車に乗り込んできた。
みんな、私と同じく、わざわざこの線に乗りにきましたという人ばかりのようだ。

内名駅

途中駅の付近には集落があるのだが、乗降客はない。

車窓で印象に残ったのは、備後八幡と東城の美しい渓谷である。
最後尾の窓ガラスに張りついて、スマホの動画で撮ってみた。

東城からは本数が2倍に増える……といっても1日6往復。
そして、東城と次の野馳(のち)の間で県境を越えて、広島県から岡山県に入る。
すると、車窓はそれまでとは変わって、開けた盆地を縫って走るようになった。

布原駅

終点の新見駅の1つ手前が、この布原駅。
1970年代の蒸気機関車ブームの際に、D51の三重連で有名だった場所である。
当時は布原信号場だったここを発車すると、トンネルまでの急勾配を、すさまじい迫力で力行した、らしい。
らしい、というのは、残念ながら私は訪れることがなかったからだ。
高校生のときまではあったような気がするが、あまりにも有名になってしまって、へそ曲がりに私は、無理をしてまで来ようとは思わなかったのである。
思い返すと少し惜しい。

新見駅

今では、秘境駅としてのほうが有名になった布原駅は、伯備線の駅でありながら、芸備線直通の列車しか停まらない。つまり、1日6往復しか停車しないわけである。
新見までの道路は、狭い山道しかないようで、この駅を訪問するにはしっかり予定を立てる必要があるだろう。

なんて考えているうちに、列車は定刻の16時に新見に到着。
これで、所要約1時間半の普通列車を、1日3本乗り継いだことになる。
だが、まだこれで終わりではないのだ。

2018-06-21

『日本懐かし駅舎大全』刊行

ここでちょっとコマーシャル(古いフレーズ!)
5月に、こんな本を出しました。
その名も『日本懐かし駅舎大全』! タツミムック「懐かし大全シリーズ」の1冊です。

70年代、80年代の駅の懐かしい写真を紹介しています。
単なる駅舎やホームの写真を集めた本ではなく、駅を行き交う人びと、駅で働く駅員、懐かしい列車・車両、売店などなど、当時の雰囲気や空気感が伝わる写真を紹介しています。
前回のブログ記事で紹介した備後落合駅も出てきます。

日本懐かし駅舎大全
日本懐かし駅舎大全

最初は写真を何枚か提供してキャプションを書くのかなと思って引き受けたところ、なんと著者となって本文もすべて書くことになりました。
写真はなるべくカラーということなので、私の写真だけでは足らずに、4分の1ほどはほかの方の写真を使っています。

そうして、巻末には対談が!
対談の相手は、20年来の知人である「鉄道フォーラム」の伊藤博康代表。
昔の駅の思い出を語り合っているほか、お互いの好きな駅ベスト5を、現役の駅のなかから選んでいます。
そこで備後落合駅を紹介した手前、久しぶりに訪ねてみようと思ったわけです。

昔を懐かしみたい中高年の方々、元気だったころの鉄道の姿を知りたいという若い方々におすすめしたい1冊です!

2018-06-20

中国山地ローカル線乗り歩き 芸備線(3) 備後落合駅

三次から1時間20分、森と渓谷を抜けて、備後落合駅に到着。
1988年に急行「はくと」に乗ったままで見て以来、30年ぶりの訪問である。
いや、あのときはホームに降りて駅のおでんうどんを食べたっけ。

写真の左側が、これまで乗ってきた三次からの列車。
右側が、これから乗る新見行きである。乗り換えになるが、やはり芸備線である。
発車まで10分ほどあるので、駅舎の写真を撮ったり、周辺をぶらぶらしてみた。

備後落合駅

30年前に乗った急行「はくと」は、米子発木次線経由広島行きだった。
夜行の連続で頭がぼーっとしていたので、あまり記憶はないのだが、いやというほど森や林の中を走り続けたあとで、山の中に思いのほか大きな駅があって印象的であった。

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だが、それから30年の月日がたち、駅はすでに無人になっており、ホームにあった売店兼そば屋も姿を消した。
例によって、30年前に撮ったのと同じアングルで撮影してみた。

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やけにすっきりしてしまったのが寂しい。

ちなみに、この駅の名物だった環翠楼の「おでんうどん」は、近くのドライブインで今も食べることができるらしい。
現在、この駅を発着する列車は、芸備線三次方面5本、新見方面3本、木次線3本のみ。
30年前は、現在の3倍ほどの本数があった。さらにさかのぼると、何本もの急行が走り、貨物列車もあり、蒸気機関車のための機関区もあったのだ。町は鉄道関係の人でにぎわっていたとか。
それが今では、まるで秘境駅である。

次の写真は、30年前に乗った急行「はくと」。
その下の写真は、同じアングルからの写真を撮りそこねてしまったが、似たような方向である。

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遠くに停まっているのは木次線の列車。
ちょうど、14時20分過ぎになると、3方向からの列車が集まり、そして接続して次々に発車していくのだ。
もっとも、地元の人でこの路線を使う人は、ほとんどゼロに近く、鉄道マニアかマニアックな観光客だけである。

2018-06-15

中国山地ローカル線乗り歩き 芸備線(2) 三次~備後落合

同じ芸備線ではあるが、三次駅で乗り換え。
三次駅は、このようにディーゼルカーだらけという印象。
ここからは、かなり閑散区間となり、キハ120が単行で走る。

三次駅

塩町までは福山に向かう福塩線と共用になるので、1日に14往復もあるが、そこを過ぎると備後庄原までが8往復、備後落合までは6往復である。

塩町駅

塩町は福塩線の終点だから、そこそこ大きな駅だと思っていたら大間違い。田舎の小駅だった。
30年以上前にここで乗り換えたはずなのだが、すっかり記憶から抜け落ちていた。
現在、福塩線の塩町折り返しの列車はなく、すべて三次へ直通である。そもそも、数は少ないが。

備後庄原~高駅

三次~備後落合の間でもっとも大きな町は備後庄原駅周辺。
その備後庄原駅を過ぎると、もうすべて山の中。ヒバゴンが出てきそうな比婆山の中を進んでいく。
こんな山の中ではあるが、一応庄原市なのだそうだ。

芸備線キハ120の車内

それにしても、キハ120は本当に経済性第一の車両なのだろう。お世辞にも乗り心地がいいとはいえない。
ボックスシートが1両に4つあったほかは、すべてロングシート。これで2時間近く乗っているのはつらい。
しかも、空いたからと思ってボックスシートに座ってみたら、なんとも座り心地が悪くてくつろげなかった。

比婆山~備後落合駅

さて、この写真は比婆山と備後落合の間。
川を渡っているのではなく、線路が川に張り出している箇所である。
ガードレールもなく、ちょっと恐い。
同乗していたおばさんの団体は、スリル満点の風景に大声をあげて喜んでいた。

備後落合駅付近

そして、いい加減、山の中を走るのに飽きたころ、となりに別の線路が寄り添ってくる。木次線である。
三次から1時間20分。広島からだと約3時間。まもなく、山の中のジャンクション備後落合駅に到着だ。

2018-06-09

中国山地ローカル線乗り歩き 芸備線(1) 広島~三次

5月末から6月初めにかけて、久しぶりに中国山地のローカル線に乗る機会を得た。
まずは30年ぶりに乗った芸備線。広島と新見を結ぶ路線だが、すでに全線を直通する列車はなく、3列車に分けて乗車することになった。

最初の列車は、広島駅を11時5分に発車する三次行きである。
しばらく来ないうちに、見違えるようにすっきりしてしまった広島駅に、キハ40系の3両編成がエンジンを響かせて入線してきた。

広島駅

ところで、最近は鉄道の本などを出すようになったものだから、「フタムラさんは、ノリテツなんですかトリテツなんですか」と聞かれることが多い。

そういわれても、適当に乗ったり撮ったりしているわけで、どちらかに肩入れしているわけではない。
ところが、どちらかに分類しないと納得してくれない人が多いようなので、「まあ、乗るのが好きかなあ。車を持っていないから、わざわざ山奥の有名撮影地まで行くこともないし。でも、駅ではバチバチとっていますよ」などどいってお茶を濁している。

上深川(かみみかわ)駅

ただ、いわゆる撮り鉄と呼ばれる人たちは、大きくて重いフルサイズのデジタル一眼レフを持って人が多いようなので、私のようにミラーレスとコンパクトしか持っていない人間は、その範疇には入れてもらえないようである。

上三田駅

とはいえ、大きなカメラでは撮れない写真もある。その一つが、2015年のシベリア鉄道横断で目覚めた車窓の風景写真である。
これは、駅舎やホーム、沿線の雰囲気を、見た印象のまま画像に残そうという試みで(と偉そうにいうほどユニークなものでもないが)、これには機動性の高い小ぶりのカメラがふさわしい。
そんなわけで、今回のローカル線乗り歩きも、車窓風景をメインにして撮ってみたわけだ。

井原市(いばらいち)駅

と、能書きが長くなってしまったが、今回取り上げたのは、芸備線のうちで乗客の多い区間である。
それでも、広島を発車してたいして時間もたたないうちに、車窓には田園風景が広がってくる。

険しい四国山地とは対照的に、比較的穏やかな山並みが続くのは中国山地らしい風景である。

三次駅

山ふところに抱かれた盆地の集落が、次々に現れては消えていく。
そして、ローカル色豊かな駅に停まるたびに、少しずつ乗客が降りていく。
そんなことを繰り返していくうちに、12時51分の定刻に三次駅に到着した。

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