2016-01-04

2016年 明けましておめでとうございます

新年、明けましておめでとうございます。

去年は意外な展開がいろいろと起こって、突然の多忙に陥り、更新もままならずに申し訳ありませんでした。
今年は、なんとか少しずつでもアップしていこうとと思っています。

シベリア鉄道の車窓

写真は、なんとかの一つ覚えですが、昨年9月に乗ったシベリア鉄道の車窓です。
「日経ビジネスオンライン」の連載ももう少し続きますので、お時間のあるときにご笑覧ください。

2015-11-30

「30年の時を超える 大人のシベリア鉄道横断記」連載開始

前回の書き込みでお知らせしたように、「日経ビジネスオンライン」のサイトにおいて、9月に行ったシベリア鉄道旅行記の連載がはじまりました。

全体のタイトルは、「30年の時を超える大人の シベリア鉄道横断記」。
第1回の今回は、「ウラジオストク発、9288キロの旅へ」です。

ハバロフスク~イルクーツクの車窓

週1回くらいのペースで10回あまり続く予定です。
シベリア鉄道の車内・沿線の様子のほか、下車した町の様子(30、34年前との定点比較写真あり)も紹介していますので、お時間のあるときにご覧ください。

「日経ビジネスオンライン」は、掲載直後は誰でも見られます。
会員登録は無料。一定期間が過ぎると、2ページ以降は会員しか見られなくなリます。

2015-10-05

シベリア鉄道に乗ってきました

また更新が滞ってしまいました。
昨年のシチリア旅行の公開途中でしたが、2015年9月13日から28日まで、妻とともにシベリア鉄道に乗ってロシアをめぐってきました。私にとっては30年ぶり、3回目の乗車です。
仕事も多少からんでいて、旅行記はとあるサイトで公開する予定です。公開の際には改めてお知らせします。
また、公開後には、ブログで詳しい旅行記を書くつもりでいますので、しばらくお待ちください。
取り急ぎ、ご報告まで。

ウラジオストク駅

ウラジオストク駅。軍港だったために、かつては外国人が入れなったウラジオストク。
いまでは、駅で写真の撮り放題というのも時代の流れかなと。
成田からたったの2時間の場所に、こんなヨーロッパのような町があるのは感動的でした。

シベリア鉄道の車窓から

ハバロフスクからイルクーツクへ向かう車窓で。
こんな小さなシベリアの駅にも停車。

シベリア鉄道の車窓から

ハバロフスクからイルクーツクへは、最後尾に近い車両だったので、カーブがあると前方の車両を見ることができました。

イルクーツク中心部

イルクーツクでは30年ぶりに町のなかを散歩。
当たり前だけど、ソ連時代とはずいぶん変わっていました。
これは、イルクーツクの銀座通りともいえるカルラ・マルクサ通り。

ピロシキの車内販売

食堂車でつくったピロシキを、朝昼に車内販売してくれるお姉さん。
さすがに、今回はウラジオストクからモスクワまでの直行は避けて、ハバロフスク、イルクーツク、ノヴォシビルスクで途中下車してきました。

1等車コンパートメント

今回の旅では、2人部屋の1等車も、2段ベッド4人部屋の2等車も乗車。
1等車はのんびりできたし、2等車は同室の人たちとやりとりできたし、それぞれ意味がありました。
これは1等車の車内。
ちなみに、ウラジオストク~ハバロフスクは1等車で11時間、ハバロフスクで1泊、ハバロフスク~イルクーツクが2等車で60時間、イルクーツクで2泊、イルクーツク~ノヴォシビルスクが2等車で32時間、ノヴォシビルスクで1泊、ノヴォシビルスク~モスクワが48時間という旅でした。

シベリア鉄道の車窓

ネットで見ると、シベリア鉄道の車窓は単調で飽きるという人がいますが、まったく飽きることがありません。
森林の様子も変化があり、ときどき現れる村や町に目を奪われていました。

赤の広場

そして、モスクワは30年前とは大変化。
パリやローマにも勝るとも劣らない美しさと賑わいに満ちた町となっていたのです。
深夜の赤の広場が、これほどライトアップされて、人で賑わっているなんて。

2015-09-07

趣深いシチリア南岸のバスの車窓

旅から帰ってきて印象に残っている光景というのは、目をこらしながらじっくり歩いた町の様子や、町のバールやレストランで出会った人びととの交流はもちろんなのだが、一つの町から次の町までの移動の間に、車窓から見えた名前も知らない町の風景だったりする。

とはいえ、バスの窓から見えるのは一瞬だから、旅から帰って時間が経つと、だんだんと記憶が薄れていくのが普通である。
だが、それがなんとなく惜しいと思い、最近ではバスの先頭に陣取って、印象的な町の風景を撮るようになったのだ。
今回は、そんな写真のいくつかを紹介したい。

パルマ・ディ・モンテキアーロ

2014年9月19日は、アグリジェントからモディカ(Modica)まで、100km以上の移動となった。
まずは、アグリジェント11時発、SAL社のバスでリカータ(Licata)へ。
その途中にあったのが、パルマ・ディ・モンテキアーロ(Palma di Montechiaro)という丘上の町。
上から順に3枚の写真がそれである。

ちなみに、生ハムやチーズで有名なエミリア・ロマーニャ州のパルマとは関係がない。あちらの綴りは、Parmaだが、こちらは「手のひら」と同じPalmaである。

パルマ・ディ・モンテキアーロ

国道を左折するとまもなく、バスは急坂を登る。そして、とても大型バスが通るとは思えないような狭い道を、右に左に曲がると、いきなり目の前に上の写真のようなシチリア・バロック洋式の見事な教会が現れた。

帰国してから調べてみると、聖母教会(キエーザ・マードレ)とのことで、現在は手前の部分が工事中だが、本来は教会前に階段があって、それはそれは素敵な空間のようだ。

パルマ・ディ・モンテキアーロ

そして、再び狭い道を左右に曲がった末にバスが停車したのが、この小さな広場。
これもあとから調べたのだが、この町の人口は約2万4000人というから、結構な規模である。

でも、本当に狭い道ばかり。そして、中心のバス停が、この味わい深い小さな広場というのが興味深かった。次回は、ぜひ途中下車して再訪したい町である。

リカータ

アグリジェントから1時間、ちょうど12時に到着したのがリカータの町。こちらは、街道が町を貫いているので交通量の多い広い道もあり、もちろんバスターミナルもある。
とくに観光地があるわけではないが、港もあってそこそこ町は賑わっている。
こんな町にマフィアが多いんじゃないかな、とふと思った。もっとも、それはあくまでも私の想像なので、軽々に信用しないように。

さて、ここから鉄道に乗れば、ジェーラ(Gela)乗り換えで、今日の目的地のモディカ(Modica)まで行けるはずなのだが、駅に行ってみるとやはり列車はバス代行になっていた。
必死になって貼り紙を解読すると、代行バスの停車場は駅近くの表通りにあるというのだが、はたしていったいどこにあるのか。

リカータのバスターミナル

あっちのバールで聞き、さっきのバスターミナルに戻って聞いたのだが、どうも要領を得ない。
もっとも、代行バスじゃなくて、通常の路線バスもジェーラ行きがあるので問題はないのだが、この代行バスに乗れば、ジェーラで確実にモディカ行きに接続できるのだ。
路線バスのジェーラ行きは、ジェーラでの接続時間が15分しかないので、イタリアでは非常に不安なのである。

どうやら、駅にたたずんでいた南インド系と思われる青年も、この代行バスに乗るらしいことを突き止めて、奇跡的に代行バスを見つけることができた。
それは、言われなくては絶対に気づかないミニバス……というよりもワゴン車であった。確かに、小さく代行バスの貼り紙がしてあったが……。

ミニバスの乗客は、結局われわれ2人とそのお兄さんの3人。そこに、運転手1人と車掌役1人がいて、総勢5人。狭い車内に大きな荷物を持ち込んで身動きがとれなかったので、残念ながら写真を撮る余裕がなかった。
でも、茫漠とした野原を、イタリア人の運転手と車掌、南インド系の青年、日本人夫婦を乗せたミニバスが疾走していく様子は、今も瞼の裏にしっかりと残っている。

コミゾ

さて、ジェーラに着いたら一安心。ここからは、7年前にバスでモディカまで乗ったことがある。
前回は工事のために代行バスになってしまったが、今は列車が走っているので、今回こそはラグーザ~モディカの雄大な車窓が眺められるぞ……と期待していた。

ところがである。何の因果か、私たちの乗る14時24分発の列車は、またもや代行バスになってしまった。
なぜか、また工事のためらしい。どうやら、列車に確実に乗るには、朝夕の通勤通学の時間に来るのが正解のようだ。
ちなみに、乗換時間がないために避けたリカータ発の路線バスだが、きちんと時刻通りにジェーラに着いたようで驚いた。
まあ、いいか。ミニバスでおもしろい体験ができたし、ジェーラ駅の構内のバールでゆったりとワインを飲むことができたから。

モディカ


というわけで、残念ながらまたバスなのだが、まあこれはこれでおもしろい。
代行バスの運転手は、国道で一直線にラグーザやモディカに行く道は知っていても、いちいち途中駅の駅前に立ち寄るルートは不案内らしい。
国鉄(イタリア鉄道)の社員らしきおじさんがそばについて、「次の道を左」だとか「駅に客が待っているかもしれないから、クラクションを鳴らしてみて」とアドバイスしている。

どこかの町だったか、とうとうそのおじさんも道に迷ってしまったようで、旧市街の狭い道で立ち往生。近くにいた車の運転手や地元の人に道を聞いていた。急がない旅なので、こんなのを見ているのもおもしろい。

モディカ


ジェーラ出発時には20人近くいた乗客も、一人降り、二人降りして、コミゾを過ぎるともう私たち2人だけ。
ラグーザからモディカに向かう雄大な景色を、のんびりと眺めることができた。

終点のモディカ駅は町外れ。田舎の路線バスならば、たいていどこでも途中で降ろしてくれるのだが、国鉄代行バスはそうはいかない。その日に泊まる宿の前をすーっと通りすぎて、坂下に位置する駅に16時20分すぎに到着した。

最後の写真は、モディカ駅前でバスの運転手をパチリ。お疲れさまでした。

2015-09-04

古代ギリシャの残り香 アグリジェント

後ろ髪を引かれる思いでシャッカをあとにして、向かったのはギリシャ遺跡で有名なアグリジェント(Agrigento)。
バスで1時間弱の道のりである。

シャッカ郊外

ここまでは、トラーパニ、マルサーラ、シャッカと、アラブの雰囲気か色濃く残るシチリア西部の町をめぐってきたが、アグリジェント周辺はギリシャの影響が強い町である。
もちろん、ノルマン時代の遺跡やら、スペイン支配の名残もあったりして、だからシチリアはおもしろい。文字通り、文明の十字路なのだ。

アグリジェント駅

と、偉そうにいっているが、個人的には古い遺跡よりも、今の町の様子やそこに住む人を見るのが好きである。
まあ、そんなことは、2007年に訪れたときのブログ記事神殿もいいけれど・アグリジェントにも書いたっけ。

アグリジェント市街

町の目抜き通りには、アテネア通りという名前がついていて、いかにもギリシャの影響を思わせるが、1泊だけで通りすぎるような観光客には、町なかにギリシャっぽさはあまり感じられない。

イタリア国内でギリシャっぽさを競うならば、2006年に訪れたカラブリア州南部のボーヴァに勝る町はないだろうなあと思う。
なにしろ、あっちは今でもギリシャ語の方言を話しているというのだから筋金入りである。

コンコルディア神殿

そうはいっても、アグリジェント初訪問の妻がいるから、どうしても神殿の谷見学は外せないところである。
ちょうどいい具合に日が傾き、コンコルディア神殿は西日を正面に浴びていた。
夕方になると観光客の数も減ってきて、のんびり見ることができたのはよかったといえよう。

アグリジェント市街遠景

とはいえ、やはり私にとっては、遺跡から見えるアグリジェントの市街地に心ひかれるところである。
それが、上の写真。

そうそう、この町では、シチリアに来て初めて日本人に会った。
1組2人だけだけど。

アグリジェント市街

アグリジェントの宿は、旧市街の狭い道(上の写真)に面したB&B。外から見ると狭苦しいようだが、中庭もあってこぎれいな宿だ。
ようやく、イタリアでもこうしたB&Bに泊まれるようになったのは喜ばしいことである。

もっとも、B&Bが増えたきっかけは、どうやらイタリアの経済低迷のようだ。
ここアグリジェントの宿は、地元の奥さんやお姉さんが中心で運営していたし、トラーパニのアパートは地元の兄弟が運営していた。
いかにも素人っぽくて不慣れと見える点もないことはないが、ホテルにはない親しみやすさが魅力である。

2015-09-01

シャッカで映画「誘惑されて捨てられて」の舞台めぐり

シャッカ(Sciacca)は、1964年に公開されたイタリア映画「誘惑されて捨てられて」(原題:Sedotta e abbandonata)の舞台になっている。
なんとも身も蓋もない邦題だが、「鉄道員」や「刑事」など、古いイタリア映画ファンには懐かしいピエトロ・ジェルミ監督の映画で、シチリアの古い慣習に対する風刺がテーマとなっている。

何年か前、その映画のタイトル部分がYou Tubeにアップされていることを、知人のM杉氏から聞いた。
それが、下の動画である。
すぐに音楽が鳴り出すので注意

カルロ・ルスティケッリの哀愁ただようメロディとともに、半世紀前のシャッカの旧市街が描かれて、心臓の奥がキュッと収縮するような魅力を感じる。

せっかくシャッカに行くのだから、この動画に描かれた場所を尋ねてみようと思い、日本にいるときからグーグルストリートビューで場所の見当をつけておいたのである。
それぞれの写真のコメントの最後に付けた数字は、緯度と経度である。これをコピーしてグーグルマップの入力欄に入れると、その場所が示される。

ただ、冒頭に登場する場所はわからなかった。坂がなくてこんな広々とした交差点は旧市街にはなかったような気がする。
それはさておき、すべて計算されているのだろう、馬と歩行者と自動車(フィアット チンクェチェント)が行き交う間合いがじつに見事。
*その後、M杉氏の指摘により、一番下で紹介するバディア・グランデ教会前の広場から、真南の方向を見て撮ったものだと判明。周囲の雰囲気がまるで変わってしまっていたので、不覚にもわかりませんでした……。
37.510399, 13.085289

シャッカ旧市街

0:10~
ステファニア・サンドレッリが上ってくる階段である。
旧市街のなかでも古い地区なのだろうか。一番ごちゃごちゃした地区から、旧市街中心の広場に達する階段だ。遠くに海が見える。
37.509165, 13.084856

シャッカ旧市街

0:23~
坂を上ってくる道が、城跡下の尾根道と交差して階段となっているところ。
遠近感がなかなかいい。
ちなみに、前の場面からはかなり場所が飛んでしまっているが、そこはフィクションなので目をつぶろう(笑)
37.508708, 13.086931

シャッカ旧市街

0:29~、0:36~
ここでまた下に少し降りてしまった(笑)
ここは、連続する2つの場面で方向を変えて使用されている。
写真中央右の縦長の細い窓の建物(小さな教会?)が、どちらにも登場するのでわかる。
0:29からの場面では、その建物から遠ざかっているのに、0:36の場面では右から左へ横切っていくのがおもしろい。
ぐるっと1周してきたのかな。
小さな橋の上で、向こうから車がやってくるタイミングも絶妙。
37.507871, 13.086122

シャッカ旧市街

0:57~
いよいよ旧市街の中心部に向かう。
この前のシーンから道順を調べていくと、まっすぐな道を歩かないで、左右に路地を行ったり来たりしていることになるのが、またおもしろい。
もちろん、映像を見てそんなことがわかるのは、地元の人くらいだろうが。

道の突き当たりに見えるのが、次のシーンでも登場するバディア・グランデ教会。
映画では鐘楼の窓がいくつか埋められているようだ。
37.509807, 13.085894

バディア・グランデ教会

1:00~
大きな広場の中心に位置するバディア・グランデ教会。
この教会をバックに、ステファニア・サンドレッリのアップが続く。
37.509881, 13.085125

映画のロケ地めぐりや小説・マンガの舞台めぐりなどというのは、あまりやらないのだが、たまにやってみるとおもしろいものである。

2015-08-31

わが憧憬の町シャッカへ

9月17日、3泊したトラーパニを朝9時に出発。1日に3便しかないバスで向かったのはシャッカ(Sciacca)の町である。
所要は2時間10分。かつては鉄道が走っていたのだが、現在は途中のカステルヴェトラーノ止まり。シャッカまで行く路線は廃止になっているので、やむなくバスを利用するしかないのだ。

シャッカ遠景

途中で乗客は乗ったり降りたりするが、バスの乗客はつねに10人程度。のんびりした田舎の中距離バスである。
運転手がかけているカーラジオから流れてくるのは、1960~80年代の懐かしのイタリアポップスの番組のようで、私にとっては楽しいのだが、やけに大きなボリュームでかけているので、ほかの乗客はうんざりした表情。しかも、ときに運転手がラジオに合わせて歌いだすのである。
はて、いつか似たような体験をした覚えがあるなあと思ったら、20年ほど前のインドのバスだった。あのときは夜行列車明けに乗ったので、眠れなくて困ったものだった。

シャッカ丘上の展望台

さて、シャッカは、私にとって憧れの町の一つだった。
海に面した丘かびっしりと建物で埋めつくされている様子。丘の上の町を網の目のように走る路地。その路地がしばしば行き止まりになっているのは、アラブ支配の時代の名残なのだそうだ。
そんな町で道に迷いながら散歩をしたかった。

シャッカという変わった名前の由来は、アラブ支配時代の人名だとか、ラテン語の温泉から来ている、いやアラビア語の温泉の意味だとか、シリアの神様の名前だとか、諸説ふんぶんのようである。
ちなみに、この前日に訪れたマルサーラの語源は、アラビア語のマルス・アッラーで、「神の港」という意味だというのが定説のようである。

シャッカ旧市街

温泉が地名の由来だという説があるくらいで、この地には有名な温泉場がある。妻は興味津々だったようだが、イタリアの温泉に入るには医師の診断を受けなければならず、面倒くさいからやめようと必死に説得した。
で、ひたすら私は町歩きに没頭したのである。
で、歩いた結果はどうだったかというと、実に散歩に適した素敵な町だったといえる。

シャッカ旧市街

,また、シャッカの町の目の前には大きな漁港があって、漁船が活発に行き交っている。
だから、魚料理のレストランも何軒かある。
だが、一番ウマいとされている漁港前のレストランに行ったところ、残念ながら休業日。
それでも、たまたま店にいたおじさん(オーナーかも)に、「この近くに、ほかにおいしい店はある?」と尋ねることで、そこそこウマい食事にありつくことができた。

パラッツォ ステリピント

と、ここまで読んで、今回の文章と写真が、これまでとはちょっと雰囲気が違うと感じた人がいるかもしれない。
まあ、そこまで読み込んでいるヒマな人がいるとは思えないのだが、今回はわれながらまったくまとまりのない内容だと自覚している。
そして、写真もよく見ると、シャッカの雰囲気がよく伝わってこないんだなあ。

港の夕景

実は、それには理由があるのであって、種明かしは次回のお楽しみに。
次回もシャッカです。

2015-08-30

ワインとハタに感動したマルサーラ

2014年9月の旅の続き。

エリチェからトラーパニに戻ったのが午後5時ごろ。
予定より少し遅くなったが、まだ日没まで時間があるので、トラーパニから20kmあまり南にあるマルサーラ(Marsala)に向かうことにした。
夕食もそこで食べてこようというたくらみである。

マルサーラ駅近くの踏切

マルサーラへは、バスよりも鉄道のほうが便利である。1時間に1本ほど出ているし、なにしろ速い。
しかも、バスは町の中心部に入ってこないのだ。
たいていの行き先にはバスを勧めるトラーパニの人たちも、マルサーラとその南にあるマザーラ・ディ・ヴァッロへは鉄道がいいという。

駅から中心部まで歩いて20分以上かかるのだが(長距離バス停からだともっとかかる)、夕方ということもあって、どんどんと人が増えてくる。
そして、広場と教会が連続する中心部にやってくると、上の写真のような賑わいとなっていた。
シチリアの西の果てなので、小さな田舎町かと思っていたら意外にも市街地は立派であった。

マルサーラ中心部

さて、マルサーラに来たら、まずマルサーラワイン(マルサーラ酒)を飲まなくてはならない。
……ならないわけじゃないけれど、飲みたいという気持ちがつのる。
そして、路地にあったワインバーで2種類のワインを2人で注文。
上品な甘みと高いアルコール度数で、すっかり気分がよくなった私たちである。

海岸に出て日没を拝み、集会を開いていたネコたちとたわむれたのちに、再び中心地に戻ると、さらに人出は多くなっていた。
といっても、9時20分ごろの最終電車に乗り遅れてはいけないので、ガイドブックを見ながら急いでレストランを探す。

マルサーラワイン

Touring Club Italianoのガイドブック「Guida Rapida d'Italia」で「安価なトラットリーア」とあるので選んだのが、「La Bottega di Carmine」(ラ・ボッテーガ・ディ・カルミネ)という店。
店に入ったのは7時半すぎだから、最終電車に乗るには、1時間ちょっとしか残り時間がない。

ところが入ってビックリ。内装は白で統一され、おしゃれな中庭があって、ピアノまで据え置かれているではないか。
「ホントにここが安い店なの!?」と心配になったが、いまさら出て行くのもみっともない。
もちろん、時間が早いのでほかに客はいないから、「これならなんとか電車に間に合うだろう」とほっとした私たちであった。

マルサーラ中心部

だが、10分以上たっても注文をとりにやってこない。
あせって厨房を覗きにいって、「最終電車に乗るから急いでね」と一人しかいない若いシェフに言うと、そこからさらに数分たったところで、ようやく一人の派手めの女性がワゴンを押してテーブルにやってきた。
ワゴンには、何種類もの魚がぎっしりと配置されて壮観である。

そして、さきほどのシェフがやってきた。
よく見ると、おしゃれな店にはあまり釣り合わない、いかにも下町の食堂の兄さんといった風貌と服装で親しみがもてる。
彼は、おもむろに魚の説明をはじめた。

「あの魚を並べるのに時間がかかったんだよ」時としてするどい勘を発揮する妻は、小さな声で私にそうつぶやいた。

ハタのグリル

兄さんはわかりやすいイタリア語で魚の説明をしたあとで、「もう1つ、チェルニアがありますよ。きょう、大きくていいのが入ったのでとってもおすすめ」
「チェルニア?」
「白身でおいしい魚ですよ!」
手元の辞書では見つからなかったが、なんとなく彼は信用できそうだったので、前菜は魚介の盛り合わせ、メインはチェルニアのグリルを注文することにした。

私たちは急いでワインを飲み、急いで前菜を食べ、急いでメインを食べた。
チェルニアのグリルは、野菜を下に敷き、まるで高級レストランの創作料理みたい。
肝心の味はというと、これまでイタリアで食べた魚のメイン料理のなかで最高でございました。上の写真は、おいしそうに写っていないけれど……。

大変に満足した旨をシェフの兄ちゃんに伝え、内容にくらべてとても安価な支払いを済ませて、私たちは早足で駅に向かった。
「最初からあの魚にするんだったら、ワゴンに並べてくれなくてもよかったのに。おかげで時間がなくなったよね」と妻は鋭い指摘をする。

トラーパニの宿に戻ると、真っ先にやったのはネットでチェルニア(Cernia)の意味を調べること。
それは……、日本語でハタだった。
うまいはずだ。
東京で同じものを食べたら、あの3倍近い値段をとられるかもしれない。

2015-08-27

丘上の桃源郷エリチェでの不思議な再会

トラーパニをベースキャンプとして、出かけたのはエガディ諸島だけではない。
町の東側にあるエリチェにも行った。
海抜750mほどの素敵な丘上都市で、私にとっては2000年以来15年ぶりの訪問。妻は初訪問である。

エリチェ

15年前は、トラーパニ市内から遠回りをして、バスで1時間ほどかかった記憶がある。
しかも、直通バスは1時間に1本ほどで、時間帯によっては途中のヴァル・デリチェで乗り換える必要があった。

それが、トラーパニ市街地東端からのロープウェイができて、気軽に行けるようになった。
ロープウェイ乗り場は、新市街の中心部から3kmほど。路線バスの21、23番か、観光路線バスのA、Bに乗るといい。
ロープウェイはイタリア語でFunivia(フニヴィーア)だが、ここでは英語でCable Wayと記されていた。

さて、ロープウェイの所要時間は10分ほど。トップの写真のように眺めはいいのだが、太陽があたると搬器の中はまるで温室のよう。
脱水症状寸前でエリチェに着いた。

エリチェ

交通が便利になったこともあってか、15年前にくらべてエリチェの町には数多くの観光客で賑わっていた。
「地球の歩き方」にもエリチェが紹介されるくらいだから、日本人もずいぶん訪れているのだろう。
ちなみに、少なくとも2、3年前の版まではアクセントの位置を誤って「エリーチェ」と記されていたが、正しくは「エーリチェ」である。現在はどうなっているか知らない。

それはさておき、三角形をした市街地(というほど大きくないが)は、道が狭いこともあって、すぐに方向感覚を失ってしまうのが楽しい。

エリチェ

町の頂上近くからは、海と空の青が一体となった素晴らしいパノラマが眺められる。
それがこの写真なのだが、残念ながら水平線近くに灰色の雲が出てしまって、「一体」とはいえない感じ。
理想的な姿は、以前つくったホームページのエリチェ のトップに置いた写真を見ていただきたい。

エリチェ

「前に来たときはね、この近くのお城の前で、若い大道芸人がいてさ。観光客はめったに来ないんだけど、たぶんシチリアの兵隊の格好をして、商売道具を馬にひかせて、シチリア民謡に欠かせない口琴をビヨンビヨンと鳴らしていたんだ」

私が妻にそんなことを話していると、行く手からそのビヨンビヨンという音が聞こえてきた。
そして、見たことのある飾りをつけた馬の前で、40歳くらいのおじさんが観光客を相手に歌っていたのである。

「まさか! でも、年が違うよね」
一瞬そう思ったが、自分も年をとったことを忘れていた。
よく考えてみれば、前回が25歳ならば今じゃ40歳になっているのは当然である。

芸が一段落したところで話しかけてみた。
「15年前にここに来たことがあるんだけど、そのときに同じような馬を連れて、口琴を鳴らして歌を歌っていたのはあなた?」

エリチェでの再会

「そうだよ! 兄弟!」
もちろん、私のことは覚えているわけはないのだが、再訪をとても喜んでくれた。そして、異様な盛り上がりのなか、妻に撮ってもらったのが上の写真である。
彼は、「チャララ、チャラララ、チャラララー」とゴッドファーザーのテーマを口ずさみながら、商売道具のハンチング帽を私にかぶせてくれた。
イタリアでの食い過ぎのためか、顔がむくみ気味なのが恥ずかしい。

その後、その場で彼の歌や芸を楽しんだのだが、声のよさと観客に対するあしらいのうまさを見て、「なるほど15年間これだけで食ってこられたわけだ」と納得した。

エリチェ

笑ったのは、イタリア人観光客からの「あんたはこのあたりの出身なのかい?」という質問に対してこう答えたときである。
「パレルモ」
そういって一呼吸おいたあと、「イタリアの首都の」

2015-08-21

シチリアの西の果てマレッティモ島

昼過ぎにレヴァンツォ島から,向かったのは、エガディ諸島の一番西に位置するマレッテモ(Marettimo)島である。
日本で地図を見ていると、どれほどの辺境なのかと思ってしまうが、人口はレヴァンツォ島の3倍以上の700人弱。
それでも、集落が島の東側にある港付近集中しているために、意外とまとまった町になっているなというのが第一印象だった。

マレッティモ島の港

おそらく、ここに長期滞在するのだろう、船からは大きなリュックやスーツケースを持って下りる人も十数人ほどいた。

港から2分も歩くと、そこは島の中心部。バールだけでなくレストランも何軒かある。
大きなホテルはないが、民宿のような宿があちこちで目につく。

マレッティモ島中心部

日帰りの観光客の多くは、朝早くやってきて、もう帰ってしまったのかもしれない。
ひと気のない道をぶらぶらと歩いていると、5分ほどで漁港にたどりついた。

「洞窟めぐりをしないかい? 1人40ユーロなんだけど、2人で50ユーロにまけとくよ」
60代なかばくらいの漁師に声をかけられた。
東京・牛込で1980年代からイタリアレストランをやっているカルミネ・コッツォリーノさんによく似たおじさんである。

洞窟からの帰り

私の興味はもっぱら町や人なので、こうしたものには、ほとんど関心はないのだが、同行の妻はすでに乗る気満々である。
はたして50ユーロが安いのか高いのか、そもそも本当に安くしてくれているのかわからないが、トラーパニからの高速船2人分の料金の1.5倍くらいだし、せっかくここまで来たのだから、ということで世話になることにした。

マレッティモ島の親父連


洞窟めぐりは、そこそこ楽しめた。カプリ島やアマルフィ海岸にあると言われる青い洞窟もあれば、見るも不思議な奇岩もあった。案内してくれたおじさんも、過剰なサービスもなく、ほどほどの距離感で接してくれるのがいい。まあ、もともとは漁師なんだからね。

港近くのバール


「これで青の洞窟らしきものを見たから、もうカプリ島やアマルフィ海岸で船に乗らなくてもいいよね」
トラーパニへの帰りの高速船を待つ間、バールの簡易なテラス席で白ワインを飲みながら、私はそれとなく因果を含めたのであった。

ハイシーズンを過ぎた昨年9月の話である。
ここにはファビニャーナ島の喧騒もレヴァンツォ島の不便さもなく、ほどほどの賑わいとのんびりした雰囲気がある。この島ならば、ゆっくり滞在してもいいかなと思った。

«陽光に映えるレヴァンツォ島