2010年7月
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31


無料ブログはココログ

2010-07-22

スカイツリーと京島界隈

実家のある墨田区京島に戻るときは、どうしても車窓から東京スカイツリーが気になる。
先日は400mに達したとかで、都区内の少し高いところからなら、どこからでも見えるようになったのだが、やはり地元で見るのは迫力がある。

スカイツリーと京成線を走る京急電車

それとともに、東武と京成の曳舟駅付近の変わりようにも驚く。
東武の曳舟駅近辺では、小さな住宅と工場が密集していたあたりが、大規模なマンションに変わってしまった。来るたびに景色が変化しているので、脳が追いついていかない。
京成曳舟駅のあたりも高架化工事が終わると、まったく様相を変えてしまうだろう。

てなわけで、最初の写真は京成曳舟~押上を走る京成の路線。走ってきたのは京急の車両である。
京成の曳舟~押上、東武の曳舟~業平橋の間には「請地(うけじ)」という駅があって、京成と東武が乗り換えできたという話を、よく母親から聞いたが、そんなことを知る人もほとんどいなくなったに違いない。
どちらも、2両か3両編成の電車が走っていたころの話である。

スカイツリーと東武亀戸線

さて、その2両編成の電車が今でも走っているのが、東武の曳舟から分かれる亀戸線である。
スカイツリーの近くを通るのだが、線路際まで住宅が密集しているので、なかなかうまく写真が撮れない。
しかも、北側を走っているので、どこで撮っても逆光になってしまう。

結局、小村井駅にほど近いあたりの踏切で写せたのが、2枚目の写真である。
このあたりは京島の東の端。曳舟駅付近とは違い、時間はゆっくり進んでいる。

2010-07-03

高田馬場さかえ通り商店街の最西端

はじめての場所で仕事の待ち合わせをするときは、できるだけ早めに着くようにしている。
といっても、ビジネスの常識だとかなんとかいう偉そうな話ではない。
ぶらぶらと散歩をするためである。

さかえ通り商店街

先日は、高田馬場から落合に向かったビルで、仕事の打ち合わせがあった。
その前に、駅前から続く「さかえ通り商店街」を徘徊。

途中までは何度も歩いたことがあったが、今回は最西端まで征服。
ここまで来ると、場末の雰囲気が漂って、なかなかよろしい。
左の金網の向こうに神田川が流れる。

2010-06-30

梅雨空の不忍池

先日、母親の付き添いで東大病院に行った帰り、不忍池に立ち寄った。
ぼんやりとした梅雨空に蓮の緑がまぶしかった。

不忍池

病院に行ったといっても、命にかかわるようなことではない。
母親は80を過ぎたが、いたって元気である。
ただ、ひざの痛みががまんできないほどになって、手術が必要のようだ。

帰りはまだ日が高かったが、例によって不忍池近くの寿司屋に。
ヒとシの区別がつかない江戸っ子の母は、何よりもまず小肌を4カン注文して満足げであった。

ちなみに、母にかかると、姪の名前はシロミちゃんとなり、隅田川にかかる白鬚橋はヒラシゲバシとなる。

2010-06-23

新幹線とキティちゃんの石像に出会った田端~尾久散歩

先日、ぶらぶらと夕方の尾久を散歩した。
仕事のついでだが。
ちなみに、尾久は北区にある町で、上野の次の駅である。
といっても、山手線でも京浜東北線でも常磐線でもなくて、高崎線や宇都宮線(東北本線)の中距離列車である。

田端駅下仲通り

山手線の田端を降りて尾久のほうに向かって歩いていくと、そこにあったのがやけにごちゃごちゃした商店街。
「田端駅下仲通り」というらしい。
いまでは珍しくなった万国旗が、あたかもナポリの下町にひるがえる洗濯物のように、道の上にはためいていた。

で、商店街のキャッチフレーズがこれ。

田端駅下仲通り

「新幹線が見える街」である。

「日本に新幹線が見える街など、いくらでもあるだろう」などと揚げ足をとってはいけない。
ここは、東北新幹線も上越新幹線も長野新幹線も見えるのだ!
……あ、どれも同じ線路か。

せっかくなら、「新幹線も在来線も都電も見える街」にすればよかったのに。

ぶらぶら歩きも尾久駅に近づいたところで、突然目に入ったのが下の写真の光景。
キティちゃんの石像である。
しかもペア。
ごく普通の家の前であった。

尾久のキティちゃん

最後に、尾久駅構内の地下通路を横断。
尾久には鉄道車両の車庫のような運転区があって、構内が広い。だから、地下通路も長いのだ。
ぼんやり歩いていると、快走する自転車に次々に抜かれていった。

尾久駅の地下通路

この通路のことは、最新刊の『鉄道を撮る』第2号に載せたので、ぜひ見てね。できれば買ってくれるとうれしいな。

2010-06-15

石の鐘: 長野県信濃町 称名寺

5月の連休前、仕事で訪れたのが長野県の北端にある信濃町である。
黒姫山、斑尾山などの北信五岳を望み、野尻湖を擁する素敵な保養地である。
まあ、あくまでも仕事で行ったのだが、それでもいい気持ちであった。

石の鐘

そんな信濃町の柴津地区にある寺が称名寺。
遠目に雰囲気のよさそうな寺だということで、同行の人たちと足を向けたのだが、そこには大きなドラマが待っていた。

境内には鐘つき堂があるのだが、そこにぶら下がっているのは鐘ではない。
なんと大きな石なのである。
石だから、ついても音がでない。

では、なぜそんな石が鐘の代わりに下がっているのかというと……。

称名寺

さきの戦争のことである。
武器、弾薬をつくるために、全国から金属が供出されたのはご承知の通りである。
それは寺も例外ではなかった。全国の寺から鐘が供出されたのである。

この称名寺の場合、鐘を取り外してしまうと鐘つき堂全体のバランスが悪くなり、倒壊する恐れがあるということで、重しになる石をぶら下げたのだとか。

称名寺

戦後、経済が復興すると、各地の寺では鐘を鋳造しなおして、復活させたところが多い。
だが、ここ信濃町では経済的に豊かでなかったため、石のままにしておいたそうな。

それが、ここにきて、徐々に注目を集めるようになったのだから、おもしろいものである。
戦争の悲劇を繰り返さないという心を込め、町のシンボルとして、今後もこのままにしておきたいとは町の観光課の人の言である。

ちょっとした寄り道での、素敵な発見であった。
次回は、ぜひ寺の境内にある枝垂れ桜が満開のときに訪れたいものである。

2010-06-13

梅酒づくり

知人宅で梅酒づくり。
昨年から、知人に無理に頼み込んで、ご一緒させてもらっているのである。

このところ、どうも落ち着かない日々だけど、ちょっとお茶でもたてる気分で心のどかに梅酒をつけることができた。
2本のうち、1本は米焼酎、もう1本は泡盛でつけることにした。
ビールを飲みながらの作業で、あっという間に完成。
写真の右端に人間の足が写っているのがミソである。写真に動きが出たでしょ。

梅酒完成

膨大な友人宅の梅酒コレクションの片隅に置かせてもらうことにした。
昨年のものと一緒に記念撮影。
もちろん、左の2つが今年のものである。

梅酒記念写真

この梅酒がおいしく飲めるようになるころ、はたして私は何をしているのだろうか……。
ま、何年たっても同じような生活をしているような気もするが。

2010-06-03

貴船口駅の赤い傘

鞍馬から土砂降りの雨のなかを山越えして、貴船にやってきた。
貴船川はもう濁流と化していた。

私たちは和風喫茶店で一服した後、バスで叡山電車の貴船口駅へ。

そこで見かけたのがこの光景だ。

貴船口駅にて

学校帰りの小学生が駅にやってきた。
鞍馬行きに乗るらしく、みんなおとなしく電車を待っていた。

到着する電車を撮影しようと、私がカメラを構えていると、一人の女の子が前に入ってきた。
嫌な大人が入ってくると気分が悪いのだが、こんな女の子だと大歓迎である。

貴船口駅にて

そのまま写真を撮ったのが1枚目なのだが、女の子はなぜか傘を突き出す。
何をするのかと思ったら……。

貴船口駅にて

パッと赤い傘を開いた。
何をしようという意図があったわけでもないようだ。
でも、緑の森に囲まれた小さな駅で、傘の赤い色は目にしみた。

電車の運転士にとっては、いきなり停止信号の色が目に入ってきたのだから、迷惑だったかもしれないけどね。
まあ、小さな女の子だから許せることがあるのだ。

2010-06-01

大雨洪水注意報の鞍馬山

宇治を訪れた翌日は、反対に京都市の北に位置する鞍馬に向かった。
朝から雨降りで、とうとう大雨注意報に加えて洪水注意報まで発令されてしまっていた。

叡山電車

出町柳から叡山電車に乗って30分近く走ると、車窓にはうっそうとした森が広がる。
そして鞍馬着。高校時代の修学旅行以来である。
電車は変わってしまったが、駅舎の外観がほとんど姿を変えていないことに感激した。

鞍馬寺ケーブルカー

鞍馬寺の山門をくぐって、ケーブルカーに乗車。
れっきとした鉄道事業法にもとづく鋼索鉄道(ケーブルカー)であり、全国で唯一、宗教法人が経営する鉄道なのである。
ただ、ケーブルカーといっても、中央ですれ違うことはなく、1両の車両が全線単線の線路を上下するだけ。
2両の車両が釣瓶のように上下するのではなく、一方はカウンターウエイト--要するに重りになっていて車両とバランスをとっているわけだ。その点では、ケーブルカーよりもエレベーターに近いかもしれない。

鞍馬山

そんな能書きはともかく、山に登っても雨足は強くなるばかり。
でも、乗りかかった船……ではなく、登りかかった山だということで貴船まで、ぐちゃぐちゃの山道を歩いて行った私たちであった。

鞍馬の家並み

貴船の話は次回にまわすとして、貴船からもう一度鞍馬に戻ってくると、ようやく雨が止んだ。
そこで、くらま温泉の露天風呂に立ち寄るついでに、鞍馬街道沿いにぶらぶらと散歩することにした。
なかなか、味わいのある街道筋である。

鞍馬の家並み

この街道は、京都の北の山間部に続いている。
そういえば、高校の修学旅行では、ここを通るバスに乗って、大悲山峰定寺まで行って帰ってくるという無茶なコースを設定したっけ。
おかけで私のグループは、当日の朝7時前に旅館を出発するという強硬スケジュールを余儀なくされたのであった。ごめん、みんな。

2010-05-29

明朝の香り、黄檗山萬福寺

宇治で平等院を見たあとは、京阪電車で2つ目、同じ宇治市内にある黄檗(おうばく)山萬福寺に向かった。
数年前、宇治に一人でやってきたときに、平等院をおいて訪れた場所である。

カイパン

ここは明の時代に大陸から渡ってきた隠元禅師が建てた寺である。
隠元禅師といえば、隠元豆を伝えた人としては聞き及んでいたが、そのほかにも蓮根、スイカ、けんちん汁などもこの人が伝えたということを、今回の旅ではじめて知った。
そして、活字の明朝体もまた、隠元禅師が伝えたものなのだそうだ。

トップの写真は、この寺のシンボルのような開梛。カイパンと読むそうだ。木魚の原型である。
玉をくわえた表情がとってもユーモラス。

萬福寺境内

禅宗というと、鎌倉時代に伝わった曹洞宗と臨済宗が知られているが、黄檗宗もそうした禅宗の一派。
日本に伝わったのは江戸時代の初期である。
だから、日本化の度合いがほかの宗派よりも低く、明の時代の雰囲気を色濃く残している。

黄檗山萬福寺

寺に入って一周してみれば、そこかしこに、日本の寺にはない異国の雰囲気が感じ取れる。
まあ、前回来てそれがおもしろかったから、今回は同行者を連れてやってきたわけである。

なんといっても一番よかったのは、回廊にしっかりと屋根がついていたことか。
大雨注意報が発令されるなか、おかげで傘をささずに境内を一周できた。

ラーメン丼の…

この写真の模様も、どこかラーメン丼のあの模様を思い起こさせる。縁起がいい模様なのだろうか。

ところで、この寺のことを知ったのは、今から30年ほど前、司馬遼太郎のエッセイをたまたま読んだときのことである。
司馬遼太郎の小説はいまだに読んだことがないが、エッセイについては、ちょっと機会があって読まざるをえないことがあったのだ。
なんて書いてあったのか詳しいことは忘れたが、彼はこの寺の中国風の雰囲気にいたく興味を抱いたようだった。
私としては、法要で坊さんが椅子に座って経を読むというくだりが興味深かった。

木魚

この写真の木魚は、魚から木魚に進化する途中のものに違いない。かなり魚っぽい。

前回訪れたときは、禅宗の寺らしく静謐な空気が流れていたが、今回はちょっと違っていた。
全国煎茶道連盟の集まりがあったそうで、和服の女性も数多く、禅宗の寺とは思えない華やかな様子であった。
この寺は、煎茶道にもゆかりが深いんだという。

黄檗山萬福寺

寺の中や周辺では、普茶料理と呼ばれる精進料理が食べられるとのことで、楽しみにしていたのだが、その前に宇治駅近くにある十割そば屋で、たんまりと食事とアルコールを取り入れてしまった私たちであった。
.満腹でやってきた萬福寺
普茶料理もまた次回への宿題となってしまった。

萬福寺土産

最後の写真は、萬福寺の土産売り場にあった小坊主(?)の人形。
あまりに私の理想とする生活態度にピッタリだったので、思わず買ってきてしまった。
仕事部屋に飾って、仕事をしすぎないための戒めとしている。

2010-05-26

雨の宇治、鳳凰堂はフェニックス・ホールだった

週末から京都に行ってきた。
ようやく仕事のけりがつき、友人たちと計7人が京都で待ち合わせての会食にようやく間にあった。
友人たちとは食い意地だけでつながっている仲である。
メシを食ったらさようなら。だから、よけいな気を使わないでいい。昼間は別行動である。
ま、翌日の夜もメシを一緒に食った人はいるが。

宇治川

で、日曜日はちょっと足を伸ばして宇治へ。
雨は降りどおしだったが、おかげで新緑が美しく映えて、撮影意欲にあふれてきた。

まず立ち寄ったのが、源氏物語ミュージアムという博物館。
ハコモノ行政の典型のような立派なつくりで、CGをふんだんに使った映像はかなりカネがかかっているばずだ。
とはいえ、それなりに楽しめたし、人もずいぶんはいっているからまあいいんだろう。

婚礼の列

学生時代、授業にもあまり出ないヒマな文学部生だった私は、源氏物語を原文で読み通したはずなのだが、やっぱりよく覚えていない。
ましてや、宇治十帖のあたりになると、もう記憶のかけらもほとんど残っていなかったから、それなりに新鮮な体験であった。

2枚目の写真は、そこから宇治川に向かう途中で出会った、婚礼の参加者の列。
先頭に新郎新婦がいるのがかすかに見えたが、さすがに前にまわりこんで写すほどの図々しさはなかった私である。

宇治上神社

次の写真は、順番が前後するが、宇治上(うじがみ)神社。
ささやかで由緒ありげな神社である。川に近い宇治神社とは別に木々のなかに埋もれるようにしてあった。

さきほどの源氏物語ミュージアムでは、この神社が宇治十帖で重要な舞台となっているようだ。
でも、宇治十帖って、どうにもやるせないんだよね。

平等院鳳凰堂

そしてやってきたのが平等院。
数年前は、宇治までやってきたのに平等院を見ずに帰ったという私である。
10円玉の図柄としては、子どものときから見慣れていたのだが、現物をはじめて目にした。
だが、鳳凰堂の内部の見学は1時間待ちというので、残念に思いつつもあっさりあきらめた。

まあ、鳳翔館(宝物を飾ってある建物)が見られたからいいか。鳳凰堂の内部は次回の宿題である。
この日の一番の発見は、なんといっても鳳凰堂の英語訳が、「フェニックス・ホール」だったことである。
確かに、それで間違いない。

«歌舞伎座閉場

フォト

広告

最近のトラックバック